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感謝の波動で発酵が上手くいく事は無い

「感謝の波動で発酵が上手きます」
「信じる事が大切です」
なにそれちょっと待って!


発酵って未知の領域だと思いますが、当たり前の物理現象です
最近は良く分からない謎理論で発酵をやらせる先生がいるようで、そんな事では死ぬまで美味しい発酵食品作れません
ポイントを3つ書いて行きます

1、気持ちから入るおかしさ

2、気持ちより大切にしたい事

3、高波動?低波動?なにそれ美味しいの?

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1、気持ちから入るおかしさ

発酵って目に見えないので、何か神秘的な感じしますけど、顕微鏡で見れるぐらい割りと大きな世界の事です。
量子力学まで行くと未知の領域で、物理法則も成り立たないようなところがありますが、発酵はガチ古典力学の世界で大丈夫です
量子力学より遥かに大きな世界を扱ってます
その時点で波動だなんだと言ってる人はお察しください

物理的な世界ですから、気持ちが伝わるというよりもは、物理的に作用させる方が「圧倒的に影響力がある」という事です。
こんな事は小学生でも解りますね。
ですから、感謝の波動がもしあったとしてもそれが発酵に作用する、というのは超絶的微量である、と見て良いでしょう。
どれぐらい無視されるかと言えば、そうですね、感覚的には海にバケツ一杯の水入れて海面が上昇した、程度じゃないでしょうか。


2、気持ちより大切にした事

さて、その上で気持ちより大切にしたい事ですが、もう明白ですね。
単純に、発酵させる技術です
糠床なんかで言えば方法であり、レシピです。
これが気持ちなんかより遥かに重要です。
ここの重要性を前面に出さない講師は偽物だと、個人的に断言しておきます。
発酵は腐敗と同じ、とこれも皆さんご存知かと思いますが、それを別けるのが発酵をさせるための方法です。
それを編み出すのに、どれほどの汗が流された事か。
発酵ってお呪いで出来るもんじゃないんですよ。
そんな事言うなら、生ごみに感謝しとけば発酵して食べられるようになるはずですよね?
何故それを言われないんでしょうか?

もちろん、突き詰めれば気持ちから入ります。
「ぬか漬け食べたい」っていうのも気持ちですからね。
例えばそれが「将棋をやりたい」ならどうでしょう?
感謝の波動で将棋が上手になるでしょうか?勝てるようになるでしょうか?
先ず重要な事は、ルール、駒の動き、そしてその後戦法だとか、相手がいると駆け引きとか。


3、高波動?低波動?なにそれ美味しいの?

感謝は高波動で、食欲とか低波動

こんな話も良く聞く話ですが、残念ながら糠床はガッチガチの低波動です。
なんせ食欲だけで出来ますので。
別に感謝とか必要なく、勝手に出来ますので。
むしろ、元来発酵というのは人々の「何とかして食いつなぎたい」という想いから出来たもんでしょう。
そこにさらに「出来る限り美味しく」というのがあったでしょう。
のっけから感謝、って意味不明ですね。
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〇最後に一番当たり前で大切過ぎる事


ここまで書いておいてなんなんですが、本当に一から食材をやりますと、感謝が絶える事はありません。
数年自然農をやってそれは理解しました。
糠漬けなら簡単に言えば、米糠を使い、そこに野菜を入れます。
先ず材料が確保できる感謝。
米糠は安い物ですが、米が無いと出来ません。
米一粒作るのも、1万粒作るのも、同じ苦労です。
野菜も同じで、一日二日出来るもんでもありません。
自然農などやりますと、多くは虫に食われたり、小さかったり、そもそも手に入る事自体が奇跡的で有難い事です。
そこに発酵です。
さらに、味わう五感。
どこにも感謝が途切れる要因がありませんが、昨今はこの当たり前の感謝を感じにくい世界になってるんじゃないでしょうか?

どこにいても、なんとなく食べられる。
なんとなく生きていける。
食べるのに手間がさほど要らない。

そういう世界だからこそ、訳の分からない教義で盛り上がるんでしょうね。
それは楽しみとして一向に構いませんが、発酵って腐敗と同じ事ですから、いい加減な事を教える人は人を危険に晒している可能性、というのを考えて頂きたいです。

それに、日々技術を磨いて、切磋琢磨している発酵食品を扱う人たちの事も、感謝で上手くいくなんて一言で片づけて貰うと、人生を否定された気になります。

是非、一度しっかりと明らかな当たり前の発酵をご覧頂きたいです。

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