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あし

夜の海岸は遠く道なりに火照ったような街灯がぽつぽつ並び、潮風はむんとした熱気を運んでいた。ジーンズに突っ込んだハイライトを取り出して火をつけ ると、山から見下ろす鉄塔へと煙は流れていく。

緑色のビーチサンダルで砂浜を蹴ったところで、誰も痛くもかゆくもない。この色はサトウ君の好んだ色だった。サトウ君はメガネをかけて、ハイライトを吸っていた。よれよれのティーシャツにジーンズ、どんな季節でも緑色のビーチサンダルを履いて、この海岸を歩いていた。遠く海の上ではパチパチと交流電燈が充満して、なにやらささやき声も聞こえてくる。肺いっぱいに幻想の煙を吸い込んで、ふうと吐き出す。海はどうどうと音を鳴らして、こちらへやってきては去っていく。

サトウ君みたいだと思う。わたしの記憶を蹴散らして、粉々にして、消えていった彼は、東京で元気にしているのだろうか。彼の骨ばった手で記憶の渦を掴まれたあの感覚を、わたしはいつまでも忘れないだろう。わたしの中の彼はたくさんいたのに、彼はそれを掬って、握りつぶしてしまった。残ったわずかな残骸を組み立ててできたわたしのサトウ君は、果たして本当にサトウ君なのだろうか。

交流電燈が充満する夜は鳥の死骸が宙に浮く、と誰かが言っていた。それもサトウ君だった、のだろう、か。煙草を根元まで吸いきると、海に放って腰を下ろした。夜がぽっかりと口を開けて小さな田舎町を食んでいる。雲間に隠れながら、申し訳なさそうに月が照り、黒く塗りつぶされた海はざあんざざんと鼓膜を揺する。

詩を書けといったのは、サトウ君だっただろうか。今日は交流電燈が充満しているのだろうか。そんな言葉は嘘だったのだろうか。しかし空と海の間でははち切れんばかりの交流電燈たちがひそひそと無意味なおしゃべりを繰り返し、繰り返し、膨張し、増幅し、増殖している。わたしは今詩を書いている。いなくなったサトウ君と、その言葉、組み立てられた残骸たちは、決して本物になれない。緑色を履いたってサトウ君にはなれない。直立しないわたしの脚は、明日になったら立ち上がるのだろうか。少ない骨をしゃぶり生きるわたしを見て、サトウ君はなんて言うだろう。サトウ、サトウ君、愛しているよ。交流電燈たちがひそひそと、サトウ君の話をしていないか、確かめている。


#詩

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