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自分の妻に帰依した男

~出会いから今の関係性に至るまでの経緯~


固定記事でも申し上げている通り、最近は各種媒体から執筆依頼を頂戴する機会が増えた。その都度手法を変えお伝えしてきたのだが、自主的にしたためるこの場にもう一度だけ、私と妻が今の活動形態に至った経緯を記しておきたいと思う。今回も別の切り口から振り返ってはいるので、他の媒体をご覧くださった方も、今一度お付き合いくだされば幸いである。

出会い
私が妖怪絵師として(いつか説明するので今回は読み流してください)妖怪の絵を描いて暮らしていた頃、ふと立ち寄ったクレヨン画家の個展会場にて、その展示の開催主である妻と出会った。当時の妻は音楽活動は一切行なっておらず、絵描き同士として意気投合した……ような記憶がある。その際の互いの感情の機微は照れ臭いので端折らせていただくが、程なく我が家で、その活動と寝食を共にするようになった。

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出会った頃の妻。
今より話が通じなさそうな雰囲気。

下積み生活
しかしそこからはしばらく苦悩の日々が続く。年相応の社会経験が無い二人は、ノーギャラの依頼(今思えばそれは依頼ではないが)ばかりだったり、支払われても低賃金で長期間こき使われたり、いわゆる下積み生活を送ることとなる。また俗にいう「表現性の違い」というもので日々衝突を繰り返し、無駄に互いを傷つけ合い、表現活動の停滞は日常生活にまで波及し、それはそれは地獄のような日々を送っていたのである。

ピアノの再開
そんな中で妻が発した「久しぶりにピアノが弾きたい」という主張。半ば投げやりになっていた私は、心許ない貯えを、思い切って中古のアップライトピアノに費やした。そして初めて妻の演奏を聴いた時は、「なんでこいつは絵なんか描いてるんだ?※」という率直な疑問を抱かずにはいられなかった。それほど妻の演奏は、長年のブランクがあったにも関わらず、門外漢の私でも驚嘆せざるを得ないほどすばらしいものであったのだ。なんでも言葉を覚える前からピアノを習い始めたという妻は、程なくその才能を発揮し、幼少ながらに地元のメディアに多数取り上げられるほど、将来を嘱望された子供ピアニストであったらしい。そういうことは早く言って欲しかった。

演奏が予想以上にすばらしかったという意味であり、
決して妻の絵自体を否定している訳ではありません。
あれはあれで個性がありとてもいい絵だと思います。

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中学生ぐらいの妻。
どこかの交響楽団でピアノソリストを務めた時の写真らしい。

一点突破型
一方何事も長続きしない私であるが、見方を変えればフットワークが軽く、場合によってはその短所が長所に転じることもある。これまでの自分の取るに足らない過去などかなぐり捨て、方向転換することに躊躇いなどなかった。どうせ妻ほど努力して生きてこなかったのである。我が我がと夫婦間で競い合っても埒が明かない。この停滞を乗り越えるために必要な布陣は、妻が前衛、私が後衛の一点突破型。妻の音楽の才能には、それだけの威力があるという確信を得ていた。私は自己表現を控え、妻の美術や衣装、広告デザインを優先するようになった。

協力関係
そうするとこれまでの妻や他者との軋轢が、嘘のように雲散霧消した。フリーでイラストやデザインの仕事を受けていたかつての私は、毎回誠心誠意取り組んではいたのだが、依頼者の要求がよく理解できず諍いを起こして仕事が立ち消えることも多く、自分の無能さ、そして社会性のなさに枕を濡らす夜も頻繁であった。しかし新体制においては、ステージに立つ妻のみが依頼者である。その要望に答えることが私の仕事となったため、気心が知れている分相互理解は行き届き、これまで多発していた衝突も完全分業によりほぼ回避できるようになった。他者と一切関わらずに済む最小単位の発注と受注。社会不適合者の二人が生み出した二人だけのサイクル。やっと互いの能力を足枷なく発揮できるようになった。

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当時開催していた自主企画のフライヤー。

スタート地点
しかし新体制により長いトンネルを抜けはしたものの、「他人と諍いを起こさない」「仲間(夫婦)同士で争わない」「自分の能力を発揮する」などということは、多くの人にとっては元より備わっている能力であり、実は我々はやっとスタート地点に立てたに過ぎなかった。演奏動画をアップしてもあまり聴いてもらえない。ましてやライブを企画しても、思うような集客は得られない。数年間に渡り、私は狐面を作って手売りするなどして糊口を凌いでいた。このままではジリ貧である。今あるスキルを用いて定収を得るためにはどうすれば良いのか思い悩んでいた。

