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これから必要なメディアを作る

こんにちは、おかふじりんたろうです。株式会社インターンという小さな映像制作会社をしています。

ぼくは映像制作と並行して、以前から動画メディア、「凜」―RIN というYouTubeチャンネルをやっています。


そして今回、テキストメディアとしても同名のメディアを(このnoteアカウント)を作りました。
そして記念すべきこのnoteの一発目のテキストとして

①どんな問題意識でこのnoteを作ったたのか?

②「凜」―RIN はどんな方針なのか?

③書き手の紹介

ということを以下に書いていきたいと思います。


①どんな問題意識でこのnoteを作ったたのか?

端的にいえば「今のメディア環境に対して不満があるから」です。

まず先ほどからぼくは「メディア」と何回も言っていますが、そもそもメディアとはなんでしょうか?

メディアの語源は英語の media であり「媒体」という意味です。

例えばマスメディアと呼ばれるテレビは、「音声や映像という情報を伝達する媒体」として使われているのでメディアであり、それを不特定多数に広く届けているので"マス"メディアと呼ばれるわけです。

メディア論的には、最古のメディアは「洞窟絵」とされています。ラスコー洞窟やショーヴェ洞窟が有名です。
それらの洞窟の壁画には、牛や馬のような動物の絵が書いてあります。原始人たちが描いた絵を、その原始人の家族や仲間、そして後世に伝えている媒体なので「洞窟=最古のメディア」というわけです。

また広義のメディアは、洞窟やテレビだけではありません。

例えば、ぼくはMCベストというhiphopユニットをやっているのですが、このまえ『COLOR BOX』という曲を作りました。歌詞の内容は「カラーボックスって良いよね!」という曲です。

そして仮に、この曲を聞いて「たしかに!カラーボックスっていいかも!」と思った人が、実際にカラーボックスを購入したとします。

この現象は狭義の、ぼくらが普段イメージするメディア的ではないでしょうか。

お昼の情報番組でスタジオからレストランへ中継し、食レポを流すことによって視聴者の欲望を喚起させられる、というのはよくある光景ですが、これとMCベストの現象はかなり似ています。カラーボックスの曲を聞いて、実際に買ったわけですから。

つまり、ぼくらが普段「メディア」と聞いてイメージする狭義のメディアと、広義のメディアの線引きは非常に曖昧だということです。

例に挙げたMCベストの『COLOR BOX』という曲は、「カラーボックスいいよね!」という思いを伝える媒体になっています。

他の例を挙げるとすると、例えばあなたが新作のiPhoneを買ったとします。
そして友達との会話の中で「最近買い換えたけど、このiPhoneめっちゃいいよ」と伝えたとします。
そして信頼できる口コミを得たその友達は、数ヶ月後に新作のiPhoneに買い換える…

このようなありそうな日常の風景を考えたときに、「このiPhoneめっちゃいいよという思い」の媒体となったあなたは、間違いなくメディアです。

また、わかりやすく口に出さなくても、あなたの髪型を見て誰かが「あの髪型かわいい!」と交差点ですれ違った人に思わせているかもしれません。
人間の所作や佇まいなども、ある種の思いの媒体であり、つまりメディアともいえるのです。

しかし、なんでもかんでもメディアとすると、この先ぼくが「メディア」と書くと「どのメディアのことを言ってるんだ?」と混乱させてしまうので、ここからは新聞、テレビ、雑誌、SNSなどのいわゆるメディアをメディアとし、そのメディアの中身をコンテンツとします。


1964年に『メディア論: 人間の拡張の諸相』という有名な本を書いたマクルハーンという人がいます。マクルハーンはメディア史においての重要人物で、特に当時影響力を持っていたテレビについての様々な論考が有名です。

この本でマクルハーンは「メディアはメッセージである」と言っています。どういうことでしょうか。

例えば、映画というメディアで『君の名は。』というコンテンツを見た場合、多くの人は「あの口噛み酒のシーンは…」みたいな感じで、コンテンツについてあーだこーだと色々考えたりします。

しかし、マクルハーンは「いや、そもそも"映画"というメディアそのものから発せられるメッセージに注意を向けろよ!」と言っているのです。

つまり、メディアそのものにメッセージが宿っており、それがコンテンツとは別に人間に影響を与えているんだと彼は考えたのです。

ヒトラーがラジオを使って大衆に操ったことを考えても、メディアそのものの影響力にぼくらが自覚的であることは非常に大切だと思います。

では現在の新しいメディアにおいて、ぼくらが自覚するべきことはなんでしょうか。各メリット、そしてデメリットについて考えます。


まず現代の新しいメディアとは、インターネットでありスマホであり特にSNSであると思います。

SNSとは有名なところでいえば、TwitterやFacebookやInstagramなどです。

SNSのおかげで、ぼくらは遠くにいる人と友達申請機能やフォロー機能によって、過去では考えられなかったスピードで簡単に繋がることができ、情報のやり取りが可能になりました。

