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随筆(2020/4/26):タワーディフェンス大器晩成型は、人生ゲームRTA型に対して、いろんな意味で勝ち目が薄い

1.「タワーディフェンス大器晩成型」と「人生ゲームRTA型」

「大器晩成」という言葉がある。年を取ってから花開く遅咲きのタイプだ。
彼らのことを、ここでは「タワーディフェンス大器晩成型」と呼ぶことにする。
逆に、人生の太い人的・経済的・政治的鉱脈にテキパキたどり着いて、テキパキ掘って、成功して、立身出世するのが大事で、後のことは別にどうでもいいですし、後でいいです。という、早咲きのタイプもいる。
彼らのことを、ここでは「人生RTA(リアルタイムアタック)型」と呼ぶことにする。

もちろん、先に成功して、(そしてここからが大事なのだが)「より長い時間、大量のリソースを、好きなように活用出来る」のは、これはどうあっても、圧倒的に、人生ゲームRTA型の方だ。
こうなると、生きていく上で、圧倒的に難易度が違って来る。
ぶっちゃけ、人生ゲームRTA型をやるのが生きやすさのコツであり、タワーディフェンス大器晩成型をやると死にやすくなる。という話になってしまう。ここはごまかしてはいけない。

もちろん、人生ゲームRTA型になると、毎日浴びるように仕事ばかりやることになり、忙しくなりがちだということは分かる。
が、目の前のスシやステーキをスルーしてまで「楽して曖昧に一生を終えたい」と思うか? それ、そういう拷問(スシ・トーチャリング)か?
さもなくば鬱の症状? 分かるよ。ホルモンの枯渇、しばしば、食欲がものすごくバグるからな。あるやつだ。俺もなったことがあるもん。
でも、うまいスシやステーキが食えるなら、それは食えた方が、生活の質、QOLは、ふつう高いじゃん。そうでない体質や価値観ならともかく。
じゃあ、忙しく働いて、うまいスシやステーキを食おう。という人生ゲームRTA型のQOLの方が、どうしても高くなりがちだ。これは避けられない話であるように思う。

2.人生ゲームRTA型にとっては、タワーディフェンス大器晩成型が育つ前に先手打って潰すのが、政治的経済的には合理的な処世になってしまう

これにタワーディフェンス大器晩成型が物申したくなる気分は分かる。
例えば、丁寧に功夫を積まないと到達できない地点は確かにあり、そこは大器晩成型の特筆すべき非常に強いアドバンテージである。
熟練が必要な学問や手工業というのは、ある。
これを今は省力化出来ないし、つまりは排除出来る訳がない。
無人化出来ると思っている人、無人化してから言うべきだ。グウの音も出ないようにしろ。そうでない限り、グウの音を出しているのはそっちだ。

***

だが、ここで、ちょっと立ち止まって考える。
この話は、タワーディフェンス大器晩成型が、何の問題もなく、丁寧に功夫を積める。という、かなり特殊な条件を前提としている。
じゃあ、人生ゲームRTA型は、これに対し、いったいどうするのか? もちろんそこは考えなきゃなんない。

そんなタワーディフェンス大器晩成型が、危険な競争相手に育ったら、RTA型にとっちゃ、そりゃあ嫌ですよ。
だったら? 「育つ前に潰す」わな。そりゃそうよ。

タワーディフェンス大器晩成型は、人生RTAの土俵に上がらず、人生ゲームRTA型が早い者勝ちの原則に則って正当に得た既得権益を、卑劣にも後から脅かしてくる訳だ。
こんなもん、とんでもない脅威だし、早い者勝ちの価値観からすれば、許しがたいほど不愉快ですよ。

それも、タワーディフェンス大器晩成型は、人生ゲームRTA型の見えてない、自然法則の脆弱性みたいな、怪しげな抜け道で、そういうことをしてくる訳だ。
そんなタワーディフェンス大器晩成型、「渡世の仁義は「尊重せず」、自然法則を道具のように「利用し」、人の世を「攻略する」、野蛮なハッカーたち」と思われている疑いがかなり濃い。
じゃあ人生ゲームRTA型はそういうところは本当になかったのか? とは当然なるが)
そりゃあ、潰すのに、躊躇なんかない。ある訳がない。