新たな試み
そういえば酒が入っていたようにも思う。ある日、確か酔い覚ましに近所を散歩していて、ふと目に付いた空き物件の前で「ここにスタジオを開設して何か教えたらいいのではないか?」という話になり、翌日不動産会社に連絡を取った。今思い返しても、なぜあんなに即座に行動に至ったのかはよく覚えていない。予想だにしていなかった急展開である。では誰に何を教えるのか。そこで二人のスキルを書き出してみた。


・ピアノ(歴≒年齢/受賞歴多数/クラシック音楽事務所所属)
・フラメンコ(歴約十年)
・ベリーダンス(某団体インストラクター資格取得)
・書道(高校時代書道部に所属/受賞歴あり)
・語学(英米文学学科卒/カナダに留学経験あり)


・イラスト/デザイン(実務経験が少なく人に教えられるレベルではない)
・極真空手(歴四年/段位を取っておらず人に教えられるレベルではない)
・総合系格闘技(歴二年/かじった程度で人に教えられるレベルではない)
・キックボクシング(歴四年/アマなので人に教えられるレベルではない)
・居合道(歴三年/継続中だがまだ低段で人に教えられるレベルではない)

後悔
私の方が使えなさすぎる。美術系は仕事にしようとしていたものの、前述したようにその共感力の低さからほぼ仕事にならず、現状では頼まれ仕事は一切受けなくなっていたため、普遍性を持って人に伝えられることなど何もなかった。また、十代の頃から趣味で色々とかじっていた武道や格闘技も、将来他人に教えようなどとは一切考えていなかった。何でも一定以上の成果を収め、ものによっては人に教えられる技術レベルに達している妻と比較した時、無理なくやりたいようにしかやってこなかった自分の過去が悔やまれてならない。

ヨガインストラクター資格
協議の結果私は戦力にカウントせず、音楽とダンスをメインに、美術や学問的な要素も加味した、総合的な芸術研究の場にしようということになった。また以前より二人とも興味があったヨガのインストラクター資格を取得し、ダンスのストレッチや精神的な鍛錬に活かそうという話になり、二人とも未経験にも関わらず、仲良く某団体のインストラクターコースを受講する運びとなった。妻に関しては初めから不安要素などなかったが、私もかろうじて、それでも過去の運動経験が蓄積されていたようで、二人ともさほど苦もなくインストラクター資格の取得に至った。

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インストラクターコースの打ち上げにて。
ヨガの先生と私。

夫から一番弟子へ
そして足踏みする私を尻目に、資格取得の直後より妻はヨガクラスを開講した。こういった行動力の差が、現状の我々の実力差を生んだのだろう。そして当初は二人でヨガを教える予定であったのだが、妻はいきなりベテラン講師のような落ち着き、一切淀みのない喋り、音楽を取り入れた他にはないオリジナリティを発揮し、私が一緒に教える必要性は自ずと消滅した。役立たずの私が少しでも妻の力になれたらと一緒に始めたヨガであったが、気が付くと私は妻の弟子になっていた。降格か昇格かわからないが、夫から一番弟子へ。何やら肩の力が抜け、一気に心が軽くなった。これまでの悔いの多かった我が半生、妻に帰依することでその罪がそそがれるような気がしていた。

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妻のヨガクラス「カーリーアシュラム」の宣材写真。
メイクはヒンドゥー教の破壊の女神「カーリー」を意識したと言う。

修行の日々
その後しばらくはほとんど受講者が現れず、スタジオにこたつを持ち込んでずっと寝ていた我々であったが、トイピアノを弾く妻の動画が少し話題になったり、某テレビ番組に出演するなど地道な宣伝活動の甲斐もあってか、少しずつ生徒さんも通ってくださるようになった。また自主企画のライブも即日チケットが完売するなど上り調子ではあったのだが、さすがにコロナ禍で大きく失速したように思う。スタジオレッスンは控えめにしか開講できないし、ライブに関しては律儀に一年以上開催していない。行きつ戻りつ。一進一退。しかし「今は自分を磨く時だ」と互いに言い聞かせ、私は今日も師(妻)の元で修行を積んでいるのである。

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私が美術を担当したスタジオの内装。

最近は前述した武道や格闘技の経験を活かし、スタジオで「ダンスのための筋トレ/ボディメイキング」を私が担当するようになりました。

総合芸術研究所 JAO GREEN STUDIO
https://jaogreenstudio.wixsite.com/mysite

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