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「老化」は防げないけど「老害化」は防ぎたい


「あぁ、肌のツヤやキメの細かさがなくなって来たなぁ」

「こんなにたくさん目元の小じわがあっただろうか・・・」


毎日鏡を見るたび、年齢の現実を突きつけられるわけだけど「老い」というものは仕方がない。

メイクもファッションも、似合っていれば年齢とは関係のないものだと思っているのだけど、それよりも今の自分を受け入れられないことや精神的に幼いことの方が嫌で、日々自分の感情と行動を客観的に観察している。

20歳そこそこで社会に放り出されて、良くも悪くも影響を受けた大人はたくさんいる。


年齢関係なく遊びに行けたり相談しあえる人に出会った時、すごく嬉しかったから、私もいつか年下の子と仲良くなったらこうやって関係を築こうと思った。

八つ当たり要員にされたり、マウンティング対象にしてくる人に出会った時、すごく嫌な気分になったから自分は絶対にこうならないと決めた。


それで、犬の食に関わる仕事を始めてもう6~7年?8年?ぐらい経って、いい感じに肩の力が抜けて、自分の考えを言葉にすることに抵抗がなくなっていく。

で、こんな文章↓も発信できるようになったりする。


なんでもそうだけど、あえて何かひとつの商品、考えを押し付けないように気をつけている。


外見的な老化は仕方ないとして、私は”老害”にはなりたくないから。

・私はこのやり方でうまく行ったからあなたも絶対そうしなさい

・やりたくなくても、売れるものを作りなさい

・自分は何者か明確にしなさい

例えば、こんなことを言ってくる人はザラにいる。ははは(苦笑)


■全員に当てはまる成功法則はない

俗に言う”成功法則”はたくさんあって、人が変われば言っていることが真逆になることもある。

例えば、家族経営でうまく行っている人は「家族経営はおすすめだ」と言うし、それを鵜呑みにして家族経営にしたら溝ができた人は「家族経営は失敗する」と言う。それは”その人の正解・成功法則”であって、自分に当てはまるかは全くもって別問題。

”自分は”どうしたいのか、何をやりたいのか。

「成功」という曖昧な概念を、自分はどう設定するのか。

もし、私がアドバイスする側に立つならば、それを引き出すことに尽力したい。

老害化予防対策としてメモ。笑


■やりたくないことをやって、目が死んでいくならば

好きなことを仕事にしない方がいいという人は一定数いるけれど、私は断然好きなことをやって行った方がいいと思う。

今日も、明日も、明後日も、やりたくないことのオンパレードで幸せを感じる余裕はできるだろうか。悩んでいる人に対して「俺も我慢してんだから、お前もそれぐらい耐えろよ」と言いがかりをつけない自信はあるだろうか。

もちろん、大人としてステップアップしていくために乗り越える試練や課題はあるけれど、「夢?諦めたよ・・・」とやりたくない仕事を渋々やっていた時は、目が死んでいた。笑

やりたいことがあるのに、うまく行かなくてイライラして落ち込んで、バイトを掛け持ちしていた時代も目が死んでいた。笑

そして、入院するレベルの体調不良になって強制終了するパターンだ。


やりたいことをやるために、収入とか資金作りとか色々な事情で一度別の仕事につくのがダメとは思わないけれど、ハッキリと目的を定め、覚悟を決めないとズルズル引っ張られてしまうと思う。

その原理で「本当にやりたいことはしないで、まずは売れることしなさい」というのは間違っていないと思うけれど、「やりたいことなんてうまくいかないんだから、万人受けしなさい」というニュアンスで、やりたいことへの炎を消すような大人にはなりたくない。

でも、売れることっていわゆる”量産的なこと”や”自分じゃなくてもいいこと”だったりするから、今の時代それは結構溢れていてそれをやってくれる人や企業はすでにあって。わざわざ個人がやることでもないと思う。

やりたくないことでやる気出すのにエネルギーをそそぐならば、「本当にやりたいことを毎日やるために、今の状態でやりたいこと・できることは何か」にエネルギーを注いだ方が、よっぽど人生楽しくなると思う。

