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本当に起こりえる怖い話

おはようございます。ゐのせです。

先日、ユヴァル・ノア・ハラリさんの『ホモ・デウス』を読み終えました。上下巻にも及ぶボリュームのある内容でした。

この本の感想を一言で表すと「本当に起こりえる怖い話」です。

ホモ・サピエンスの行く先

『ホモ・デウス』では今後の人類の展望が語られています。とんでもなく恐ろしい内容ですが、絶対に起こらないとは言い切れないものばかりです。

この本を読んで考えたことは2つです。

①「非死」は誰もが望むことなのか?
②アルゴリズムにすべての判断を委ねることは幸福につながるのか?

「非死」は幸福につながるのか?

医療テクノロジーの進歩によって人類は寿命を延ばしてきました。100年生きる時代がやってきたと言われています。ただし、今日まではもともと備わっていた寿命を全うできるようになっただけです。近代以前の世界で人類の寿命が現代よりも短かったのは医療テクノロジーの不足が原因。現代は病気を治す技術が発展したおかげで、天寿を全うすることができる確率を高めたにすぎないのです。

今後の人類は「非死」を目指して突き進んでいくと『ホモ・デウス』では述べられています。「非死」というのは老衰や病気で死ぬことがなくなるということです。もちろん車に轢かれれば死にます。「非死」になるには遺伝子を組み替えたり、身体の一部または全部を非有機物に代替する必要があります。

しかし、「非死」を可能とする技術を開発することはできたとしても、果たしてどれだけの人々が「非死」を望むのでしょうか?

私たちはいつか死ぬことを前提に人生を歩んでいます。突然に死というゴールがなくなってしまったらどうなるでしょうか。それはまるで延々と続くマラソンのようなものです。

また「超老害」を生み出すことになりかねません。人口は増加する一方になり、世界は超高齢者であふれかえります。未来の子孫にとってはいい迷惑です。(そもそも子孫をこれ以上増やさないという選択肢をとれば話は別ですが)

以上のように「非死」を実現できる時代が到来しても、その技術が本当に活用されるかはわからないのです。

アルゴリズムは私たちを幸福へと導くのか?

次にアルゴリズムを絶対視することの是非です。『ホモ・デウス』では人類を含めた生物をアルゴリズムとみなし、人生における決断をすべてAIに任せるようになる可能性があると書かれています。

すべての個人情報をAIに入力して判断を任せれば、よりよい人生を実現できる確率は高まるかもしれません。どの学校に行くべきか、どの会社に就職すべきか、誰と結婚すべきかなどなど。誰でも成功者となれる時代がやってくるのです。(何をもって「成功者」とするかは不明ですが)

一方で、それが人類の幸せにつながるか考えると疑問が生じます。AIにすべての判断を任せるというのは、ゲームをプロゲーマーにやらせてクリアしてもらうようなものです。正直何が楽しいのかわかりません。

人は自分の判断を正当化する傾向があります。例えばあなたが新しい服を買ったとしましょう。それは世間的には微妙なデザインでしたが、あなたは気に入ったので購入しました。あなたは買い物に満足しています。そうでないと自分が損している気分になりますから。

このように人はどんな選択をしようと後から自分で肯定するのです。ですから判断には正解も不正解もありません。アルゴリズムにすべてを委ねる必要はないのです。

一番大切なのは「選択肢」を考えること

『ホモ・デウス』で語られていることは現時点では実現していませんが、現実になる可能性はゼロではありません。

私たちは未来についてどんな選択肢をもっているか、その選択をすることでどんな展開が待っているかを考える必要があります。それがわかれば私たちが今すべきこともおのずと見えてくるはずです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

それではまた明日。

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