月丘夢路の愛したもの
2024年12月10日放送 テレビ朝日「プラチナファミリー」にて、井上梅次、月丘夢路の長女であり井上・月丘映画財団代表理事の井上絵美が紹介され、井上梅次、月丘夢路のエピソードもご紹介されました。放送後もたくさんの反響をいただきました。まことにありがとうございました。
今回は放送にちなみ、月丘夢路の愛したものを、いくつかご紹介します。
Hermes “Jacket”
エルメスのシンプルなジャケット。お茶目でユーモアたっぷりの愛らしい性格だった月丘夢路はこれを着ては「学校の先生みたいでしょ」とおどけていました。黒に近いチャコールグレーで、シルクのブラウスやタートルネックセーター、同ブランドのスカーフなどを合わせていました。どんなシーンにも合うお気に入りの1着でした。
Loro Piana “Long Jacket”
ロロピアーナの ロングジャケットはお気に入りで、色違いで黄色も持っていました。この美しい淡いピンク色のジャケットは特に桜が咲く時期になるとよく着ていました。カシミアで肌触りがよく、軽い羽織りとして愛用しており、冷房の効きすぎる場所でも重宝していました。
CHANEL “Ensemble Knit”
衣服はとにかく肌触りのいいものにこだわっていた月丘夢路。このシャネル のアンサンブルニットはカシミアでとても柔らかく、好んで合わせていました。
Hermes “Bags”
月丘夢路が20代から愛用していたものです。購入当初はショルダータイプでしたが、年齢とともに使わなくなりしまい込んでいました。20年ほど前にエルメスで持ち手を短く手直し。持ち手の色をボルドーにしました。再びお気に入りの1点になり大事に使っていました。
映画『夜の牙』(1958年/日活)で、実際に小道具として使用されました。
普段も仕事の時でも、どちらかというとモノトーンを身につけることが多かった月丘夢路。特にバッグはエルメスの黒と決めていて、装いごとに形を変えて楽しんでいました。晩年は小さく軽いものを選ぶようになりました。コレクションは娘の絵美が大事に保管しており、番組でもご紹介しました。
CHANEL “Necklace & Earring”
月丘夢路を「東京のお母さん」と慕っていた西城秀樹さんからの贈り物、シャネルのネックレスとイヤリング。帝国ホテル内のシャネルで一緒に選んだ思い出の品です。南洋バロック真珠を模したアクセサリーで、パーティーなどで愛用していました。
Patek Philippe “Watch”
80年ほど前に購入しずっと愛用していたパテック・フィリップの腕時計。シンプルなデザインで古さを感じさせず、どんな服にもよく合わせていました。
Ring of Topaz
長女絵美の誕生祝いに石原裕次郎さんからいただいたルース(裸石)を指輪 に。朱色の三段引き出しは、母が独身時代から大切に持っていた小物入れです。
BVLGARI “Watch & Jewelry”
月丘夢路は流行を追いかけるということはせず、自分の目利きで厳選し、長く愛用する人でした。 このブルガリの時計・ ブレスレット・指輪は「ブルガリ」がまだ日本に出店していなかったころに、ニューヨークとミラノで買い求めたものです。ブレスレットにあしらった翡翠は石を持ち込んでオーダーしました。現在はオーダーは受けていないとのことで、貴重なものです。
Monotone stole
誕生日プレゼントでお友達にいただいたストール。レー ス部分の透け感やシルクカシミアの風合いも好みだったようです。バッグ同様、モノトー ンが好きな月丘夢路はこのストールもお気に入りで、 これを付けた写真が多く残っています。
JIL SANDER “Stoles”
ジルサンダーのストールは、髙橋真梨子さんご夫妻からの毎年の贈り物。肩に掛けたりコートやジャケットの首元に付けたり、1年中身に付けていました。
HERMES “Scarves”
モノトーンの服に差し色としてよく愛用していた「エルメス」のスカーフ。「昔のものは生地がしっかりしていて好き」とヴィンテージを大切にしていました。共演した方へのプレゼントとしても、よく選んでいました。
Original stationery,Christmas cards
月丘夢路は、大切な友人やお世話になった人たちとのつながりをとても大事にしていました。知り合いにクリスマスカードを贈るのが好きで、20年以上も続けていました。毎年アメリカのメーカーのものをデザインから選んで名前入りでオーダーしていました。色とりどりのデザインの中から、大切な人のことを思い浮かべて今年はどれにしようかと迷う、 楽しそうな姿をよく見せていました。
また、文具が大好きでもありました。海外に旅行に行くと必ず文具店に寄り、何時間も売り場で眺めているほど。筆まめで自分の名前を入れた便せん や封筒、住所入りのシールなども作って大事に使っていました。絵美がフランスに留学した際は、周りの人達も自分もすぐに手紙が出せるようにと、フランスの寮の住所をシールにしていました。
Round-trip letters
月丘夢路が鬼籍に入った後に見つかった、井上梅次との往復書簡。大事に保管されていました。戦後の映画黄金期に多忙を極めていた2人は、交際中も結婚した後も文通という形でお互いの近況を伝えあっていたようです。井上梅次の撮影中の定宿に送られているものも多数見つかりました。
やみくもに物を増やすことはせず、自身がじっくり選んで気に入ったもの、大切な人たちから贈られたものを大事に丁寧に、長く使っていた月丘夢路。井上梅次もまた、自身が手掛けた116本の映画の台本、スクラップブックなどをすべて製本し、保管していました。
月丘夢路の生誕100年記念本「芍薬な月」にて、様々なエピソードをご紹介しています。ぜひご覧ください。