3.タワーディフェンス大器晩成型だけが採掘できる知的鉱脈があるが、その採掘は、政治的経済的な理由から、それほど簡単なことではない

丁寧に功夫を積まないと到達できない地点に眠っている、つまりはタワーディフェンス大器晩成型にしか掘り下げられない、知的な豊かさを持つ鉱脈が、世界にはある。それはそうだ。その通りだ。

だが、それは人生ゲームRTA型にとっては、
タワーディフェンス大器晩成型に掘らせて、後で知的資源だけ回収して、タワーディフェンス大器晩成型は埋め殺す。これが最適解になる」
という話を意味してしまう訳だ。
そんな状況で、タワーディフェンス大器晩成型のかなりの割合が、知的鉱脈を掘る気をなくすの、かなり当たり前だと言える。

もうちょっと「見えている」人生ゲームRTA型の人だったら、もうちょっと違う方法を採るかも知れない。
例えば、自分のエージェントがたまたま可能性のあるタワーディフェンス大器晩成型だったら、投資として途中まで護衛艦隊組んで、後で海底油田採掘フィーバーになったら大儲け。
という仕組みを作ると、出資者はかなりうまくなる訳です)

いいですか。
世の中を見ていると、タワーディフェンス大器晩成型の人たちって、人生ゲームRTA型のことを、あまりにも不当にナメすぎなんですよ。
もっと恐れろ。自分を指先一つで殺せるだけの脅威なんやぞ。

4.富裕層と政府等の緊張関係

さて、こういう成り行き、大局的に見た時に、不毛なんですよね。
少なくとも、そう思っちゃうタイプの人、一定の割合で、いる。

だから、これを止めさせて、採掘者の身の安全と投資の公正を保障して、全体として知的資源をたくさん手に入れるために、政府(や役所)がある、という考え方も出来る。
早くに成功した人生ゲームRTA型の立身出世者たちを含む、富豪たちに対する、防波堤、殴られ役としての政府等。

それはそうだ。政府等は公益のための機関なのだから。その目的がなかったらそもそも作られない。作る理由がないからだ。
公益を守るためなら何だってしたい。採掘者保護もその一環である。
そういうことをするからこそ、富豪や貴族や王ではなく、政府等が、正統性を保てる。飯も食える。そして、仕事も回せる。
そういう、公益に立脚する正統性が、政府等の性感帯とも逆鱗ともアキレス腱ともなる。うまく触れば、政府等は触った人にだいぶ優しくなるし、手厚く守ってくれる。
逆鱗をかきむしった人? さあ。あまり手厚さは期待しない方がいいでしょうね。もちろん最低限のことはしますが…
アキレス腱を切った人? 彼らは政府等を転覆させてきた。怖い。挙句自分がギロチンの露と消えていった。超怖い。何なの彼ら。
(今は政府等はポリシーとしてギロチンを使わなくなっているし、インディーズでやってる人も非常に少ないので、ギロチンがバンバン落ちてきた時代のことは、歴史の知識としてしか知らないんですよ)

***

もちろん、歴史的に見れば、政府等はある程度は富豪たちを支持母体にしている。
そりゃあそうだ。昔は、政府等のあるところで、例えばアテナイとかその周辺ではないところは、別に民主主義でも何でもなかったからだ。
そもそも、公務を回すだけの体力的・経済的・政治的資源をもつ人が、市民の側に少なかった。
そういうことが出来るだけの体力的・経済的・政治的資源は、富豪たちが握っていた訳だ。
自然な成り行きとして、富豪たちが、政府等を、人材的にも、財源的にも、権力闘争上においても、牛耳ることになる。

