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【中国語講座】三国志の成語

ちょっと今、色々抱えており余裕がありませんので、またまた三国志に助けてもらうことにします。

今日はちょっと趣向をかえて、三国志関連の四字成語をご紹介しようと思います。

七擒七纵 qī qín qī zòng

直訳すると、7回捕らえて7回放つ(釈放する)、というような意味です。

これは、どんなエピソードが元になっているのでしょうか?

三国志のお話も後半、劉備も亡くなり、蜀の国はいずれ天下統一を目指すために国内の他の問題を解決しておこうと考えました。

諸葛孔明は、蜀の国の背後、南西方面の南蛮国(今で言うと雲南省の少数民族やその先の東南アジアの国の民族)が反乱を起こさないようにすることこそ大切と考えました。

魏や呉が南蛮国を動かして蜀の国の背後をつくようにさせると、蜀はすぐに破綻をきたしてしまいます。天下統一など夢のまた夢。なので、まずは南蛮国が攻めてこないようにしなければと考え、南征に乗り出します。

南蛮国には実力者である孟獲(孟获 Mènghuò)という男がいます。この男をなんとしても成敗しなければ南蛮国やその周辺の民族たちは帰順しません。

といって、この男だけを成敗しても、南蛮国やその周辺の国々から新たな実力者が現れて蜀を背後から襲ったりしては意味がありません。

そこで孔明は、孟獲を討ち取るというより、心から帰順させることを考えます。

孟獲は南蛮の暴れん坊。孔明何するものぞとばかりに蜀軍に襲い掛かりますが、孔明はいとも簡単に南蛮軍をやりこめ、孟獲をとらえます。

蜀の将兵たちは、これで南征は終わりだ、簡単に決着がついた、と思ったでしょうが、孔明は驚いたことに孟獲の縄を解いて、逃がしてやるのです。

孟獲は、力では自分たちだって負けてはいない、ただ、孔明の小賢しい詐術に騙されただけなので負けた気がしないというのですね。で、逃がしてもらったからといって恩に感じるわけではなく、また仲間を引き連れて攻めてきます。

そしてまた負けて捕らえられ、そしてまた放たれ、また別の仲間を連れて攻めてきて、また負けて捕らえられ、そしてまた放たれ、、、

そして7回目に捕らえられた時、さすがの孟獲も観念し、自分の負けを認め打ち首を覚悟したのですが、孔明はまた放とうとするのです。

さすがの孟獲も、これには驚き、そして心から孔明に感謝し、心から帰順するのでした。

孟獲が生きている限りは孟獲が南蛮国やその周辺の民族を抑えてくれます。蜀はこれで背後の憂いなく天下統一に向けて動き出す準備が整ったということなのですね。

この“七禽七縦”はこのエピソードから来ています。今では、相手を思い通りに動かすこと、といったような意味で使われるようですが、実は孔明は単に孟獲をもてあそんでいたのではなく、心からの帰順をさせるために何度も孟獲と戦ったのですね。

ちなみに、南征を終えて蜀軍が蜀に戻る途中、大きな河が氾濫しているところに出くわしました。その時、孟獲は土地の風習として「49人の人間の首を河に捧げると氾濫が収まります」と進言します。

しかし孔明はそれを悪習と考え、なんとかやめさせねばと思いました。そこで、牛馬の肉を丸めて小麦粉の練ったもので包み込み、人間の頭のようなものを49個作らせ、それを氾濫する河に捧げました。

すると、たまたま河が収まり、地元では今後は人を殺して河に捧げるようなことはなく、代わりに肉と小麦粉で作った「饅頭」を捧げるようになったのだとか。

そう、これがお饅頭の始まりなんだそうです(本当かどうかは知りません…笑)。

現在の中国では“馒头 mántou”と言えば何も餡の入っていない蒸しパンのようなものを指しますが、当時は今でいう“包子 bāozi”のようなものが“馒头”と呼ばれていたのでしょうか。興味深いですねぇ。

通訳・翻訳家 伊藤祥雄
1968年生まれ 兵庫県出身
大阪外国語大学 外国語学部 中国語学科卒業、在学中に北京師範大学中文系留学、大阪大学大学院 文学研究科 博士前期課程修了
サイマルアカデミー中国語通訳者養成コース修了
通訳・翻訳業を行うかたわら、中国語講師、NHK国際放送局の中国語放送の番組作成、ナレーションを担当
「文法から学べる中国語」等、著書多数

2021年5月までの記事は弊社の「翻訳コラム」でお読みいただけます。