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過去に綴った自閉的思考文章

【長い前置き】

以下の文章は数年前に自閉症スペクトラム(以下ASD)の僕が悩みについて自己紹介を兼ねて綴った駄文である。気に入っている文章ではあるのだが、一度某所で公開をやめたっきり放置してしまっていたので後書きコメントを添えつつ改めてここにまた供養することにする。
ASDというのはここでは「こだわりが強くてコミュニケーションがなんだか独特な精神の障害」とでも浅く捉えてもらえばいい。詳しく知りたければネット検索であれもう少し信頼の出来そうな文章を参照することを推奨する。
ただし、この文章はそんな障害を持つの中の一個人の考えであり、全てのASDの人間がこのような思考回路を持ち合わせているわけでないことには留意していただきたい。具体的には、他のASDの人間に「この筆者と同じような考えを持ち合わせているか?」と訊ねたり、似た感性を持つ人間に対して「あなたは障害なのではないか?」などと言うのは失礼にあたるため控えていただきたいと思う。これはあくまでも定型発達(健常者)によくある思考に比べてASDによくある思考に近しいというだけの文章である。
……そして最後に、これら前置きは無知による不毛な批判を受けないための予防線・前提として障害を先に提示しているだけでもあることをご容赦いただきたい。

【本文】

人と話している時、僕は発話タイミングが未だに理解できない。
人が話していれば聞くだけ、またはこちらが話すだけになってしまう。
僕には会話というものの一般的な楽しみ方がわからない。
であるから、僕は現実でもネットでも冷静である限りは基本的に人に話しかけずに過ごしている。
架空の会話相手を設定してなんとなしに一方的にぼやいている方が人と話すよりも遥かに楽なのだ(もちろんこの文も例外ではない)。
そんなことから、自動的に「お前らが俺についてこい!」といったスタンスに陥りやすい。
もう少し詳しく説明するなら、自分が何か喋っていることやしていることに興味を持ってもらい、乗っかって頂く感じだ。
とはいえ、実際のところ、仮に話題性があったとしても僕には人様を引っ張っていけるような統率力と計画性はない。
当たり前かもしれないが、発話タイミングがわからないだけに、自身がやっていることの説明も困難を極める。
最終的には、人と関わるのは難しいという遠回りでありながら傍目には短絡的に見える結論に達する。
確実に意味があってやっていることであっても、熱中していることであっても、「何してるの?」と聞かれれば「わからない」と首を横に振らざるを得ない。
自分の行いが恥ずかしくて説明が出来ないのではない。
ただ、目の前のことを筋道立てて手短に話す能力が明らかに欠如しているのだ。
このような長ったらしい話を「何してるの?」と気軽に聞いただけの人は求めていないだろう。
となると、どこか説明を省かなくてはならない。
しかしそれが難しいのである。

もし、この話に「テーマは何か?」と投げかけた人がいたとする。
しかし、僕が答えられることは「わからない。しかしこの文の全てが伝えたいことの全てだ」ということのみである。
どこかで一周し、収束する球を求められても、僕は一方向に伸び続けるタワーを作ることしかできないのだ。
自分としても、球を作ろうとは思わないし、他人にタワーを作らせようとは思わない。
だからこそ僕は、他人になるべく話しかけずに生きているつもりなのだ。
もちろん、自分の作るものに興味を持ってくれる人がいるのなら拒否する理由はないが、こちらへの違和感に疑念を抱けば自然と人は離れていくだろうと推測する。

【蛇足後書き】

自身の気持ちはこの数年前の気持ちとミリほども変わっておらず、一般的感覚に馴染めぬまま不調和な日常を生きている。自分が一般的感覚でないことを伝えるべく長文を綴っては、長すぎるが故に人が寄り付かなくなる葛藤を抱えていたり、もしくは口頭での長い説明を諦め無言に徹し、せめて孤独を楽しむべく積極的に人の関わりを避けたりしているのだ。
数年前の僕も今と同じようにそれを理解していて不特定多数向けに、そして極力誰一人直接的に声をかけないように、ただただ諦観に満ちた嘆きを『このような長ったらしい話を「何してるの?」と気軽に聞いただけの人は求めていないだろう』と一人テキストに起こしているのだろう。

そして、まとまりのない文章を『この文の全てが伝えたいことの全てだ』『一方向に伸び続けるタワーを作ることしかできない』と開き直るように、虚勢を張るように、現実を受け入れてしまうように、自らの無能を自覚しては吐き出して溜め息をつく。

誰にも合わせられないからその代わりにこんな自分には誰もついてこなくていい。僕に期待したいなら期待すればいいが離れても文句は言わない。そもそもこのような感性を持つ者に興味を持ったとて、どこかで気味が悪くなって人は寄らなくなるだろう。……孤独なまま多様な価値観を知らず自分の殻に閉じこもりながら、僕は今も同じようにそう結論づけている。

それでも、テキスト形式の不特定多数向けの発言であれば誰かが読んで自分を知ってくれるのではないかと、一般的でない自分のことを好きになれるのではないかと、僅かばかりの承認欲求・自己顕示欲を捨てられずにいるために今も昔も自分のなんたるかを綴っている。

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