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随筆(2020/3/17):「自分は他人に害されるべきではないが、他人が自分に害されようが、どうでもいい」人たち

1.他人の私的領域を侵害する人


よく、他人の私的領域を侵害する人がいます。
他人の私的領域の所有や、他人の行為を第三者に左右されない地位や、他人の持つ「侵害されない」自由「侵害」されている訳です。

***


呼吸のように他人に暴行陵虐して良いと思っている人、います。
唖然としますが、今まで私が見てきたケースに即すると、どうやら

自分の所有や地位や自由は、他人から侵害されるべきではない。
他人からの侵害に抵抗するためなら、他人の所有や地位や自由は侵害されることがありうる。
(はい)
それの原因が、自分が他人の所有や地位や自由を踏んだからで、それは実際には他人からの抵抗だったのだ。としても、それがどうしたというのだ。(はい?)
他人からの抵抗だろうが何だろうが、現に私は他人に所有や地位や自由を侵害されている。許す訳ない。
まして、私が悪かったという話は受け入れられない。他人が侵害されたかどうかなど知ったことではないが、現に私は侵害されたんだ。これ以上非難されて、さらに危害や損害を受け入れろ、と? 誰が受け入れると思った?
現に私が害されたのに、誰も償わない。むしろ償わせようとしている。ふざけるなと言いたい。

倫理面してるんなら、誰かが償えと言っている。償わないだろう。倫理面のくせしやがって。
じゃあ私が自力で相手に、世間に償わせるに決まってるだろ。
当たり前だ。なぜ理解できないのか? 頭悪いのでは?
それとも、倫理面したいが倫理はやりたくないから、急に頭が悪くなったふりをしているのか? そういうところだぞ。頭の悪さと小賢しさを都合よく出したり引っ込めたりするんじゃあない。そういうことをするから、お前らは倫理においてはいかなる信頼にも値しないんだ。分かっているのか?
ということで、お前らの言うことなんか信頼に値しない。やりたいようにやるし、私の仇は私が討つ。今さら文句言うな」

みたいなことを考えているようなんですね。
つまり、

「我々の暴行陵虐は、自分が何らかの形で害されたという認知と、復讐の公正の倫理道徳に即して、正当な復讐に他ならない。
これを妨げる周囲、むしろ倫理道徳をナメている。そんなもん鼻で笑うに決まってるやろ」


そう思っているようなのです。

怖い。

2.相手や万人に通用する倫理道徳と、自分の中でのみ通用する倫理道徳


言ってることの一個一個は、同意はしないまでも理解は出来るんですが、同意はしません。
だって、彼らの言ってること、要するに

自分は他人に害されるべきではないが、他人が自分に害されようが、どうでもいい。
自分は害された訳ではないし、痛くないからな。

何なら、それは復讐の公正の倫理に従い、正当化されるし、正義に沿っていることすらある。
そこにケチをつけるやつ、要するに邪悪生物なので、そいつらの言ってることには、何の価値もない」

ということに過ぎません。

***

そりゃあ、相手や万人に、社交や処世で効き目のある倫理道徳としては、なーんも通用せんだろうよ。

倫理道徳には、相手や万人に通用する広い公理系と、相手や万人にそのままでは通用しない、狭い公理系がある。
ぎょっとするかもしれないが、個人には妥当するが、相手や万人には妥当しない倫理道徳、あるんです。
それは、たいてい、自分のためには断固として必要だが、悲しいかな、相手や万人には通用しない。向けられない。自分だけの灯火だ。

今のところ、地球では、人一人が生きることを、とやかく他人にどうこう言われる筋合いはない。その手の権利は、大事な倫理道徳だ。
だが、
自分の生存大事な倫理道徳である。(はい)
よって、そのために水路をガメるのは倫理道徳にかなったことである。(はい?)
その結果、お前らが渇いて死んでも、倫理道徳にかなったことである
となったら、まあ、
「他人の不可欠な基盤である生命・身体・財産を損なうような、自分の実践は、100%フリーというわけにはいかない」
という、JSミルのような古典的自由主義的な他者危害原則のような、より広い公理系には、まず勝てないでしょうね。適用範囲の広さが圧倒的に違うんだから、人の数で、世間での通用の度合いで、勝てる訳がない。
そうなると、「自分の生存」は、あまねく広い公理系の不可欠な基盤かもしれないが、そのままでは相手や万人に通用する能力を持たない。
それが出来るとしたら、相手や万人に通用する広い公理系に不可分に組み込まれて運用されている時だけだ。エンジンは要だが、エンジンだけで車が走る訳がない。そこは、「そういうものだ」と押さえておかねばならないポイントだ。

倫理道徳の話を、相手や万人にするなら、相手や万人に通用しない狭い公理系の倫理道徳の話をしても、何の意味がない。
それが、相手や万人に通用する広い公理系の、これこれこのような部分系として位置付けられている。というレベルの解像度でバチッと言えなければ、そんなもん相手や万人に通用する訳ないやろ。