また個人が簡単にそれこそ「メディア化」し、文章や写真や動画をアップロードでき、いつでも世界に発信することができるようになりました。それに伴って、今まででは揉み消されていたような不正の告発や、様々な社会運動も広がりをみせています。

このようにSNSのメリットをひとつひとつ挙げていくとキリがありません。SNSは圧倒的に素晴らしい発明でありメディアです。

ではSNSのデメリットとはなんでしょうか。

有名なのはフィルターバブルと呼ばれる問題です。フィルターバブルとは、自分の見たいものしか見ない視野狭窄の状態に陥るということです。この状態をフィルターがかかった泡に包まれたようだ、ということでフィルターバブルと呼びます。同じようなニュアンスの言葉として「情報のタコツボ化」や「島宇宙化」などもあります。

簡単に繋がれるということは、簡単に繋がりを無くすことも可能です。 またプラットフォームからのレコメンド機能になどよって、フィルターバブルという分断が加速していきます。


わかりやすく政治の問題で言えば、例えば右派の人は右派の人ばかりの世界を見ています。左派の人も左派の人ばかりの世界を見ています。お互いのことは認識していません。もしくは認識していても、あえて無視しています。
そして選挙のときに投票をし、結果が報道されると「なに?!こんなに○○党を支持している人がいるなんて!」と驚き、場合によっては陰謀論に走ってしまいます。

また陰謀論に走らなかったとしても、普段から摂取する情報が偏っているので、その磁力によって、ジワジワとどちらか一方に考えが偏ってしまいます。

社会学者の西田亮介さんも「最近は2つの大きな分断を感じる。そもそも政治や選挙に関心を持つ層とそうでない層。さらに与党支持層と野党支持層だ。」と言っています。( 参照  「無音」と2つの分断 )


選挙は「結果」が報道されるため、自分が見ている世界と世論の差を実感できるので例として出しました。



またフェイクニュースという問題もあります。

ネットが登場する以前であれば、マスメディアしかないので一般人が世界に発信しようと思ったら、新聞の投書欄ぐらいしかありませんでした。
マスメディアにはそれぞれ編集部があるので、情報の正確性などは世に出る前にチェックされていました。

しかし今は誰でも簡単に発信できます。そしてそれらには編集部のような他者の視点によるチェック機構はありません。さらに膨大な量の投稿が日々アップされるため、外部からファクトチェックをしようにも全く追いつきません。「バイバインで増え続けるくりまんじゅうの処理が追いつかなくて困っているドラえもんとのび太」みたいなもんです。

そしてフェイクニュースの1番の要因は「広告」です。

ネットのほとんどのWebサイトは、Googleによるアドセンス広告などを取り入れています。
インターネットに初めてポップアップ広告を取り入れたイーサン・ザッカーマンは2014年に「広告はインターネットの原罪だ」とコラムで、過去の自分を反省的に書いています。( 参照  新しいメディアの教科書-佐々木 俊尚  元記事  )

ネットメディアに、1PV当たり○円のような広告収入モデルが生まれたことによって、みんなとにかくPVを稼ぐようになります。

すると「PVを取れるかどうか」ということが大事な指針となり、PV至上主義的なコンテンツが増えていきます。

そして広告収入モデルは、芸能関係者が書いたとされる箸にも棒にもかからない過激なタイトルの煽りっぽいネットニュースや、WELQ MERY問題、ユーチューバーの過激な動画へと繋がっていきます。

そしてその広告収入モデルが産み落とした悪魔の子供がフェイクニュースです。

そしてフェイクニュースは、2016年のアメリカ大統領選のときには実際の世論を動かしたとさえ言われています。これらがトランプ大統領当選の決定打になったかどうかはわかりませんが、ある一定の影響力があったということは受け止めなければいけません。



まとめると
・フィルターバブルによる視野狭窄
・PV至上主義によるフェイクニュースや炎上ネタやしょうもないゴミ記事大量生産

が問題だということです。

現代のメディアは例えるなら
「一蘭のような仕切りのあるカウンター席(視野狭窄)で、回転寿司(情報)を食べている状態」です。
しかもそのお寿司は「マグロ」と表記してあるのに「アロツナス」かもしれないのです(フェイクニュース)。
ベルトコンベヤー(タイムライン)を流れる大量の寿司は鮮度が命です。数時間でゴミになります。


またこの他にも、新しいメディアは人間の知覚や心に負の影響を与えているんじゃないかということで、『AI vs.教科書が読めない子どもたち』(新井紀子)や、『新記号論』(石田英敬・東浩紀)などの本も出てきています。

ここでようやく冒頭の①(どんな問題意識によって作られたのか)がわかってもらえたと思います。


②では、「凜」―RIN はどんな方針なのか?


