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随筆(2022/10/27):自尊心や自信がないと、謙虚になるかもしれないが、卑屈にもなるし、他人の善意が全部悪意に見えてくる_5_FIN.他人の善意が全部悪意に見えてくるのは分かるが、やはりそれらの見分けはできるだけつけた方がいいですよ

5.他人の善意が全部悪意に見えてくるのは分かるが、やはりそれらの見分けはできるだけつけた方がいいですよ

5.1.自尊心や自信がないことによるもう一つの弊害は、他人の善意をまず全部悪意として疑ってかからねばならなくなるところにある

自尊心や自信がないことによる弊害は、「礼儀というものを矮小化して毀損する」以外にも、少なくとももう一つあります。

何か。

その弊害とは、
「他人の善意をまず全部悪意として疑ってかからねばならなくなる」
ということです。

***

まあ、当たり前なんですよね。
今までの話でも散々してきましたが、
「偉そうなやつが偉そうに説教欲のズリネタにすべく自分に絡んでくる」
ことが多々あったのです。
この行為が「他人を自分の都合にかかわる環境か道具としてしか考えていない」振る舞いである、かなり「悪い」、「下劣な」ことだということは、これも何度も説明してきました。

たとえ、それが善意に基づくものであろうと、それは
「他人をまずは自分の都合とのかかわりで捉えて、その上でそれを尊厳ある人と尊厳ある人との関係に持ち込んだ」
という無礼を、何ら正当化しません。
何なら、
「他人を自分の都合とのかかわりで捉えて、その上でそれを尊厳ある人と尊厳ある人との関係に持ち込む」
行為自体、悪意と言っていいでしょう。
「自分の都合のために、お前は都合よくなれ、って言ってんの。
え? 嫌だ? 何を人間の顔して一丁前に抵抗なんかしてんの?」
というの、端的に「舐めて」ますよ。
「舐めているが、善意でやっている」
という話、無理でしょ。
「都合とも自由意志とも関係なく、やらなきゃならん事情があるから、義務感でやっている」
と答えた方が、まだはるかに「正直」だ。

そんな訳で、彼らの言う「善意」が、本当に善意である保証はありません。
見る限り「悪意」としてしか取りようがないことは多々あります。
こんな中でやっていたら、「他人の善意が全部悪意に見えてくる」の、当たり前なんだよな。

5.2.中には本当の善意もあるし、それをも悪意として一蹴してしまうのは、やはり、よくない

とはいえ、その中には本当に、侵襲的でない、
「聞き手の自由意志によって採用したりしなかったりされても仕方がない」
という、礼を尽くした謙虚な姿勢でお出しされる、見せかけでない本物の善意での発言もある訳です。

それを
「採用しない」
のは聞き手の自由意志ですが、
「こいつは実際には悪意で採用を迫っているに違いないから採用しない。
そしてこいつはたった今から敵対的行動の対象である」
というの、まあどう考えても処世では悪く効くスタイルですね。

相手は本当に善意で言っており、侵襲も避け、礼も尽くしたのであり、その上で
「こいつは自分に宣戦布告をしたと解する。
よって自分とこいつはたった今から戦争に突入したことを公示する。
何を意外そうな顔をしている? これはお前が始めた物語だろ」
と言われたら、まあ相手は唖然とするし、相手だって聞き手との間に会話の余地があるとは思わなくなるでしょう。
現実にだいぶシリアスなトラブルを引き起こすレベルの無礼を、しかも聞き手がやっていることになります。
これは、聞き手の謙虚さ、否、実質的には卑屈さを以てしても、何ら正当化できません。
「そっか。死ね」
くらいの感覚で処理されるでしょう。

***

だから、何もかも悪意で取るのはやめましょう。
いまいち実感は湧かないが、相手がとにかく侵襲は避けており、理解しがたい何らかの礼を尽くしているように何となく見えたとします。
もしそうなら、それは敬意を以て遇されて、その上で何らかの話を伝えようとしているのだ。とまず思いましょう。

***

そして、
「実感が湧かない」
「理解しがたい」
のはなぜかというと、
「自分の中に、誰かから自尊心や自信を肯定してもらうフックがないから」
です。

もちろんここで
「誰も自分を肯定しないのに、誰かから自尊心や自信を肯定してもらうフックがどうとか言い出したぞコイツ。死ね」
と思うでしょう。
が、ここでいったん
「誰かの礼を尽くした行動、ある種の肯定を、悪意ある皮肉、実質的な否定としてしか受け取らない」
ことをしていないかどうかは、真剣に検証してみましょう。
もし
「悪意ある皮肉にしか見えない? 悪意ある皮肉しか存在しないからに決まっとるやろ」
と思うのなら、残念ながら
「本当はその誰かは自分を尊重して礼を尽くして振舞っていたのに、自分は悪意であると一律解釈して、そいつに牙を剥いて睨みつけて無礼で返した」
ということをしている可能性が極めて高いのです。
つまり、本当は、礼を尽くしてはいる人はいて、それを無視して悪意で解釈しているだけではないか。
だとしたら、そいつのやっていることが、礼儀なのか、皮肉なのか、曖昧にでも判別出来ておいた方がいいですね。

「自分を傷つけない」
ということが
「自分を傷つけるに決まっている」
に覆い隠されてしまっているのなら、「誰かから自尊心や自信を肯定してもらうフック」などある訳がありません。
あってもそれは
「周囲は自分を傷つけるに違いないので、自分が自分を守らねばならない」
というもので、それは「誰かから自尊心や自信を肯定してもらうフック」としては機能しないものになります。
これで処世なんかできるかというと、まあ無理ですよ。

5.3.礼儀のテーブルについて、その上の果実を食い、無礼者とは絶縁するのが一番だ

「皮肉かもしれないが、礼を尽くされたら、腹の底でミンチにしようが何だろうが、礼儀として有難そうに受け取れ。
たったそれだけでも、礼儀のテーブルの上の果実、自尊心や自信や礼儀や、いろんな信頼や収入や生計の円滑さは、わずかながらに回って来る。
相手が本当に礼儀を尽くしているのなら、その果実は全部本物だ。ふつうに食え。
そして、これからも旨味のある礼儀のテーブルにしがみつくために、自分も礼儀のテーブルの上で礼儀をやっていけ。
すると果実がどんどん回って来る。有難味が大きい。ぶっちゃけ、チョロい。
でも、後で、そいつの一つ一つの振る舞いが、どう見ても皮肉にしか見えなくなったら、その時は絶縁すれば良い」

ひどく直感に反するでしょうが、こういうことを、結局はせざるを得ないのです。
これをやっているうちに、礼儀正しく舐めたりせず食い物にして来ないやつだけが周囲に残り、無礼者は絶縁されまくる。(自ら残したり絶縁したりしたのだから当たり前だ)
結果的には途方もなく住みよい環境になる。

***

自尊心や自信を持ち、敬意を払い、礼儀正しくあり、謙虚であることは、全部両立可能であるというか、一連の繋がりですらあります。
やっていきましょう。

(以上です)

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