羅生門と炎上

 そうして、それと同時に、この老婆に対するはげしい憎悪が、少しずつ動いて来た。____いや、この老婆に対すると云っては、語弊があるかも知れない。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。この時、誰かがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、飢死をするか盗人になるかと云う問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、餓死を選んだことであろう。それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片のように、勢いよく燃え上り出していたのである。

「羅生門」芥川龍之介

 朗読CDで聞いて、また羅生門を読み返した。「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」ところ、羅生門の上で死人の髪の毛を抜く老婆を見つけ、はじめは問い詰めていたが、最終的に彼女の着物を奪いどこかへ消えていく話である。

 高校の授業でどういう読解をしたか忘れたが、今の自分には貧しさと懲罰欲というテーマが浮かぶ。それは昨今のSNSの荒れ方と非常にリンクする。

 羅生門の世界は荒廃した京都であり、下人も老婆も金がないからこんなことをして、不必要に揉めている。盗人になる勇気が出ずにいる下人は老婆に対して悪を憎む心を燃やすが、それはいっときのもので、結局は自分も同じように盗人になる。

 最近のSNSはやたらと芸能人に厳しい。老婆の髪の毛を抜く行為は"失言"に、下人の追い剥ぎは"炎上"にリンクする。最初に間違いを犯したものに対してはどんな罰を与えてもよい、という感情が集団で加速するからおそろしい。その間違いはどんどん矮小化している。どんなに小さな悪であろうと、それが言い返す余地のない清潔な悪でさえあればいいらしい。

 懲罰欲、という言葉が存在するかわからないが、そんなものを感じる。正義の為ではなく、絶対安全な状況で、自分の方が正しさを主張できるという状況で、誰かを心ゆくまで虐めたいという欲求がある。

 下人も老婆ではなく屈強な男が同じことをしていたらこんな風にいちいち絡んでいかなかっただろう。気の小さい、貧しい人間が腹いせに人を叩くのだろう。

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