この「凜」―RINでは、一蘭回転寿司状態の現在のメディア環境から取りこぼされてしまった要素を大切にしたコンテンツを掲載していきます。

取りこぼされた要素とは、大きく2つあると思います。

まず1つ目は「多ジャンルさ」です。フィルターバブルによってぼくらはどうしたって視野狭窄になってしまいます。そしてマーケティング的に情報提供側もそれに合わせてきます。

例えば最近のユーチューバーは「ガジェットに特化している」「デパコスに詳しい」など、ワンポイントの一点突破型が増えています。彼らは圧倒的に正しい。

しかしこの「凜」―RINでは、今回ぼくが書いたようにメディア論や、政治の話題、はたまた音楽の話題など、扱うジャンルは政治・経済・社会・文化のちゃんぷるー(まぜこぜ)で行きたいと思います。

例えば、最後に詳しく紹介しますが、このnoteの連載は、政治経済からご飯まで扱います。

また、「凜」―RINのYouTubeチャンネルでは、MCベストのミュージックビデオと真面目な対談アーカイブが混在しています。

マーケティング的に視聴者にわかりやすくするのであれば、音楽関連のみをアップするMCベストチャンネルを作り、真面目な動画のみをアップする対談チャンネルを作る、というふうに別々にした方がいいに決まっています。世の中の流れは細分化に向かっているからです。

しかし、そこであえてMCベストと対談を同じチャンネル内でちゃんぷるーすることによって、「MCベスト見に来たけど、なんとなくこっちの動画も見てみるか」のような、偶然の出会いを体験してもらうことを狙っています。

「凜」―RINを媒体として、「Hiphop」と「地方の諸問題」が視聴者の頭の中でつながってほしい、そんな思いを元にちゃんぷるーなチャンネルを作っています。



一蘭回転寿司状態からこぼれ落ちた2つ目の要素は「深いローカル」だと思います。

PVが大切なネットメディアでは、ほとんどローカルな物事が扱われていません。芸能界を含めた東京の話題ばかりです。それは単純に、関東平野に日本の約半分の人間が住んでいるからです。ネットニュースなんて最たるもので、色んなメディアで同じような話題を、ぐるぐる手を替え品を替えて使い回しています。

ネットにある情報も相対的に「東京一極集中」になっているのです。

そうではなくて、インターネットが持っている「日本の離島にいても情報の送受信ができ、離島に居ながらブラジルのことが知れるという良さ」、これをぼくは大事にしたい。

なので、「凜」―RINでは「ローカルかつ深いこと」を扱います。

実はローカルを扱うWebメディアは他にも少しあります。
しかし、それらのメディアはただ単に「○○町に○○というカフェがオープンしたみたいです!イチオシメニューを食べました!ぜひ行ってみてください。(終)」みたいに、どうしても内容が薄くなりがちです。1記事当たりにかけられるコストが少ないからです。

そして、残念ながら今の山口県には、地元の情報を知ろうとしたときに「薄いファクトのみのWebメディア」、「さらさらと流れていく地元テレビ局の夕方のニュース」、「地方新聞」の3つくらいしか、総合性を持ったメディアがありません。他の地方も似たようなものではないでしょうか。

これらのメディアは基本的にフロー型です。時事性を重視し、1週間後にはほとんどの内容は忘れ去られてしまいます。

なので「凜」―RINでは、もっとじっくりと物事に向き合いたい人のために時事性を捨てて、フローではなくストック、賞味期限の長さを重視した「ローカル」と「深さ」を追い求めます。


以上のような、「多ジャンル」「賞味期限の長さ」「ローカル」「深さ」をコンセプトに、時代に逆行したゲリラ的なメディアとして「凜」―RINは活動していきます。


③書き手の紹介

さて、最後にこれからこのnoteでの書き手と連載内容を紹介をしていきます。

まずぼく、おかふじりんたろうが毎月第1水曜に更新していく連載です。

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突然当たり前のことを言いますが、全ての物事はつながっています。

例えば、駆け込んだ公衆トイレが汚かった、というくだらないエッセイから、まちの治安の問題、公園を管理している行政の問題へとつなげていき、地方と東京の関係性の問題、沖縄の基地問題や原発の問題へと辿り着くことだって可能です。

しかし多くの人は視野狭窄に陥っているため「公衆トイレの汚さ」と「原発問題」が残念ながら結びつきません。
ぼくらは、様々なニュースに対して表層的な反応しかできなくなってきています。

なので、「え、ここに辿り着いちゃうの?」と読者に驚いてもらえる、自在に路線が組み変わるプラレールのような連載を、ぼく自身は書いていきます。



そして毎月第2水曜には、友人である川田海栄くんに、主に政治の現場というものを伝えてもらいます。

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彼のことを簡単に説明すると、彼は3年前に会った時から「地元の首長になる」と宣言しており、多くの政治家の選挙のインターンシップに参加し、政治についての勉強会にも積極的に出席するという政治に目覚めてしまった男です。