が、少なくとも、実際に政府等で政策に頭を悩ませている人たちは、富豪たちの都合だけで世の中全体が回せるとはおよそ思っちゃいまい。
二、三年、まともに公務をしてみれば、富豪たちの都合と自分たちの仕事が、決して一致していないし、むしろ前者がしばしば後者の邪魔として働くことに気付くだろう。
何よりムカつくのが、しばしば富豪たちは、政治家や軍人や役人のことを、自分の傀儡や私兵や執事だとしか思っていないところだ。
だから当然ナメくさった態度を取ってくる。他の人のオーダーを全部無視させて、自分のオーダーとは関係ないなら、政治家や軍人や役人の仕事をも止めさせてくる。
勘弁してくれ。仕事組織の仕事を、仕事の都合以外で、妨害してくるんじゃねー。
そんな訳で、政治家や軍人や役人は、富豪たちの都合(究極的にはその富豪一人の都合)だけで、国政をほしいままにしようとしている富豪たちに対して、内心、「鬱陶しい」と思っている。
「あー本当邪魔っけでクッソめんどくせえなあ」と思いながら、おそろしく冷たい視線を隠して、にこやかに笑っているだろう。これも処世ですので…

5.政府等と大学の緊張関係

ただ、政府等としては、長期的公益のための採掘者保護とは言え、というか、長期的公益のための採掘者保護だからこそ、「公益に資す知的鉱脈に見える」ところしか守るメリットがない。
で、そうでないように見えるところや、下手すると(公益のある種の限定的な形としての)国富を詐取して食っているように見えるところは、そりゃあ守る気にはなれまい。

政府等が、ある種の学問に対して、とてつもなく冷たい視線を隠しもしないのは、そういう事情があるからだ。

***

政府等が全ての知的資源を他国に対して独占するような時代ではなくなったし、知的財産権が政府等に没収されず真面目に守られるようになったのは、かなり大きな一里塚だ。
昔は公益のため、もっと限定的には国富のためなら、それらは没収され得たからだ。
もちろん、そんなんで、知的資源採掘をやると、バカを見るだけだ。知的鉱脈を掘る気をなくした人、かなりいると思われる。
そういう意味でも、今はだいぶいい時代になりましたよ。

***

そもそもの話をすると、学問「知識を得る」、そしてそのために「分からない謎に対する解を求める」のが、部分的な(しかし非常に大きな)目的だ。
「知的資源が公益に資すかどうか」というのは、どう考えても二の次三の次でしかない。
いや、「「分からないことが分かる知識」という、知的資源そのものが、人類全体の公益だ」という話ももちろんありうるんですよ。
ですが、上で書いた通り、これが実際に正当化出来るの、かなり後世での話だし、突き詰めれば本来は関係なかった話でしょう。そこは気をつけねばならない。

まあ、そんな訳で、何はともあれ、学問には学問の都合というものがある訳です。
「学問は学問の都合をやめろ」と言いながら、いろんな仕事組織の人たちが、仕事に必要なものだけ大学から戴いていく。
こんなの、学問の当事者から見たら、端的に、「盗人猛々しい」と言いたくもなるであろう。

***

で、ここからメチャクチャ聞きたくないし考えたくもない、頭が悪くなる話になるが、実は政府等には政府等の都合というものがある。

潤沢な予算が組めるだけの税収がない。
税収が確保出来るだけの景気の良さがない。
景気対策に金を投入して一年か数年待てば、景気も税収も上がるかも知れない。
が、それまでの間、例えば医療系の社会保障関係で即死する人たちは、猛烈な勢いでたくさん死ぬ。その枠の予算は、本当のことをいうと、とても触りたくない。

それらの関係の仕事をする仕事組織、例えば今の場合は役所にとっては、経理仕事のための機能の一部である。
逆に、モノやカネやヒトの資源の節約のために、仕事を投げ捨てる。という話は、かなり受け入れがたい。
「お前らの給料を減らすために、仕事をやめさせるので、仕事をするな」だと?
「ふざけるのもいい加減にしろ」
と言われても、そりゃあそうだろう。

一方、経理担当は、仕事のための経理という思想に、興味がないことが多い。
経理には経理の都合がある。経理だって、モノやカネやヒトの資源を適正に配分して、結果的に仕事組織の個々の仕事を回すという、重要なプロセスだ。
でも、それは、経理のプロセスそのものこそが、経理担当にとっての仕事なのだ。という話しか意味しない。
じゃあ、それ以外の、個々の仕事は、経理担当にとっては、二の次三の次に決まっているではないか。

