人脈は名刺交換やSNSで作られるわけではない
「春眠暁を覚えず(しゅんみんあかつきをおぼえず)」
って言うけど、今朝はわたし
6時に起きて、次男を部活に送り出して
もういっかい寝てしまった。9時半まで。
私は、暁を覚えたの?
それとも、覚えなかったの?
さて、ここからが本題です。
いわゆる「頼まれごと」ってあるでしょ。
仕事でもなく、遊びでもなく、家事でもなく。
野暮用(やぼよう)というのとも違う。
つまり、
大切な人からの頼まれごと。
どうでもいい人からの用事で、しかもやりたくもないことだったら、無条件に断るだけなんだけど、
もちろん、それじゃないやつ。
その「頼まれごと」をどう扱うかってその人の人格が反映さるなって思うの。
私は最近、補助金を申請するために様々な資料が必要で、そのためにうちの受講生の何人かに養成講座の感想、いわゆる「お客様の声」をお願いしたの。
そうしたらさ、それはそれは丁寧に書いてくれて、涙を流しながら読んでしまったわけです。
もちろん、「補助金が通ったら、飲み代おごるね」とか言ったけど。
だれも、そんなことたいして当てにはしてない。だって、福岡や東京や静岡に住む人。
愛知に住む私にたかりに来るほうがむしろお金がかかる。
ってことは、純粋に貢献してくれてるのだ。
こんなにも心を込めて時間を使って書いてくれるとは思わないから感動しちゃって。
こういう頼まれごとって1円にもならないわけです。
この1円にもならないことに愛を込めて取り組むことを「貢献」って言うと思う。
愛がね、こもってた。(いま書きながら泣いてる)
これ、私自身も目指してて、大事にしてる在り方。
お金をいただけるお仕事に心を込めて愛をそそぐのは当たり前。
でも、1円にもならないことに愛を注ぐこと。
ていねいに関わること。
これがやがて、本物の人脈を作るし、けっかお金になるんだと思う。
もちろん、1円にもならないことをプレッシャーに感じるのは違う。貢献したいときだけ貢献する、が正解だと思う。
結局、わたしは補助金が通っても通らなくてもぜったいにおごりに行くと思う。福岡だろうがどこだろうが。
1円にもならないことに愛を込めてくれた仲間を愛さずにはいられないから。
人脈って名刺交換でもSNSのお友達申請でもなく、「貢献」で作られると思う。
みんなありがとう。