七十一話 ブルーオーシャン
雇われ店長・葛西の店『レッドツェッペリン』は、予期された低空飛行とは無縁のスタートを切る。意外にも即座に上昇気流に乗るという前代未聞のロケットスタートを切ったのだ。
「ある程度自由にしていい」と言われたことを真に受け、衆道や男色の品揃えを充実させたのだが、これがブルーオーシャンだった。
噂が噂を呼び、一都三県から連日客が押し寄せる。
客の要望に応えるため、二階にプレイルームを作った。たまに二階の騒音が下の書店の客に迷惑をかけることがあったが、それを補って有り余る売上を生む。プレイルームへ続く階段は、客の間で「天国への階段」と呼ばれ、『レッドツェッペリン』の名物となった。
土日祝の休日に、行列が途切れることは皆無。列は二階入り口から階段を伝い、一階売り場の書棚を蛇行して連なる。大入りの時は外まで続き、店回りを一周する現象が起きていた。
ここまで来れば、一階の客はおちおち本を選ぶことも出来ず、近隣の住民も奇異の目を向けるようになる。このままでは、警察のガサ入れが入りかねない。さらに、ちょうどこの頃、元居た吉原の風俗店が摘発乱交パーティーされ、今まで送金されていた運転資金も途絶えつつあった。
葛西は手狭となった店を改築し、半独立することを決意する。
警察の目をごまかすため、あくまで書店の体をとり、店名を『葛西書房』に改名。一階の売場面積を大幅増床し、合わせて上階プレイルームも拡張した。無論、二階はあくまで在庫置き場兼事務所の体である。こうして、SMのようでSMでない「ソフトSMホモの店」としてリニューアルオープンした。
店の方針を決める際、参考にしたのが布哇で聞いた日系ガイドの話だ。
一八四三年、ホノルル港にイギリスが攻め入り、まず布哇はイギリスが侵略した。が、イングランドの貴族で、著名な政治家として、海軍卿や北部担当国務大臣を務めた四代目サンドウィッチ伯爵が、オージー通いに傾倒。現を抜かし、布哇諸島をアメリカに売り飛ばした。
同サンドイッチ伯は、賭博を中断することなく食べられる食事としてサンドウィッチを考えた他、ジェームズ・クックの探検航海を支援したことでも知られ、自らの名が布哇諸島の旧名サンドウィッチ諸島や南大西洋のサウスサンドウィッチ諸島の由来となるほどの偉人だった。しかし、それを補って余りある変人でもあった。
布哇とポリネシア全土を掌握しているキャプテン・クックが、「ボロボロになった旗艦に新しいマストをつけてほしい」と伝言を送った際、オージー中のサンドウィッチは「それどころじゃねー」と言って無視。一週間後、クックは怒った現地人に殺されたが、気にも留めてない。
サンドウィッチのオージー倶楽部はヘルファイア倶楽部と呼ばれ、プリンス・オブ・ウェイルズやロンドン市長、ベンジャミン・フランクリンやビュート首相も名を連ねていた。
太平洋全域の制海空権を手放し、大英帝国は崩壊させるも、乱交の忙しさで全く気付いていない。「天晴れ!傾国のパンク、英吉利」だった。
「何事も腹八分目、やりすぎはいけない。大英帝国は崩壊しても、よもや大日本帝國の崩壊は許されない」
同胞ガイドはこう締め括ったが、この時、葛西も「何事も理性が飛ぶまでやってはいけない。自制を効かさねば」と肝に銘じていたため、今回ソフトSM路線に舵を切ったのだ。
例えるなら、ゴリゴリの共産党やマル革、中核派は嫌だけど、リベラルやマイルド左翼なら皆に浸透しやすい的な。いきなり強硬ハードコア路線では、警察のお目こぼしに授かれぬだろうと・・・。
そして、結果、これが当たった。スマッシュヒットした。
来る日も来る日も来客ひっきりなし。場末の闇として、エッジが立っており、これ以上ないアンダーグラウンド文化の発信源となる。かつての飲食店時代で考えられないことが起き、あっという間に人手不足に陥った。
嬉しい悲鳴。葛西は興奮に乗じて、NTTの電報で、石川から松井を呼び寄せる。地元金沢で野球を失っていた松井は、無職でくすぶっていたこともあり、即この渡り船に乗った。
こうして世界LGBTQタッグ王者が、『葛西書房(ソフトSMホモの店)』という適性な場で、十数年ぶりに再結成を遂げる。
時が経つのは早い。葛西は感慨に更けていた。
何だかんだで浦安から一家で夜逃げし、ブラジルに旅立ってから、二十年余りが経過している。この間、細かいものも数えると、転職数は悠に二十では効かないだろう。
苦楽は二項対立するものではなく一体だ。商売も落ち着き、やっと人一人暮らしていける程度の稼ぎを得れた気がする。
歳の頃、四十も半ばに差し掛かり、葛西は人生を振り返ることが多くなっていた。
「人生百年時代と考えると、ちょうど半分。松、何だかんだで人は、うまい具合できてるな」
「まあ、そうっすね」
松井がそっけなく答える。
二人がレジで暇していると、近所のガキらが入店して来た。
「初見すっね」
「ああ・・・」
眠っていた葛西が、半目で見ると、五、六人が、緊迫した面持ちで成人コーナーの方に向かって行っている。内一人は自分と同じ冒険臭がする。栗巣である。
しばらくすると、ガキらが猛然と走って出て行った。栗巣も最後に一応出て行くが、明らか未練を漂わせている。
「あいつ間違いなく戻って来るな」
「でしょうね」
LGBTQタッグ王者の予感は当たった。
葛西・栗巣、邂逅の刻だった。
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