***

同じように、「復讐の公正」という倫理道徳と、相手に通用する「公正取引」とは、区別される。

いわゆる公正には、
「投資したら割増で報酬があり、それが誰かに不当に吸われることがないし、割増の多いネタを誰かがガメない」
というタイプの投資の公正(これに万人の平等の概念を加味すると、「万人が投資のネタや割増率や報酬を不当にガメられない」衡平 equity というやつに近似するようになる)とか、
「誰かに脅かされたり、損をさせられたり、害されたりしたら、相手にそれ相応の罰がある」
というタイプの復讐の公正とか、
「あげたらいつかお返しがある。そこでケチられたりケチったりしたらダメ」
というタイプの公正取引とか、いろいろなバリエーションがある(おそらくは他にもあるだろう)。

投資の公正衡平は、独占禁止法の世界だが、投資一人でもできる。一人で我流の鍛練をして、労力を費やして知見を得ている人、たくさんいるだろう。
同様に、復讐の公正は、実は一人でもできる。「自分が他人に、脅かされ、損をさせられ、害された」と思えば、たとえそこに損や害が認められなくても、勘違いでも、ふつうに成り立つからだ。
つまり、「脅された」というところで、外形的には威嚇でなくても、脅威ですらなくても、本人がそうだと悪意をもって解釈すれば、それは脅しとして受け取られる。という、無からあたかも有が湧いてくるがごとき無限バグが発生しうる。
「脅かされた」というのが、悪意の解釈による無限バグなのか、実際に自然な解釈で脅威や威嚇と言えるやつか、そこは明確にしなければならない。
前者の場合、それは自然な解釈では脅威でも威嚇でもないのだから、相手にされない可能性はとても高い。

えげつない話だが、脅されたことへの復讐の公正は、JSミルのような古典的自由主義的な他者危害原則とは、あまり関係がない。
JSミルの他者危害の話が、古典的自由主義と関わりを持つ場合、それは「他者の生命・身体・財産にかかる危害」のこととしてふつうは解されるはずだ。
生命・身体・財産は、古典的自由主義で頻発するキーワードです。覚えておくと便利な場合もあるでしょう。日本の法体系は基本的には自由主義と整合的なように作られているので、ふつうは何をやっても出てきます

復讐の源となる脅威・利害・苦痛・負傷等は、利害・負傷はともかく、脅威・苦痛「とりあえず別の概念」であるし、「とりあえず別の理屈で正当化されるべき」でしょう。
しかもその別の理屈は、相手や万人に通用するものでなければならない。そこの理屈がきちんと整理されている復讐の公正と、そうでない復讐の公正が、同じように相手や万人に通用するか? 無理でしょう。それは。理屈は整理されていなければならない。

***

同じことは、万人に通用するための倫理道徳、「平等」においても同様です。何らかの倫理道徳を語るからには、それは平等とどこまで整合的か。整合しないのならそれはどのような理屈で正当化されるのか。その辺の詰め将棋は行わねばならない。

自分と相手の間の公正取引や、自分を含む万人の平等が、何かの倫理道徳の前提に最初からあるなら、それは同じ約束事を呑み込んだ相手や万人にも、ふつうはきちんと通用するよ。それによるメリットが、公正取引や平等を通じて、ちゃんと期待できるんだから。
で、それらをすっ飛ばして、論じられる所有や地位や自由、果たして相手や万人に納得をもって、倫理道徳として受け入れられると思うか…?
万人に納得してもらうには、公正や平等、かなり大事なチャネルではないのか…?


3.その他のありうるパターン


もちろん、上の話、他のケースがありうるため、これが全てのケースに当てはまるとは思っていません。
また、単に「他人への侵害」ということに対する解像度と嫌悪感が低い。という場合もかなりあるでしょう。
というか、「学級会しぐさvs.不案内な粗忽ニュービーvs.悪意ある荒らしvs.私刑しにきた在野の警察気取り」という永遠の問題、どう考えても不毛なので、どちらにも与したくないんですよね。

4.まとめ。そうねえ。


とにかく、
「自分は他人に害されるべきではないが、他人が自分に害されようが、どうでもいい」
というの、公正取引や平等に鑑みて、通らないやつなので、相手や万人に通用しません。

自分や相手や万人の中に、それがあるのは当たり前です。
が、そういう気持ちが非常に強く、当然だとしか思えない。公正取引や平等に対して、特に大事な倫理道徳とは思えない。復讐の公正の方が優先される。そういうモードになっている時は、ヤバイ。といえます。
相手や万人は、そんな人に絡まれたくないから、超高速で離れていくし、そんな人の話なんか聞きたくないんですよ。気を付けるしかないんじゃないの。そうですね。そんな感じ。
(本当に貴重な昼休みを費やしてまで、一体何書いてんだお前…?)

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