「政治に目覚めてしまった」と書きましたが、彼はネトウヨやお花畑左翼と呼ばれるような間違った目覚め方をしてしまった人ではなく、本当によいまちを作るために、泥臭く多方面に挨拶回りなんかをして、コツコツ足場を築きあげている真っ最中であり、正しい目覚め方をしている男です。

何度か政治について質問や意見を交わしたことがありますが、「あぁ、本当に首長になりたいんだな」と感じさせてくれます。

彼を誘った理由は、「地方都市の首長」を狙っている点にあります。政治の問題を考えようと思ったときに、マスメディアで頻繁に報じられるような憲法がどうだとか韓国との仲がどうだとか、そういうイデオロギー性を多分に含む話になってしまいがちです。

もちろんこれらは非常に大切な論点ですが、この辺の話題はSNS時代と非常に相性が悪い。

やはり「国」という、生活と離れた距離にある物事について、ぼくらは実感が掴めず、フィルターバブルやフェイクニュースが追い風となり、往々にして冷静な思考や言動ができまくなってしまいます。

しかし、彼が目指しているのはあくまでも「地方都市の首長」です。

地方政治は、生活と地続きなものとして考えやすく、右や左のようなイデオロギーによる分断も起こりにくいです。

「政治」という大きすぎるものをしっかり考えるために、まず地方政治から考えることは、この時代だからこそ大切なことだと思います。

彼には「首長を目指すうえでどんな活動をし、どんなことを考えたのか」や「市の議事録を読む」といったことを書いてもらう予定です。

他にも色々書いてもらう予定ですが、地方政治が基本です。言ってしまえば大変地味な内容です。

しかし生活と近い地方政治の現状こそ、ぼくらは知らなければならないんじゃないでしょうか。
地方の首長を目指す彼の視点と、自分のまちとを比較しながら読み進めていくと、より面白くなると思います。



毎月第3水曜は、友人の原田寛司くんに、山口県を中心に様々なスポットに訪れてもらい、その場所、そしてそこいる人々を紹介してもらいます。

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彼はコーヒー店で働いており、ヒッチハイクで旅行するタイプの人で、コミュニケーション力が有り余っています。人の懐に飛び込む天才であり、閉鎖的な村社会において彼ほど「現地取材」に向いている人はいないでしょう。

多くの人にとって、自分が暮らしいる地域以外の場所に訪れる機会は実はそんなに多くはありません。せいぜい出張か、土日を使った旅行か、長期休暇の旅行&帰省ぐらいです。


なので例えば、同じ県内の市町村であっても、名前はわかるがどんな所かよく知らない、ということがちょこちょこあります。

しかし彼は、息をするように移動し、様々な「人」に会いに行っています。
彼は「"どこかに行く"というよりは"誰かに会う"」とよく口を酸っぱくして言っています。

こういった従来の旅行である「場所起点」ではなく「人起点」の旅行をしている彼にしか見つけられないものが、地方には埋もれているのではないでしょうか。

「名所に行く」のではなく、「誰かに会う」という新しい旅行スタイルで、写真をふんだんに使い、街の景観や人々の暮らし、知る人ぞ知るお店なんかを再発見する彼の文章をお楽しみください。


また不定期ですが、「凜」―RIN編集部便り として、YouTubeの取材動画の文字起こしの記事も随時公開していきます。



最後に、これらの記事は、各記事最低でも3000文字以上を予定しています。

「長さ」も今のネットからこぼれ落ちてしまっている要素の1つです。

また各記事には、必ず編集長であるぼくが必ず目を通し、誤字脱字はもちろん、データのファクトチェックなどは責任を持って精査します。
「他者による精査」という行程も、特にSNSにはすっぽり抜け落ちています。


繰り返しになりますが、ぼくがやっているメディアは完全に時代に逆行しています。PVを捨て、東京ではなく地方。わかりやすさを捨て、多ジャンルへ。
はっきり言って、90%以上の人には、ぼくのやっていることが全く理解してもらえないと思います。
でも、もうそれで良いと思っています。

ぼくが面白いと思っていることや、ぼくが面白いと思っている人を集めて、世界に対して1つの態度を表現すること。
そうすることで、いつか、どこかの誰かが、ぼくのメディアに触れたときに、
経済のことしか考えてなかったビジネスマンが文化や政治に興味を持ったり、
自分の生活にしか興味がなかった学生が社会に興味を持ったりするきっかけになればそれで良いと思います。

今後、書き手も増えていく予定です。


というわけで、「凜」―RINを、時代に逆行した小さなメディアの文化運動を、どうかよろしくお願いします。



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