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ここ数年の心の変化

こんにちは。滝本伊織です。

はじめてカメラを買った時、僕は東京にいて、当時は大学生でした。

あの頃はとにかく絶景が好きで、「海外の世界遺産巡りたい」って考えたり「これ見るまで死ねないリスト」なんか作ってたのを覚えています。

今写真を見返してみても、撮っている写真は今と全然違っても、あの頃から写真が好きな気持ちは変わらないな〜と思います。

当時は、とにかく色々なものを撮っていました。インターネットで撮影スポットを探して撮りにいったり、友達とテーマを決めて撮影会をして勝負したりと。純粋に写真を楽しんでいたと思います。

それから大学を卒業し、故郷である富山県にUターンしました。

富山県には綺麗な風景がたくさんあり、僕は毎週カメラを持って「富山の風景」を撮りました。

それと同時に「写真の編集」もやり始めました。

編集に関しては、ほとんど勉強はしないで独学だけでやってきたのですが、当時の写真が酷いこと。この頃はこう見えてたんだろうな。

しばらくこんな感じの写真を撮っていました。ホワイトバランスいじりまくってたなー(笑)。我ながら黒歴史です。でもこれがあったから今があると思っています。

そんなこんなで、富山県内を巡る中、富山県民の地元への関心の無さに気付きます。県外にばかり関心があって、身近にある絶景には全くの無関心ってことが多かったんです。

また、こんなに素晴らしいものがあるのに、県内外から富山には何もないって言われるのが嫌でした。

そこに疑問を感じてからは撮った写真をSNSで発信するようにしました。

正直、全然反応がなかったんですよね。多少反応してくれるのはもともと富山愛が強い人達ばかりで、富山に無関心な人達ってのは見向きもしていません。

けどまぁ、それでも続けていたんです。富山の魅力を伝えたいという前に写真が好きだったので。写真撮る理由を無理やり作っていたといいますか。

それも数年続けていたのですが、次はまたあることに疑問を持ちはじめました。

それは「別にシャッターボタン押すの俺じゃなくても良くね?」です。

基本的にネットで撮影スポットを探したり、人が撮った写真の構図を真似して撮ったりしていたので、それなりにいい感じの写真は撮れるんですが、他の人とほとんど一緒の写真になることが多かったんです。

そう感じてから、それまで撮っていたやり方を変えました。

「自分なりの写真を撮りたい」と感じてから、自分が何をエモいと思うのか、何に感動しているのかということを自問自答するようになりました。

そこで出たひとつの答えが「地元のリアルな日常風景」でした。

今までは写真の中に「非日常」を求めていたんです。天気が悪い日は写真を撮りに行かないし、人が映るのは嫌だから人がいない時間を狙って撮っていたりしていました。

しかし今は、その日の天気はあまり関係ないし、本当の日常の中で感じた感動を撮っています。

これって地元にいて、なおかつ地元に愛着のある自分にしか気付けない魅力を凝縮させることでできあがる写真だと思うんです。

この気持ちで撮影してると、行動範囲が狭くなりました。前までは車であちこち行ってましたが、最近は自分にとって愛着のある、知らない人にしてみればなんでもない場所の撮影が多いのかなと思います。

人間誰しも「あ、いいな」って思う瞬間はあると思うんです。その風景に共感してもらえればと思って撮っています。

そろそろ話が長くなってきたのでまとめに入りますが、結局何が言いたかったのかというと、写真って撮る人の精神をよく映すものだなあと思うんです。

テクニックや云々じゃなくて、何に魅力を感じてたか。写真が映すものは鏡のようなもので、自分も映している。そんな気がします。

たぶん数年後、僕は今とまた違う写真を撮っているでしょう。

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