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忘れられない東日本大震災後のヨーロッパのバックパック旅行


今から10年近く前になるが
20歳くらいの頃、ヨーロッパにバックパックで旅行をした。今考えると大したことではないのだが、当時の自分にとっては「初めての海外旅行」ということもあり、非常に印象に残っている。

私は冒険をせず、とても内向きな人間であるのだがなぜバックパック旅行をしようと思ったのかというと、当時2ちゃんねるでは「バックパッカーをしていたけど質問ある?」系のスレッドがよくあり、興味を持ち始め

また沢木耕太郎の「深夜特急」を読み、強烈にやってみたいと思いたち、行ってみることにした。沢木耕太郎の「深夜特急」からバックパッカーを始めた人も多いのではないだろうか。



今と違ってスマホを持っておらず、ガラケー。
そして、海外でネットを使えなくもないが、高額なパケット料金がかかるため、なるべくネットを使わないようにするため、可能な限り、事前に計画を立てていくことにした。

浪人中は世界史を勉強しており、予備校の先生から受験が終わったら、「知識として持っているだけでなく、自分の目で見に行ってください」と言っていて頭に残っていたので、よく世界史に出てきたイギリス→フランス→ドイツを回ることにした。

そして出発の5日前に東日本大震災が起きた。
私が住んでいたところは神奈川県だったので、それなりに揺れたが被害は少なかった。(その日、ずっと停電していたくらい)

こんな状況で不謹慎だが成田空港から飛行機が飛ぶのか不安だった。往復10万ちょっとかかっており、バイトをして貯めたお金だったのでチケット代がパァになるのは辛い。

ここの記憶が曖昧なのだが、何か理由があって搭乗前日に成田空港に向かい、成田空港で寝た。成田空港では東日本大震災のニュースが多く流れている中、飛行機は無事飛び立ち、12時間のフライトの末、イギリスに到着。

この時は「ここが外国かーーー!!」と初めての海外にテンションが上がっていたことを覚えている。

現地に着いたらまずは宿探しをしなければならなかった。費用を抑えるためにユースホステルに宿泊しようと思っていて、ユースホステルは予約ができなかったため、事前に調べたユースホステルを回って空いてるところに泊まることにしていた。

満席で泊まれないなんてことは考えていなかったので、今考えると恐ろしい。

ユースホステルはベッドを借りるスタイルなので相部屋であり、他の宿泊客はみんな外国人だった。何か盗まれるんじゃないかと思ってパスポートをしっかり身につけ、リュックはベッドにチェーンをくくりつけて就寝。

こんな感じでベッドを借りる


翌日には夜にバー的なところにも行ってみると
バーのテレビで東日本大震災のニュースが流れており、パケット代を気にしてインターネットを全く見ていなかったので、「今、日本ってこんなことになっているのか。。」と愕然とした。

すると隣に座っていた外国人に話しかけれた。何を言っているのか全くわからなかったが、「日本人ですか?」と聞かれ、ニュースを指さし、「家族は大丈夫か?」と聞いてくれているようだった。

家族の状況を伝えなければと焦っていたのだが、伝え方が難しい。神奈川県もめちゃくちゃ揺れたけど、家は倒壊するほどではない。けれど水道ガス電気等のインフラは止まっており、なんて英語で話せばいいんだと悩んだ結果、


「My home is big brake!」と伝えた。


すると外国人は「Oh…」みたいな表情を見せ、飲んでいた飲み物や食べ物をご馳走してくれた。明らかに外国人が勘違いしていると気づいたが訂正する語学力もなく、申し訳ないと思いながら、「Thank you!」と伝えた。

イギリスでの観光だが、私はとにかくロゼッタストーンを見たかったので、それが見れて大満足だった。ロゼッタストーンとはナポレオンのエジプト遠征で発見されて、神聖文字・民用文字・ギリシア文字で書かれた石版です。

ロゼッタストーン

大英博物館にはロゼッタストーンのマグネットがあると聞いていたのが見つけられず、10年経っている今でも悔しい。

その他のイギリスの思い出↓

ウェストミンスター寺院
ナショナルギャラリー
イギリスの素敵家族


10年以上前の写真だからモザイク無しで上げてしまうが、ご飯食べてたら「写真を撮ってくれ」と言われ、写真を撮った素敵家族。すぐに写真を共有する術は当時なく、ただ写真を撮っただけ。


外国人から慈悲を受けたイギリスから後にして、フランスのパリへ。ユーロースターという特急に乗車。

車体の感じがカッコ良すぎる


パリ到着。ここで1番行きたかったのは世界史を勉強した人なら誰でも行きたいと思うであろうルーブル美術館。あと私は映画ダビンチコードも見ていたこともあって、生きている間に行ってみたいところだった。

エッフェル塔
小さいエッフェル塔を売りつけてくる黒人が怖かった


ルーブル美術館
モナリザ


モナリザは想像していたよりも小さくて驚いた。
あと厳重に警備されてて、全然近くで見れない。どアップして撮った写真。

ルーブル美術館を観た後、やったのがイギリスでも行った宿探し。ここでもいくつかユースホステルを調べていたので、そこを回ってみて空いているところに泊まろうと考えていたが、フランスでは考えが甘かった。

