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電車に乗って「初めてのおつかい」

先日『小さな子供がはじめておつかいに行く』趣旨のテレビ番組を見ていて思い出しました。

10~11歳くらいの頃、親戚の家まで一人で電車に乗っておつかいに行きました。自ら望んで行ったのか、番組と同じに親が『カワイイ子には旅をさせろ』的に行かせたのか、そのあたりの経緯は全く記憶がないので不明です。兎にも角にも小学生の私は保護者ナシで親戚の叔母のところにお届けもの(さらに言うとこの時に何を届けたのかも覚えていない)をしたのです。

実家の最寄り駅は都営地下鉄大門駅。そこまでは子供の足でも10分とかかりません。改札迄は祖母が送ってくれました。小の文字が印刷された硬券をポケットに入れ、ホームとの柵越に乗り換えをおさらいします。
「東銀座で降りて、日比谷線まで歩いて、銀色の電車に乗る。」
「銀色でも乗ったらいけない電車は?」
「中目黒行はオバチャンちまで行かないからダメ。」
「そう、横浜とか桜木町ってのに乗るんだよ。」
「わかった!」
間もなくやって来た車両に乗り込み、何となく誇らしい気分で真っ暗な窓外を眺めていました。

乗換駅を間違う事なく、乗り換えもきっちり桜木町行に乗車し、叔母の家のある駅で下車し、トコトコと歩いて無事に親戚を訪問。
叔母と従妹らとお菓子を食べ、間違いなく来られたね…と褒めてもらい、ちょっと鼻高々となるとそろそろお暇する時間です。
この時に叔母はもしかしたら注意してくれていたかもしれません。
『来た時と同じ地下鉄につながるのは北千住行だからね!』とか…。
かなりの確率で注意はあった筈。そしてそれを全く聞いていなかったのは私が一人のおつかいが半ば成功して舞い上がっていたからだと思われます。

叔母と従妹に最寄り駅まで送ってもらい、お菓子だったかをお土産に持たせてもらい、再び小の文字の切符を握りしめてホームへの階段を昇ったのを妙に鮮明に覚えています。
間もなく電車が滑り込んできます。私は何の迷いもなく乗り込みます。行先を確かめなかったのは言うまでもありません。来た時と同じ景色が反対に流れて行く様をぼんやりと見ていると、分岐となる中目黒駅を過ぎていよいよ地下鉄日比谷線となるべく地下に潜り始める筈が、全く地下などなかった風に車両は地上を走って『代官山』と言う聞いたこともない駅に到着します。

キョロキョロと周囲を見回し、開いているドアから頭を突き出してホームを見渡します。一度たりとも来たことのない駅です。全くしりません。
(どうしよう…どうしよう…)
どうしたら良いのかなど浮かぶ筈もありません。
間もなく電車が発車する合図が鳴り響きます。私は意を決してこの見知らぬ駅で降りました。
当時の代官山駅は両側が切通しで、谷間にポツンと作られたようなホームでした。誰かにこの駅の正体(笑)を教えてもらおうとしたのですが、ホームには乗客などいません。不安な気持ちもあって、なんだか薄暗くて寂しい駅に見えてきます。
誰も居ない駅ですがきっと駅員はいるはずです。改札口は階段を上がった先です。そこには間違いなく改札員さんがいるに決まっている。そう信じて階段を上がると確かに一人の男性駅員がおられました。
小学生の女児が適確に状況説明などできません。何と言ったのかはさっぱり思い出せませんが、きっとしどろもどろに言葉を繋いだのでしょう。
「こっちは東横線だよ。日比谷線はこっちじゃない。」
印象として冷たい言いように感じましたが、一番重要なことを端的に教えてくれています。
「そっち(中目黒行ホームを指さして)から中目黒行って、そこで日比谷線乗り入れに乗ればイイ。」
言われるまま、別の階段を下りて渋谷発の東横線が来る側のホームへ行き、やってくる電車を待ちました。

急行は停まらない為、一本を見送った覚えがあります。
ほんとうに誰も居ないホームを家への戻り方を教えてもらい安心したので余裕が生まれたのでしょう、改めてゆっくりと眺めてみました。
切通しの上部からうっそりと枝を垂らす緑が吹いてくる風でザワザワゆれたり、何処からともなく踏切の警報機の音が聞こえてきたり、まるでたった一人で遠くの町まで旅をしたような気持ちになりました。
この後なんのトラブルもなく帰宅したのか、その道中はきれいさっぱり忘れています。戻った時、母に電車を乗り間違えた由を報告すると、あの駅員さんが誰よりも優しい言い方でレクチャしてくれたように感じるくらい、素っ気ないにも程がある一言を放り投げられました。
「渋谷まで行っちゃって、バスで帰ってくればよかったじゃない。」
「え?」
「渋谷って東横デパートのトコよ。何度もバスで行ってるでしょ?」
「え?え?あ…。」
ちょっとした旅から鼻高々で戻った勇者的気分が、ぺしゃんこになったのは言うまでもありません。

その後、大人になり就職した先の事務所は代官山でした。
副都心線乗り入れで今はあの切通しで涼し気な風の吹いてくる代官山の地上駅はなくなってしまいました。
もう、あの空間には二度と行けないんだなぁと偶に思い出します。