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統合失調症で一度は消えかけたが、発達障害特有のネタがポンポン浮かぶ状態がまた戻ってきた。

 毎日書く必要はない。
 仕事が終わってからすぐに書く必要もない。

 ツイッターで調子に乗ってしまっている傾向が出てきた。「ふざけているのか、まじめなのか、和音はよく分からない」と高校時代から言われてきた。

 まじめであり、いきなりネタに走る傾向がある。双極性障害の端緒は高校生くらいから出ていたらしい。

 「すかしたキャラだと思っていた」と言われたこともあった。「こんなにいじれるキャラだとは思っていなかった」と言われた。同じI君。京大に行った人。

 「自分が損してもみんなが笑えばそれでいいじゃん」というような考え方を小学生くらいの頃から持っていた。笑うことで人は幸せになる、と思っていたので、勉強を教えたり、まじめにやるのは部活や塾だけにしとこうと考えていて、小中学校は遊ぶところだとずっと勘違いしていた。それで良かったのかもしれないが。高校に入り、みんな勉強が一途になって、頭のいい余裕のある人は笑ったり、冗談を言ったりして面白かった。しかし、正直、まじめすぎて勉強が一途すぎると、全く面白くない人の集団だな、と思ってしまうこともかなりあった。

 結局、見下していたのかもしれない。頭が良かろうと悪かろうと。

 部活ではクールぶっていたというか、特に面白い人もいなかったために、まじめに淡々とトレーニングに励むような高校生活を送っていた。ケガをして見学に回ると、別に強豪校でもないので大半の人が、しゃべりくったり、ボール拾いなどで、ボケーっとしているけど、私はジムでただ淡々とケガをしていないところのトレーニングをしたり、柔軟体操をしたりしていた。本気で取り組むということを、継続して続けるということを、高校時代までに体験しておきたかった。そして、高校時代で、もうサッカーとは別れを告げようと、高校に入ったときから考えていた。
 今思えば、終わりがあるから、あんなに孤独でも頑張れたのかなと思ってしまう。

 結局、発達障害の特性なのかもしれないが、ネタがポンポン浮かぶ現象は一人暮らしの時はマックスに出ていた。今でも、風呂に入る時など、「一人で自由な時間」になると、急にネタが思い浮かぶ。最近読書などのインプットが完全に欠如しているので、ネタが固定的にならないか不安にはなる。ただ、まだポンポン思い付く。統合失調症になって、親元帰って、もうネタとか思いつかなくなるだろうなと思っていた時期もあった。また、仕事が始まると、家に帰ってもネタなんて思いつかないだろうと、社会人一年目の統合失調症の重い薬を飲んでいた頃にはそう思っていた。リスパダール1mgを5錠飲んでいた(飲まされていた)時期もあったのだ。今は2錠でなんともない。リスパダールは感情を殺す薬だが、服薬する量を減らしたら、結局、発達障害特有のネタがポンポン出る状態は戻ってきてくれた。正直、生きてて一番嬉しいことなのかもしれない。

 自分のネタで、自分で風呂場でへらへら笑う。誰も見てないからできることなのだが、それを発表する場所があることは、現在のネット社会に感謝したいと思う。

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