分岐点の言葉

僕は元々運動選手に自分がなるなんて全く思っていなかった。
小学生の頃から運動は苦手で、特に球技に関しては革命的に出来なかった。
革命的っていう表現はここにふさわしくないけれど、それくらい出来なかった。
持久走は他の種目に比べればまだ良かったけれど、それでも全体の平均くらいだった気がする。
中学生になって親兄弟の影響でバレーボール部に入り、しっかり部活にも出席し真面目にやっていた方だったけれどレギュラーにはなれず、僕は2軍であった。
そこで改めて自身の運動神経のなさに嫌気がさした僕は運動はやめてオーケストラ部に入った。
入学したての頃はラグビー部と柔道部に散々誘われたけれど、適当にはぐらかして断り、興味本位で見学したオーケストラ部に入った。
女子部員も多かったし、何より人と違うことがしたっかたし、何より女子部員が多かったし、とにかく女子部員が多かった。
高校時代の運動は朝の遅刻を免れるための全力通学TTと、体育だけだった。
大学には現役では行かず、浪人して入ったのだが、そこで出会ったのがスポーツバイクだった。
兄が遠方から自転車で帰ってきたことに感動した僕は、自分も走ってみたいと思い、浪人中に自転車を買って走り始めた。
初めて買ったのはSCOTTのTTバイクで、購入理由ももちろんだがTTバーに強烈に魅かれたのだ。
僕は自宅浪人をしていたが、1日の息抜きで乗る自転車はめちゃくちゃ楽しく、ママチャリにはないスピード感の虜になった。
その分偏差値は反比例で落ちていったけれど、それは自転車のせいだったのか、そもそもみんながちゃんと努力していたからかはわからない。
なんとか大学受験も合格し、僕は進学先にも自転車を持っていって、通学や週末に乗っていた。
でも、選手になる気はもちろん、レースに出る気にもなっていなかった。
あくまでも趣味の自転車であり、楽しく好き勝手に走っていただけだった。
これ描いてるとめちゃくちゃ長くなるから一気に省いて大学3年の冬に話を飛ばす。
この頃には僕はレースも出ていたし、国内の同年代の中ではそれなりに速くなっていて、独学、しかも競技開始年齢の割に成績も出せていて僕は自転車がすごく楽しくなっていた。
ただ、周りが就活を始める頃になって、就活もせずに自転車に乗っていた僕は不安になり始め、当時付き合っていた妻にどうしたらいいか相談した。
妻の答えは
「人生一度しかないのだから好きな自転車で選手目指したらいいじゃん」
だった。
もちろんそれまで好きなことしていたはずだけど、僕にとっては衝撃的な答えだった。
周りと同じ様に生きてきたはずで、就職というのがルールだと思っていた僕にとって、就職しないなんてありなの?って思った。
そこから僕は、就活もせず自転車に乗りまくっていた気がする。
バイトや最低限の講義には出ていたけれど、あとは自転車のことしかやっていなかった気がする。
あの言葉がなかったら僕は選手にはなっていなかっただろう。
実際に選手になることに進んだのは僕自身の選択だけれど、そのきっかけになったのは妻の言葉だった。
僕は選手になるための燃料は持っていたが、そこに着火させたのは自分以外の言葉だった。
人生を変える鍵はこれから出会う誰かが持っているかもしれない。
出会いは大切である。

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