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第6夜 バックドア

「サウナ好きな人にはぁ、つらいですねぇ」

 ロビーの窓に張り出された、臨時休業のお知らせ。もちろん緊急事態宣言を受けてのものだ。
 湯っフィーの里。ユッフィーの中の人もたまに利用する近所のスーパー銭湯は、エルルたちの手で北欧のログハウス風に魔改造されていた。とはいえここにはリアルの建物があるので、外観を夢見の技でいじったくらいだが。

「たとえるなら、真夜中に展示品が動き出す博物館。それがもっと広範囲に日本全体、おそらくは世界中を覆っているのでしょう」
「幸いなのは、その夢が表面から見える現実には何も影響してないことね。あくまで表面だけ、だけど」

 ユッフィーとミカ、そして数年ぶりの直接対面を果たしたエルルの三人が近況について話し合う。話題は自然と、いま地球を覆っている災禍に及ぶ。

 2020年春、新型コロナウイルスの世界的流行がもたらした数々の社会現象は、人々の心に先の見えない不安をもたらした。その心の乱れは、奇妙な形で夢の世界にまで影響を及ぼしていた。
 おかしな悪夢を見たり、夢での出来事を鮮明に覚えている人が増え。そこへ追い打ちをかけるような「悪夢のゲーム」の出現。人々は自宅にいながらにして、毎晩ステイホームの大冒険に巻き込まれている。

「昼間の出来事はぁ、夜の間しか活動できないわたしぃたちには分からないですけどぉ。夢の中くらいはぁ、めいっぱいくつろいでってくださぁい♪」

 エルルたちが、ユッフィーとミカをお風呂に誘う。ここは男湯と女湯だけで混浴はないから、女子だけで来て正解だっただろうか。ユッフィーの冒険仲間で男性アバターを選んでいるのは、銑十郎くらいなものだ。

「アスガルティア式本格サウナへぇ、ようこそぉ!」

 脱衣場で衣服の表示をオフにして、浴場に入ると。サウナも当然、エルルたちの手が加わっていた。特にサウナ好きな彼女だけあって、本場のサウナストーブや白樺の若枝を束ねたヴィヒタが夢見の技で再現され、焼け石にアロマ水をかけたり、バスタオルをブンブン振ってロウリュの熱風を起こしているエルルたちの姿も見える。

「ところで、王女。エルルちゃんのことなのだけど」
「ええ。NPCと呼ぶには…」

 あまりにフリーダム。ゲーム世界のNPCと言えば、決まったセリフ以外は口にしなかったり、同じ場所をずっとぐるぐる歩き回っているものだが。エルルはプレイヤーと変わらない意思を持って行動しているどころか、無数に分身がいるNPCの特性で優位にすら立っている。もし害意を持ったプレイヤーが彼女のように多数の分身を動かせたら大変だ。この悪夢の「運営」は、なぜこんなバランスブレイカーを放置しているのだろうか。

「まぁまぁ、夢の中くらい自由気ままに遊びましょお?」

 そして、この緊張感の無さ。ゲームの世界に閉じ込められたというのに。

「エルル様の意識は眠っていて、夢見心地なのかもしれませんわね」

 この多数のエルルたちのひとりひとりが、彼女の見ている夢だとしたら。ユッフィーの彼女らを見るまなざしが、優しくなったのをミカは感じた。

「夢を人に見られるのって、ちょっと恥ずかしいわね。心の中をのぞかれているようなものだもの」

 苦笑いを浮かべながら、ユッフィーと共にエルルたちを見守るミカ。すると、その隣でユッフィーが何か思いついたような顔をして。頭の上で電球をピカッと光らせていた。夢の中ではイメージの力が勝手に作用して、漫画めいた演出をひとりでに行う事がある。

「どうしたの、王女?」
「これだけあちこちにエルル様がいるなら、先日ブラックマーケットで見たアリサ様がどこから来たのか、目撃してないかと思いまして」

 異世界の勇者たちが集う永遠の都、ヴェネローン。ミカもユッフィーの中の人が書いた小説の読者であり、その存在は作中でもたびたび言及されていた。アリサは和風の異世界、トヨアシハラから渡ってきたウサビトの姫だ。単独で隠密行動できるほどの、剣の達人でもある。

「悪夢のゲームによる『ロックダウン』を受ける以前、わたくしたち地球人は夢の中で無意識に『異世界へ渡る』ことができました。眠る身体を地球に置いたまま、精神だけの不安定な異世界転移でしたが」
「話が大きくなってきたわね」