ちなみに、経理の都合として、非常に大事なものがある。
「モノやカネやヒトの資源がないのに、なおも働きたがる奴らには、絶対に仕事を仕切らせてはならない」。
そんな仕事は失敗するものだし、日本はそうやって75年前に敗戦したんだよ。
「金がないのに、仕事をしたい。仕事の種銭として国富を寄越せ」?
また日本を使い捨ての人間松明市場にしたいのか?
「ふざけるのもいい加減にしろ」
とは、そりゃあ言いたくもなるだろうね。

もちろんこれだけじゃあないですよ。こんなものじゃ済まない。面倒なんですよ。
まあ、とにかく、役所が予算を付けるのは、事程左様に(仕事が出来るようになることや、仕事を妨げられることも含め)様々な利害が絡むので、たいていはかなり大変なプロセスになる。
そして、しばしばそれは、様々な利害関係者のプレゼンを生む。

そんな中で、抽象化すると、
「政府等は政府等の都合をやめろ。
大学と政府等の交渉なのだから、大学の都合は聞け。当たり前やろ。
しかし、繰り返すが、政府等の都合は一切汲まない。
どうせここに交渉(プロレス)の余地はない。お前らには信頼がない。
いいから政府等は大学のために
国富を吐き出せ。役目でしょ」
という話が、プレゼンとしてお出しされても、政府等の当事者から見たら、これ、端的に、盗人猛々しいであろう。
え? 「抽象化のし過ぎだ」? どんなに具体化しても、本質的にはこの話を何ら否定しない話にしかならないだろう。
で? 「国富を吐き出せ」? これで政府等が「はいそうですか」と国富を吐き出してくれるとはとても思いづらいのだが…

***

つまりは、それぞれの事情が噛み合っていない。
学問の当事者が、学問の都合を言うことは、完全に正しい。
が、そういうのは、政府等が金を出したり保護したりする理由には、別になっていない。

もちろんこれは、起業家が出資者にプレゼンをするのとはいろいろ事情は違うが、やってることはプレゼンであることに違いはない。
相手のニーズなどどうでもよく、自分の都合しか喋らないの、プレゼンとしてはもちろんかなりダメなやつだ。
または、「相手のニーズを満たす」と称して、実際には虚偽のプレゼンをするのも、後でそれで強烈な不信感を持った政府から、予算をバッサリと打ち切られるの、かなり避けがたい。これもダメなやつだ。

明らかにプレゼンとしてダメなことをやって、「なぜダメなのか、おかしい」と言うの、「予算担当者の財布に手を突っ込もうとしている」というひりついた自覚が足りない。
そこに、学問の側は、ずーっと失敗し続けているように見える。

6.文明人気取りの傲慢を、学問の当事者がやるの、ものすごくまずいことですよ

「先進的で歴史の蓄積もある欧米では、直ちに(主に経済的な)公益につながらない学問は、(文化的ないし政治的な理由等で)保護されている。
それによって、何らかのドグマではない善さが生じる。それはそれによって犠牲にされるコストだの何だのよりも、はるかに尊いものだ。
だから、学問の文化的政治的保護こそがあるべき姿である。
ただの皮相的な野蛮人はそんなことも分からないのだ。畜生の習性でおわすなあ」

というのを、さもこれが必殺技であるかのような顔で、蔑んだ態度で言う人たちが、かなり目立つ。

ほうほう。それで?

「現状で学問を文化的政治的に保護することで得られる善さがある。
この善さは、現状で保護のために消耗されるコスト等を上回る。
なので、学問の保護は、現状に対して、価値的に差し引きプラスとなる」
という話をしたがる人、かなりいる。

それ、単なる多数の個別ではなく、
普遍性統計に裏打ちされた高確率性が、
出来れば再現性のある、
少なくともそうかそうでないかの確認の出来る(反証可能な)機序の仮説が、
ある、と示せますか?

先進的で歴史の蓄積もある欧米が、たどり着いたのは、要するにそこなのではないのか?
じゃあ、そのレベルでの話をしないといけない。そういうことをして、初めて欧米と同等の条件を勝ち得るだろう。
それをしないで、やれていないで、欧米と同等の条件を勝ち得ようとするの、基本的に無理な話ではないでしょうか。

んで、そこまで言うんなら、やれるんでしょ?