事前に調べていた全てのユースホステルは空いておらず、どこに行けばいいのか全くわからない状況に陥ってしまった。持っていたガラケーで調べることもできたが、とんでもなくパケット代がかかるため、節約精神から使う気にはならず、フランスのどっかの駅で途方に暮れていると、ある韓国人のおばちゃんが話しかけてきた。


「ーーーーーーーーー?」


あああ、何言ってんのか全くわかんねえ。
韓国人のおばちゃんも私もどちらも片言の英語で話してみると、そのおばちゃんはユースホステルを経営しているらしく、「来ないか?」と言っていると理解できた。

さらに「日本人もたくさんいるよ。」と言っているようなのだが、ここで私はピコーンと来た。


怪しすぎる韓国のおばちゃんだ…!


この韓国人のおばちゃんは私を騙そうとしているな?なんだかこの話は怪しい。

しかし、私も今日宿泊する宿がないのも事実。
そこでおばちゃんが案内するホステルにギリギリまで近づいて怪しかったら走って逃げる作戦を思いついた。私は小学生の頃からリレーの選手であるため、脚力には自信がある。韓国人のおばちゃんから逃げ切るなんて簡単だ。

韓国人のおばちゃんに案内されること徒歩十数分。「ここが私のホステルだよ!」と案内されたのが、こちら↓

いや、怪しすぎんだろ。
アウト寄りのアウトだ。


「うわあ、めっちゃ逃げ出してえ。。。。」と思ったが既に夕方になっていたため、ホテル探しをするのもめんどくさかったので、意を決しておばちゃんについていくことにした。

今の自分からすると、こんな怪しいところには絶対に行かない。なぜこの光景を見て「いける」と思ったのか思考がわからない。

しかし実際、中に入ってみると大成功で、普通のホステルであり、おばちゃんが言っていたように日本人のバックパッカーがたくさんいた。

中には私のようにエセバックパッカーではなく、1年近くバックパッカーをしている人もいて、旅の話を聞いているのが楽しかった。

韓国のおばちゃん
疑ってすまん


なんとこちらのホステルには韓国人のおばちゃんが作る韓国料理の食事もついていて、それがめちゃくちゃ美味しくて結局4日泊まった。

フランスではフランス料理の記憶は全くない。
おばちゃんが作る韓国料理が美味しくて、フランスにいるのに韓国料理を食べている変な構図になった。

同じ部屋には日本人数人が泊まっていたが、東日本大震災の話は全くしなかった。今のようにポケットWIFIなどをみんな持っておらず、日本の状況をみんなわかっていなかったと思われる。

その他のフランスの思い出↓

ダビンチコードに出てきたサンシュルピス協会
ダビンチコードに出てきたローズライン
ノートルダム大聖堂
シャルトル大聖堂のステンドグラス
ヴェルサイユ宮殿
ルイ14世(太陽王)の絶対王政時代に作られためっちゃ豪華な内装


韓国人のおばちゃんの施しを受けたフランスを後にし、ドイツへ。

またかっこいい特急に乗る


ドイツのベルリンには友人がいたので友人宅に泊まれたのがラッキーだった。友人の案内のもとベルリンの壁を観たり、いくつか観光地を回った。


ベルリンでは観光地の記憶はあんまりなく、
それよりも印象に残る出来事があった。友人と共に交差点を歩いていると向かい側からきたドイツ人に、わざと肩をぶつけられ、肩を痛めた。

あからさまにわざとだったので、「ああ、これが人種差別か」と初めての人種差別を受けたことに気づいた。めちゃくちゃ悔しい。

正直ドイツはこの出来事の印象が強くて他の出来事はあまり覚えていない。この人種差別が東日本大震災の影響なのかはわからない。もしかしたら私は中国人と勘違いした可能性も大いにある。

その他のドイツの思い出↓

ブランデンブルク門
シャルロッテンブルク宮殿
ベルリン大聖堂

そしてベルリンからフランクフルトへ移動し、日本へ帰った。わずか2週間程度のヨーロッパ周遊でしたが、個人的にはプチ冒険みたいな感じで非常に楽しかった。また社会人だったらこんなに時間は取れないので、学生時代に思い立ち、やってみてよかったと思う。

自分でも不思議だが、これ以来、海外旅行や国内旅行が好きになるかと思いきや全く好きになっておらず、この旅行の次にヨーロッパを訪れたのは昨年にイタリアに訪れた新婚旅行となっている。

今は旅のきっかけとなった沢木耕太郎の「深夜特急」を読み返しても、1人でまた海外旅行をしようと思わない。


今回記事を書くために写真を振り返って、感じたことだが、当時の自分は今の自分よりも変な行動力があった。(この旅行以外でもそう感じる)

これが大人になったということなのか。
それとも退化しているのか。

10年以上前の旅行を振り返って、noteへガーっと書いてみたが意外とその時の気持ちをよく覚えていて、当時の熱量のように書けた。あと10年前のデジカメで撮った写真だが結構綺麗に取れていて、カメラの画質ってあんまり時代が進歩しても変わらないなと感じた。(多分これは私がカメラにこだわりがないから。)

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