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失われた日常~妻とタヌキと私~

動物そして霊の来訪
妻と暮らし始めた瞬間、私の平穏な日常は崩壊し、そして何かが始まった。なぜか人間との交友が減り、代わりに家の周りに動物たちが集まるようになった。郊外とはいえ東京都内、タヌキなどごく稀にしか目にしなかったものだが、月に何度もタヌキやイタチなどが訪ねて来るようになったのである。そしてこれまで心霊体験など皆無、かつその存在に懐疑的ですらあった私をして宗旨替えせしめるほどの、あからさまな怪現象が顕現するようになった。

ネコ、イタチ、そしてタヌキ
では具体的に「訪ねて来る」とはどういう状況かというと、さすがに玄関のチャイムを鳴らして来訪するわけではない。例えば敷地内でこれまでなかったネコの喧嘩が頻発したり、庭先で二匹の大きなイタチが暴れていたり、玄関前でタヌキの夫婦が座してこちらを眺めていたり、このような現象が頻繁に起こり始めたのである。そしてあまり現実的な発想ではないが「妻が呼び寄せているのか?」と疑わざるを得ないほど、妻との同居開始と時を同じくして、この変化は訪れたのであった。

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家の前にいるかもね
ある夜、出先から車で帰途に就いていると、フワッと何かが高速で目の前を横切った。
「あれっ?今の袋?いや……動物?轢いてないよな?」と私が呟くと、妻は「一緒に確認して欲しいなら付き合うよ」と答えた。
Uターンして停車し、その周辺から車の下まで調べてみたが、動物どころか何の痕跡も見当たらない。
妻は「それはそれで妙だな……」と訝しがった後、「家の前にいるかもね」と不可解なことを口にした。
動物にせよ動物でないにせよ、ここから数キロ離れた我が家に「いるかも」とは。一体何がいるというのだ。
その場に留まっていても埒が明かないので、とりあえず自宅に向かうことにした。

ついて行ってみるか
自宅から少し離れた駐車場に車を置いて、徒歩で坂道を下っていくと、自宅の門の前に何やら塊が見える。
私は背筋がぞくぞくして「なんで?ほんまに?うそやろ?」などと漏らしていたような気がする。
妻は「タヌキだね。やっぱりいたね」と落ち着いた様子。
混乱の極地にあった私は、情けないことに「どうすりゃええの!?」と妻に指示を仰ぐ他はなかった。
事も無げに「とりあえずついて行ってみるか」という妻。
逸らしていた目をタヌキに向けると、タヌキはどこかに向かって歩き始めていた。
黙ってスタスタと付いて行く妻。
「何これ?昔話?俺らどうなるの?」と落ち着かぬまま後を追う私。
そしてどうなったかというと、何も起こらなかった。
程なくそのタヌキは側溝に姿を消し、追跡は中断されたのだった。

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しろちゃんとの出会い
しばらく経ったある年の正月、家の門を出ると白い影が。
私「おっ?ネコか?」
妻「タヌキだ」
私「えっ?白くない?」
妻「タヌキだ」
よく見ると本当にタヌキだった。それも真っ白の。
しかし前回とは違って、元旦に白いタヌキとは、今回は不気味さよりもある種の「めでたさ」のようなものが感じられた。瑞兆(嘉祥な物事の予兆)、瑞獣(瑞兆として姿を現すとされる動物)という何かの本で覚えた言葉が頭を過っていた。
しばらく落ち着いた様子でこちらを眺めていた白タヌキであったが、程なく踵を返して茂みに姿を消した。
そしてその日以降、何度も同じタヌキを見掛けるようになった。

しろちゃんとの再会
それほど時を経ずして、たまたま立ち寄ったある古道具屋で、前述のタヌキにそっくりな剥製に出会った。
私「これって……」
妻「いた」
我々は迷わずその真っ白いタヌキの剥製を購入し、自宅の神棚の下に祀った。
今では「しろちゃん」として我が家の御神体になっている。
それ以降、真っ白いタヌキとは一度も外で会っていない。

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上記のエピソードは全て実話であるが、一件ずつ振り返ってみても実は不思議なことなど何も起こっていない。
全て偶然起こり得る出来事であるし、私が勝手に因果関係を含ませて語っているという見方もできるかもしれない。
しかし妻のその泰然自若とした言動には、何やら自分まで神話めいた物語の中にいるように感じさせるものがある。
いつも右往左往することしかできない私は、今日も何者かの手によって玄関に並べられたどんぐりを眺めながら、この違和感のある生活を楽しんでいる。

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追記
最近妻は好んでタヌキの格好で踊るようになりました。


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