「これこれの理由で」「これこれこのようなメリットがもたらされる」
「例えばこれは成功例である」
「基本的には同じような条件下で」「同じような手段を採れば」「基本的には同じメリットがもたらされる確率が高い」

という話をして、その上で
「このこれをすることによって得られるメリットは」「デメリットを上回ると評価されるので」「やっていきましょう」
という方針で説得をするものなら、その説得はかなり通るでしょう。
そうではなく、単なる多くの個別を並べたものでしかなければ、これは説得ではないと思われてしまうし、なんとこれが、ごまかしの含まれている、詐欺のプレゼンの一種と見なされてしまうんですよ。
えー! マジかよ! でもまあそりゃあそうだろうなあ。

で、そういう人に向けて、そういうことに気を付けながら、プレゼンをせねばならない訳です。
そういう認識はあるだろうか? ということを、少し真面目に考えざるを得ない。
ないならそりゃあ説得は難しいでしょう。「負けパターン」に足突っ込んでる。

あと、このタイミングで、ポル・ポトが学問を禁止したから国が滅んだ。みたいな話をしたがる人が、かなりいます。
その話、今のプレゼンに、何か寄与するのか? 特段寄与してないとしか思えないが…?
今やってるプレゼンがダメなのはポル・ポトのせいではない。
挙句、ポルポトを引き合いに出して「ダメなプレゼンを容認しないとダメ」というやつ、何の信頼もないに決まっているではないのでしょうか。
ポル・ポトの話をするの、やめましょう。今のプレゼンの話をしましょう。
何で予算担当者相手に、しかも届かないところで、いきなりポル・ポトの話を断片的にしだすような人が、「まともにプレゼンをしている」ということになってるんだ?

***

ちなみに、機序の仮説がない学問、プレゼンの時に、かなり、困る。
もちろん、史学的、あるいは博物学的なやり方なら、それでも正当化されるし、そこでは多くの個別素材として猛烈に大事なものだ。
だが、その場合でも、自分の学問が、他のどんな学問の直接的間接的な素材となっているか。という話は、やはりしなければならない。
出来ないなら、予算獲得は、かなり厳しくならざるを得ない。

***

そんな訳で、「何らかの条件や予算を獲得する」という観点からは、プレゼン丁寧に相手を見て、考え抜いて、やらねばならない。そうやって初めて条件や予算を勝ち取れることだろう。

それとも、そんなことはどうでもいいのか? 条件を勝ち得ることより、相手に聞こえるように舌打ちすることが、より重要な目的なのか?
「自分に正当性があり、相手に納得させられなくても、なおも自分が正しい」? そういうこともあるかもしれない。
だが、相手に舌打ちする以上は、「「相手が悪い」と自分が言うこと」ではなく、「相手に「悪い」と思わせること」が決定的に大事なのであって、この二つは根本的に違うことを意味している。
相手に「悪い」と思わせるためには、「自分の正しさ」と「相手の悪さ」を、相手に納得させなければならない。
そうでないなら、残念ながらそれは、ただの八つ当たりとしてしか認識されない。
相手を皮相的な野蛮人だの畜生だの呼ばわりしたいのなら、自分が皮相的な野蛮人や畜生に通じるムーブをしたら、こんなもんダメに決まってるでしょう。
そんなもん、事態はまず泥沼化し、糞便の投げ合いになりますよ。実に醜い。というか、臭い。
「泥沼化」「糞便の投げ合い」を、「必殺技」「勝ちパターン」として採用している人、何も分からない。目の前の社交や処世のことが、本当にちゃんと見えているのだろうか?

