【和歌で学ぶ古文1】秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣では 露にぬれつつ
本日紹介する和歌は、「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣では 露にぬれつつ」という和歌です。
作者の天智天皇は、あの大化の改新で知られる、中大兄皇子と同一人物ですね。
あまり和歌を詠んでいるイメージはないかもしれませんが、万葉集には4首が入集されており、かの有名な百人一首ではこの歌を一番として始まります。
百人一首で一番最初の歌を、本シリーズでも一番最初に紹介したいと思います。
意味
秋の田を守るためにある、仮に作った簡単な小屋の屋根に敷く苫の隙間が大きいので、私の袖はいつも露に濡れているよ。
「かりお」というのは「仮に作った庵」という意味で、農作物を見張るためなどの目的で建てられる小屋のことです。
仮庵の庵という表現は二重表現になってしまうのですが、語調を整えるために、このような表現がされている、と言われています。
苫というのは、ワラやスゲといった草を編んだもので、屋根の上に敷いて雨露を防ぐものになります。
学びポイント
ポイント1.苫をあらみ
学びポイントの1つ目は、「苫をあらみ」です。
「~を・・・み」で、「~が・・・なので」という意味になります。
・・・の部分には、「粗し」「なし」「早し」などの形容詞が入ります。
ポイント2.ぬれつつ
学びポイントの2つ目は、「ぬれつつ」です。
「つつ」という助詞は、「継続・反復」のニュアンスを持ちます。
なので、この歌では単に袖が濡れている、という意味だけではなく、袖がずっと濡れている、いつも濡れている、といったニュアンスを持つことになります。
ポイント3.衣手
学びポイントの3つ目は、「衣手」です。
「衣(ころも)」という言葉は古文でよく出てきますが、これは衣服のことを指しています。
もちろん、当時はすべて和服ですので、「衣」という言葉が出てきたときは、「和服」をイメージするといいでしょう。
鑑賞
初句から第2句にかけて、「の」の文字が反復するように配置されており、「継続・反復」のニュアンスを持つ「つつ」で終わるところが、一貫した世界観を生み出している本作ですが、実は天智天皇の作品ではない、というのが通説のようです。
万葉集に「秋田刈る 仮庵を作り わが居れば 衣手寒く 露ぞ置きにける」という似たような歌があり、この歌が伝承されていくにしたがって、内容も少しずつ変わっていき、作者も天智天皇になってしまった、ということです。
なぜ、天智天皇が作者にされたかというと、この歌は農民の苦労を思いやる歌であり、国家の基礎である農業に理解を示す、偉大な為政者を象徴するにもってこいだったから、と推察されています。
当時は著作権などといったものは存在しないので、歌のイメージで作者を勝手に決めて、それを公の勅撰和歌集に堂々と載せる、ということがよくあったみたいです。
まとめ
この歌は、「農民を思いやる偉大な為政者の歌」として、百人一首の1番初めに置かれた歌です。
作者は天智天皇ではない、とされていますが、「天智天皇ならこの歌を詠んでもおかしくない」といった、後撰集選者の天智天皇に対するリスペクトも感じられる歌になっています。
「つつ」、「の」によって表現されるリズム感と、仮庵でただ露に濡れているという静寂感が味わい深い、百人一首の最初を飾るにふさわしい一首です。
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