見出し画像

息子とのお話

6歳の息子と、遠く離れて暮らしている。
申し訳ないと思う。彼にとっての僕の存在の大きさは僕が思っている以上なのだろうと思う。離れる前夜に小さな背中を向けて泣く息子を見ると、切なさで胸が引き裂かれる。

息子は僕の性質を色濃く受け継いだようだ。探究心が凄まじく、集中力が高まると周りの声が耳に入らない。物事と物事に関連性を見出す。人の話を聞いている時に、過去に聞いた話で関連があるものを脳内で検索しているので聞いてないように見える。1つの事象に多くのものが絡むので、単純そうなことでも話すのに非常に時間がかかる。というより、聞いてる方は彼の中で築かれている膨大なつながりに気づくことすらできないので、理解ができようもない。
彼の中で「努力」という概念がない。好きなことをするのに努力は必要ない。好きじゃないことはしない。

僕の母は、僕のこの性質を矯正すべき問題と見ていた。僕自身も30代後半まで欠陥だと思っていた。実際、この性質にはかなり苦しめられた。矯正しようと行動を直そうとすると脳が悲鳴をあげる。その感覚に、指先などの末端の重い痺れがつづき、背中を無数の針で刺されるような苦しみがつづく。苦しい、ではなく、痛い。

ところが、30代後半で起業して、最初の一年で苦しみのピークを迎えたあと、「苦手なコト」の「コト」ではなく「やり方」が苦手なのだと気づき、苦手なコトでも好きなことをしながら遠回りや工夫をしつつできるようになった。そしてありがたいことに、本当に一緒に戦ってくれる仲間たちに出会った。

それで、えらい楽になった。

この前、電車のホームで息子を抱き抱えながら、「君は好きなことを苦しまずにできる才能を持っている。それは実は素晴らしいものなんだよ。一緒にどんどん好きなことしようね。」と話して、見送った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?