 ミカがあいづちを打つと、ユッフィーは続けて異世界での体験を語った。

「イーノ様はそのとき向こうでエルル様や、ヴェネローンの勇者たちと知り合ったのですわ」

 夢の中で体験したことの記憶は、何もしなければただの夢として遅からず忘れ去られてしまう。

「けれどイーノ様は、エルル様との思い出を忘れないためにずっと、拙いながらも『夢渡り』の記憶を小説に書き続けてきたのです」

 作家デビューするとか、コンテストで新人賞を勝ち取るとか。そんなのはイーノにとっては、二の次なのだろう。ただ、大切な人との思い出を忘れたくないだけ。だから彼は、今日も「夢を渡る小説家」であり続ける。

「小説家のイーノさぁんとぉ、詩人のわたしぃはきっとお似合いですぅ♪」

 エルルへの想いを、目の前で打ち明けられて。エルルたちはみんな一斉に照れたりデレデレしながら、ユッフィーを見つめ目をウルウルさせている。

「イーノ様は、幸せ者ですわね」

 ユッフィーが顔を赤くしながら「あくまで他人」の体裁で感想を述べる。彼女は中の人イーノが演じるアバターなのだが、イーノ自身のことを語る際には第三者の視点をとる。なりきりへのこだわりなのだろう。

「じゃあ、やっぱりあのとき見えない天井に頭をぶつけたのは。異世界へ飛ぼうとして妨害されたのね」

 話に聞き入るうち。ミカの中で、バーサーカーに追われる恐怖でかき乱されていた夢の記憶が明瞭に整理されてゆく。

「けど、見えない天井にぶつからず異世界と行き来する手段があるの?」
「ええ。わたくしがやったように国内から国内への召喚なら妨害されませんし、アリサ様はどこかにある『裏口』から出入りしていると思いますの」

 サウナの熱気も忘れて、豊かな胸元に玉の汗を滴らせながらユッフィーが語る。

「かつて日本には、様々な妖怪や魑魅魍魎が跋扈した時代がありました」

 九尾の狐に酒呑童子、そして大嶽丸。それらを退治した武者たちの伝説は歴史を彩っている。やがて武士同士が争う源平合戦の世となり、さらに時は流れて戦国の世ともなった。それらの戦いに敗れた歴史の敗者たちは、日本各地に点在する異世界への「門」を通り、新天地に逃れた。

「落武者たちは門に『鍵』をかけ、あるいは門の存在を秘匿し、追っ手を防ぎました。そして地球の歴史から姿を消し、異世界の住人になりましたの」「それでぇ、異世界のひとつぅトヨアシハラに流れ着いたのがぁ。アリサ様のご先祖様ですぅ!」

 いきなり横から。サウナで隣に座っていたエルルがユッフィーの語りに割り込んできて、肝心なところを持っていった。詩人として語らずにいられなくなったか。ミカはあっけにとられるばかりだ。

「海外でも、日本と状況は同じで。エルル様の祖先は北欧から異世界アスガルティアに渡ってきたヴァイキングや、戦乙女ヴァルキリーですの」

 ユッフィーが笑って、エルルの語りに付け加える。エルルは酒屋の娘だが趣味で吟遊詩人の修行もしていたと、懐かしそうな顔でミカに話した。

「アリサ様ならぁ、神社のそばでよく見かけますよぉ?」

 バスタオル巻きのエルルが、ユッフィーの顔を無邪気にのぞきこむ。さきほどからふたりの仲睦まじい様子を見ていてなぜか、ミカの内心にはかすかに嫉妬めいたものが浮かんでしまう。けれど王女の前だからと、すぐに押さえつけた。

「アリサさんは、故郷と似てる日本の文化に興味があるのかしら」
「くわしいお話をぉ、聞きたいですかぁ?」

 今度は、ミカと目を合わせるエルル。屈託のないまなざしから、ミカにも分け隔てなく好意を抱いていることがうかがえた。

「エルル様、ぜひお願いしますの」

 ユッフィーも、事態を進展させるきっかけになりそうなエルルの情報に期待を寄せると。

「でもぉ、その前にぃ」

 エルルのおねだりするようなまなざしが、ふたりに訴えかけてくる。

「地球のお酒が飲みたいですぅ♪」

 それからすぐ。エルルは外に出てシャワーを浴び、冷水に浸かるようふたりに促した。ただでさえ熱いサウナで、のぼせるような話をしたのだから。

 確か先日のブラックマーケットでは、夢の中で飲める酒類は生産者が少なく物流にも困難が伴うことから、かなり高額で取引されていたような。三人で並んでシャワーを浴びながら、ユッフィーはエルルのお願いにどう応えてやるべきか、思案を巡らせていた。

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