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随筆(2020/5/29):キツイ勉強をなぜやるか(7_FIN)教育をただでくれるというのなら、もらっとけばいいんだ

3_10.「何で福祉国家などということをやっているのか」という不思議については、実は政治家の側にもそれなりの理由がある

「マジか。
福祉系の事業所福祉系の役所のやつらは、親切でないのに、人に献身してくれるのか。
何それ怖い。ナンデ? そういう教義のなんか?」

福祉系の事業所や福祉系の役所には、そういう不思議がつきまとう。

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しかし、そういう職務を、セーフティーネットとして、どこかの誰かがしないと、万人が安心して老後を迎えられなくなる訳だ。
かなり無理めの仕事をオーダーとして余儀なくされて、しかもダメージがあったときのケツモチを誰もしないんだったら、そういうかなり無理めの仕事をするリスクなんか取らねえ。という人はふつうに多いだろう。
下手すると金がないから子供も育てられねえ(俺がそうだ)。

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じゃあ、高齢者負傷者介護者子供養育者は、
「は? こんなやつら誰が許すか。あいつらに落とし前をつけさせてやろうぜ」
となって、共産革命を起こすか、とんでもない人に票をぶっこんで、政権を最大限苦しめるという博打戦法に乗る。ということが多々ある。

(もちろん身の破滅も含め)何らかのライフスタイルを変えることを余儀なくされたために、前の政権に不満のあった人たち、避けがたく出て来る。
そういう人たちが博打のために選挙で
「前の政権に不満はないか。あいつらに落とし前をつけさせてやろうぜ」
という、(誰かの仕事をやめさせて、浮いたコストを再分配することも含めて)「汚いカネモチから奪う」以外の実務の話をしない、とんでもない政党党員に票をぶっこむことになる。
さっき言った共産革命も、そういう性質は否めないでしょう。
もう共産革命は起きないかもしれないが、解像度を落とすと、同じ趣旨のことは、アメリカ大統領選挙戦で見ることもあるでしょう。そういう話です。

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前の政権の政治家たちにとっては、こんなもん大迷惑に決まってる。
一番困るのが、これまで構築した制度を、白紙に戻されることだ。
それが、公共を回すために、何らかの意味で必要だと思ったからやったんで、そのために議会で説得を果てしなく続けて、ようやく通した訳だ。
それが、
「その仕事、必要かどうかは知らないが、コストがかかるので、やめさせて、種もみを吐き出させて皆で食えばええんや」
という革命家とんでもない議員コナゴナにさせられるんですよ。
わざわざ公共の仕事に就いた人だったら、そして自分の業績が自信の源になっている人なら、自分の作った仕組みが瓦解するの、まあメチャクチャ腹が立つと思いますよ。
「出来る」「出来た」ということは、たいていはとてつもない自信の元です。それが、革命家とんでもない議員に、丸ごとぶっ壊されるんだ。ぶっ壊されるのが自分の自信だけだったらまだしょうがないが、公共を回すための仕組みぶっ壊される。勘弁して欲しい。

それもこれも市民を食い詰めさせて見殺しにしたからで、不平不満を吸収しきれなかったためだ。
自分が作った、公共を回すための何らかの仕組みそのものに、そういう「市民を食い詰めさせて見殺しにする」性質があるかもしれない。
そうなるとさらに革命家とんでもない議員言い返しづらくなる。
だって、向こうは
「お前らのその政策こそが諸悪の根源だ」
という話をするに決まっているのだし、支援者は当然それに乗るし、おそらくは次の選挙でも波乱が続くでしょうね。

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こんなんで中長期的政策を立てるの、かなり大変だ。責任を持つ立場の人たちが、誰も中長期的に残らないなら、そんな政策、誰も責任を持ちようがないからだ。自然と、そういうのは、粗略に扱われるようになる。
中長期的政策を構築したい系の政治家にとっては、これはとてつもなく困った事態です。中長期的政策が立たないと、公共は中長期的には回らなくなるんだから。
そしてそれは短期的にどんなに頑張ってもどうにもならない。中長期的政策をコツコツやらないとダメなやつだ。わざわざ公共の仕事に就いた人だったら、今こうしてそれを壊されるのは、とてもとても困るんだ。

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そんな訳で、市民のライフスタイルを書き換える。特に、食い詰めさせる。見殺しにする。そしてそこで生じる不平不満を吸収しきれない。ということは、そういうとてつもない政治的混乱と、公的な仕組みの瓦解をもたらす。わざわざ公共の仕事に就いた人たちにとっては、こうなるのは超困る。
だから、福祉国家という約束事や仕組みでは、

出来る人に事業や商取引をやってもらって、富を大量生産出来るようにして、貧富の格差はやむなしとする。そういうのが、国家体制としての資本主義だ。
であろうとも、市民を食い詰めさせて見殺しにすると、共産革命かどうかは分からないが、革命か、ポピュリズム選挙のリスクが高まる。
それに、市民を食い詰めさせて見殺しにして何の手当もない。というの、ある種の国家で行われていることとしては、やはり失政と言って差し支えないだろう。そういう国家は、市民の生殺与奪の権を握っており、そこにおいて責任もあるのだから。ここをないがしろにしたら、革命やポピュリズム選挙による国家転覆、ありうる。
だから、食い詰めさせないように、見殺しにしないようにしましょうね

という力学が働く。
別に、伊達や酔狂や、何らかの不可思議な教義で、福祉をやっている訳ではないのですね。

3_11.教育は確かに「押し付けられるもの」であるが、しばしば「適正なやり方を、ただでくれるもの」だ。じゃあ、もらっとけばいいんだ

そんな訳で、信じがたいが、福祉系の事務所や、福祉系の役所は、偽物を使って現実逃避をしなければならないほどキツい現実で生きている人に、ヌルい現実をもたらしてくれる。

もっと信じがたいだろうけど、そこにいる人たちが、低くない確率で、何らかの親切や職務のため、才覚や器量を得る方法を教えてくれることすらある。
だって、子供への教育でも、就労教育でも、生涯教育でも、教育はたいてい福祉だからだ。

キツい現実で生きて来た身としては、ヌルい現実を語るやつらに、正直腹が立つだろう。
が、適正なやり方を、ただでくれるんなら、もらっとけばいいんだ。
それらは、いつか、自分が生きていくための武器、ある意味で真正に真実の「この世界でいちばんいい銃」、「いちばんすぐれた小銃」に変わるだろう。

3_12.目の前に与えられた、本物の真実を、そして現実を、バリバリムシャムシャバキバキゴクンと飲み込んでやろうな

まあ、だから、偽物じゃなくて、本物の真実を、バリバリグシャグシャバキバキゴクンと飲んだ方が、さまざまな局面で、便利ですよ。
真実を飲み込んだ者だけが、自分や人々をバリバリグシャグシャバキバキゴクンと飲み込もうとする現実を、逆にバリバリグシャグシャバキバキゴクンと飲み込むことが出来る。
(そもそも、福祉でもたらされたヌルい現実そのものが、キツい現実の有害さに頭を悩ませた、わざわざ公共の仕事に就いた政治家たちが、キツい現実をバリバリグシャグシャバキバキゴクンと咀嚼して作ったものだったりする。
それは、人々の努力の産物であり、真正な真実の約束事、仕組みだ。現実だ。
だから、揺るぎなく、頼ればよいのだ

いつか、その真実は、めくるめく法悦に満ちた、しかも揺るぎない人生をもたらしてくれることだろう。

やっていきましょう。

(いじょうです)

(ようやく終わった…)

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