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ある一通の手紙から始まった物語

2019年は喪失や辛さや苦しさから始まった1年だった。そんな中でnoteやTwitterを本格的に始めて、これまで以上に書くことが増えた。

これから見たい世界の解像度もグッと上がった。書くことについて考えることも増えた。小説も書き始めてみた。書くことは僕に素敵なきっかけをたくさんくれた。でも、それ以上に僕にとっては書くことは回復の時間だった。


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10月ごろ、僕は喪失から立ち直ったつもりでいた。もう何ヶ月もたつし、前向きになったと思っていた。「立ち直らないと。前向きにならないと」と実際は焦っていただけだった。体調は上向いてきていたのに、なぜか焦っていた。その一方で、文章を書くにつれてうしろめたさみたいなものが心のどこかにあることに気づいた。

大きな喪失で負った傷は、まだかさぶただったのかもしれない。書きながら少しずつその傷跡を直視できるようになっていった。

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ある日、一本のnoteを読んだ。

僕の心の傷跡にやさしさが触れたような気がした。「大変だったね。でも、それでいいんじゃないかな。」そう言葉をかけてもらえた気がした。

だから、落ち込むことがあっても気を取り直してください。すぐには難しいかもしれませんが、それは書くために必要な養分です。とても大事なものです。落ち込んだ心は、言葉や物語を描くことによって浄化されたり、洗練されたりしていきます。心にある〝もやもや〟を言葉に落とし込むだけで、一つ前に進めます。そこから再出発できることもあります。


「やさしい言葉だなぁ。あったかい文章だなぁ。」そう思った。そして、また傷跡を見つめた。「いつかだれかに僕の物語も届けば嬉しいな」と思うようになった。

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僕が読んだ嶋津さんの一本のnoteは、実は「手紙」だった。

本当ならば「いい文章の定義」からはじめなればいけなかったのでしょうが、今の僕にはいささか時間がありません。また別の機会にお話したいと思います。今日のところは短い手紙で失礼します。

勝手に受け取ったあの「手紙」に救われた。そっと背中を押された。「いつか手紙を書けたらいいな」と思いつつ、忙しくも充実した日々とともに時間はすぎていった。


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あれから本当にたくさんの言葉と文章を綴った。書いては消した。自分が紡ぎたい物語を何度も考えた。傷跡を見つめると涙が止まらなくなった時もあった。

ようやくかさぶたがなくなっただろうか。書き続けていくうちに、傷跡は少しずつ綺麗になっていっただろうか。僕自身にはまだはっきりとわからない。書くことでしかその傷跡は見れないからだ。

そして、昨日1年の振り返りとして文章を綴った。

「いつか手紙を書けたらいいな」と思っていたことなんて実は忘れていた。書いているうちに「今、手紙みたいな気持ちで書いてるな」と思い始めた。

一緒に暮らした大切な人、心配をかけた人、あの頃の僕自身、そして一通の手紙をくれた嶋津さんに。

そんなみんなに宛てた僕からの「手紙」になった。

「だれかの背中をそっと押すきっかけになりますように。だれかの暮らしがやさしさで溢れますように。」

そう願いながら、この手紙をnoteにポストした。

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