自分の正しさが、
「自分の方が歴史の蓄積のある文明人に近く、相手は皮相的な野蛮人で、畜生であるから」
という理由に依っている。

そういう話を「呼吸のように受け入れている」人が、そういう話を「受け入れてない」人と、まともにやっていくことなんか、出来る訳がないでしょう。
この考え方は、説得ということと、極端に相性が悪い。
「あいつらはバカだから説得をしなくてよい」
ということをも正当化するんだから、そりゃあそうなる。

というか、まあ、プレゼンを受ける側からすれば、
「えっ? 何で頭のいい人たちなのに、説得の一つも出来ないの?
頭がいい人たちの間に、「説得の際に説得をしなくてよい」というおかしな文化でもあんのか?
こいつはちょっとした難物だぜ! 俺にはちっちゃな小物にしか見えないがね!」

と思われている可能性がかなり高い。
「バカには説明しても理解できないから、説明をしない方がマシだ」
と開き直るんじゃあない。
そういうところが、自分の無力と怠惰を正当化する、いわゆるバカの一類型にしか見えてない訳です。しかも自分は賢いつもりでいる。まあ、印象、猛烈に悪いに決まってる。

この悪印象を帯びたまま、外野から妨害されずに、安心して学問をやれるようにしたい? 無理でしょ。
だって、そういう悪印象のある人こそ、正に「説明できないことをしているのに、国富だけふんだくろうとする人、ここにいますね」突っ込まれる脆弱性であり、攻撃の踏み台なんだから。
しかもこの手の人はたくさんいる。そりゃあ防衛できまい。

***

この人たち、「統計に裏打ちされた高確率性」や、「反証可能な機序の仮説」や、「再現性」を、採用していない。
明らかにこれらはかなり大事なものなのに。人類の歴史の蓄積、文明(特に学問)のある種の到達点、画期的な一里塚なのに。
ツライ話だが、それらに重きを置かない以上、この人たちは、特に学問においては、ただの「文明人気取り」でしかない。「歴史の蓄積のある文明人」そのものからかなり外れる。

彼らは明らかに、進歩史観を盾に、「歴史の蓄積のある文明人」と書かれた棍棒で、他人を「皮相的な野蛮人」「畜生」と殴っている。
彼らが進歩史観とか採用していないなら、「文明人気取り」呼ばわりされても平気の平左なんだろうけど、こんなことしている以上、言い訳は効かない。その棍棒、ブーメランとして返ってくるよ。

おそらく、この手の人、約150年前の日本には、たくさんいた。
あんまり他人を開化不進奴(ひらけぬやつ)呼ばわりするの、どうかと思いますよ。今にして見たら、そう呼ばれていた側も、他人をそう呼んでた側も、さほど違いはないんだから。

ああ、それにしても、腹が、減った。(牛鍋が食いてえ)(確か今は吉野家で『牛の鍋焼き定食』が食えるのではなかったかな)

7.タワーディフェンス大器晩成型が輝く世界は、いくつかの説得と約束事の上で成り立つ。それを、タワーディフェンス大器晩成型本人が、蹴っ飛ばさないようにしよう

タワーディフェンス大器晩成型が輝く世界。
そこは、公益を守りたがる政府等の貪欲な人々によって、人生ゲームRTA型立身出世者たちを含む富豪たちから守られたタワーディフェンス大器晩成型が、あまり脅かされずに採掘を行える、知的鉱業の盛んな知的鉱山都市だ。
そこで採掘された知的資源は、たいていは使っても減らない(時代遅れになることはあるが)。猛烈に便利な代物だ。

だが、「採掘者保護」という約束事は、公益を守りたがる政府等の貪欲な人々を、プレゼンで説得して、そうして初めて成り立つ。

いったん成り立った約束事だが、これは座っていれば守られるというものではない。
具体的には、後で何度か、自分のプレゼンを、自分が反故にしていないか、示さねばならないし、先方に確認してもらわなければならない。
それがダメなら、「お前、言うとることとやっとることが違うやんけ。正味の話、ダメなんとちゃうんか?」と突っ込まれる。当たり前だ。
本当にダメなら、というか、ダメだと思われたら、採掘者保護の約束事自体、反故にされるリスクは高まる。
というか、そうなってる。

まして、そこで、説明にならない説明、説得にならない説得をしたら、そりゃあダメですよ。
挙句、開き直るの、完全にアウトでしょう。
そんな姿勢の人のプレゼン、ただのデタラメに過ぎなくなるぞ。

事柄を説明出来る。相手を説得出来る。そういうプレゼン。
これは、知的資源を人生ゲームRTA型や立身出世者たちや富豪たちや政府等に認めさせて防衛しきるには、是非とも出来ていなければならないことだ。
やっていきましょう。

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