老害化予防対策、その2。


■”私”とは、”私”だよ。

私がこの仕事を始めた頃、ブランディングや差別化について書かれた本やブログ、セミナーにたどり着くことが多くて、単細胞な私はもちろん「ブランディングしなきゃ仕事こないんだろうな」と表面的に思いつつ、心の奥底では「ブランディングをしていない私は価値がない」とまで感じていた気がする。

さらに「自分は何者なのか、一言で言えるようにすべき」みたいな情報にたどり着くことが多かったな。というか、”〜すべき”ってなんだ。最近よく見るけど、私はその言い方が大嫌いだ。笑


”私”とは”私という人間そのもの”のことであって、資格とか肩書きとか外側のことで左右されるものではない。

肩書きや実績で価値を測ろうとする人はいるけど、それがないと認めない、という風潮は好きではないし、それと人間としての価値は別物。肩書きがあろうとなかろうと、実績があろうとなかろうと、私そのものの価値はなーんにも変わらない。


で、差別化というと同業者とか似た職種の人がやっていないことをやるとか、価格競争とか、マニアック度とか・・・”自分がやりたいこと”でもなく”お客さんが喜んでくれること”でもなく”ライバルに勝つこと”が目的にすり替わっていたりするよ。

例えば私の場合、ブログとかオンラインレシピブックの写真撮影や編集も、スタイリングも自分でやるから、それを”強みだよね”と言われることがめちゃくちゃ多い。



そういう感想をもらえること自体は嬉しいし、そう言ってくれた人たちを否定することもない。

ただ、私にとってスタイリングも写真もあくまでオプション。好きでやっていることをより良いものにするべく取り入れただけで、差別化のために始めたわけではない。

もし私が「手作り犬ごはんの写真、フードフォトのルールに沿って一眼レフで撮ってる人っていなくない!?」という理由で始めたとしたら、もしそれができる人を見つけてしまったり、この先そんな人が出てきたらめちゃくちゃ焦る。笑 

何か危険なことをしているわけでもないのに、こんなのフードフォトじゃない!とか勝手に批評家になったりね。笑

それで、最初に書いたような「私はこのやり方でうまく行ったからあなたも絶対そうしなさい!!!!」みたいな上から発言をするようになったり、自分を見失ってしまうのでございます。

差別化はいらないよ。自分の好きなこと、周りを幸せにすることを一生懸命追求したら、それが唯一無二のものになる。

老害化予防対策、その3。


■だからつまり、自分自身を心底大事にしてあげたい

朝起きて、枕元のスマホに手を伸ばし、SNSやメールを見る。朝ごはんを食べながらニュースでは色々な事件やゴシップを見聞きして感情が揺さぶられる。この揺さぶられた感情の中に、安心感はあまりない。

今日の仕事ことを考えながら出勤して、電車の広告で他人のことを知ったり、迷惑な人に遭遇した日にはイライラさせられたり。

帰ったら夕飯を食べながらテレビを見て、スマホをポチポチしながら流行を事細かにチェックし、気づいたら寝て、また朝が来ている。

こんな生活をしていた時、自分の感情に気を配っている瞬間がどれだけあっただろうか。

カレー屋さんでオーダーする時でも、カツカレーがいいのか、チキンカレーがいいのか、セットのサラダやドリンクは本当にいるのかいらないのか。そもそも私はカレーが食べたいのか。自分の食べたいものすらもキャッチできなくなっていた時代がある。当然だけど・・・生きづらかった。笑


スタバに入って、今日は豆乳ラテなのか、アメリカーノなのか。ホットかアイスか。サイズはどうするのか、氷の量はどうするのか、めちゃくちゃ細かく自分の願望を叶えてあげる。

スタバみたいにカスタムの自由がきかないお店でも、一旦希望は伝えてみてもしダメだったらそのまま受け入れればいい。私の場合はこういう時、ワガママな要望は出てこない。相手を困らせたり試すためにやってるわけじゃないからね。

そうすると不思議と、周りの人にも自由な選択肢を投げかけられるようになったり、相手の意見を尊重できるようになる。(合う・合わないもあるけれど)

果たしてこれが、老害化対策になっているのかは未来に行かないとわからないけど、”老害化対策を掲げた老害”になったらどうしよう(笑)と、一瞬よぎったけれど、誰かの才能を引き延ばしたり、生きやすくなるために救いの手を伸ばしていけたらいいな、と今日も毛布に包まりながら考えています。


いちかわあやこ


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