第7夜 猫の散歩

 いまの自分は、猫のようなものだ。起きたいときに起き、食べたいときに食べ、気の向くまま散歩して、寝たいときに寝る。昭和の頑固親父が何を言っても、どこ吹く風。通勤ラッシュとも、面倒な対人関係とも無縁。そんな生活がもう、一年以上続いている。

 だからこんな状況になっても、精神的な余裕はあった。仕事こそないが、小説の構想を練る時間はたっぷりあった。

 翌日。四十過ぎのおっさんが平日の昼間から、地味な私服で街を出歩いている。スマホを手にして、ときおり道路脇で通行人の邪魔にならないように画面をのぞきこむ。位置情報ゲーム「レイラインドラグーン」をプレイ中のようだ。

 2019年春に10年勤めた物流センターを、施設移転の都合で退職して以来。無職な上、緊急事態宣言下では就職のあてもない彼は暇を持て余し気味だった。失業手当もとうに切れていたが、親と同居しているので当面の生活にも困らない。散歩しているうちに、2〜3時間は瞬く間に過ぎてしまうこともあるレイドラはいい退屈しのぎだ。地元の歴史にも詳しくなる。仕入れたネタは、小説の構想に取り入れる。

(アリサさんを神社の近くでよく見ると、エルルちゃんは言ってたけど。ウサギ獣人の彼女の行方を追ってたら、そのうち不思議の国に迷い込むかも)

 そんな取り留めもない空想を巡らしながら。イーノは、歩ける範囲の寺社仏閣を片っ端から回っていた。
 夜中の「夢歩き」は危険な上、移動手段が限られる。悪夢の中で負ったダメージが現実の肉体を傷つけることはないが、夢の中のトラウマが元で心的外傷後ストレス障害になったり、最悪眠ったまま目覚めない可能性もゼロではない。その場合、現代医学ではクライン・レビン症候群として扱われるのだろうか。おそらくは、今も眠り続けているエルルの本体のように。

 それなら、安全な昼間に下調べをすればいい。生身では「門」を潜れないだろうが、場所の見当くらいはつけられる。その調査結果を、今から読者の諸君に報告しよう。その場の「夜の顔」を推測できる、貴重な手がかりだ。

 江戸時代、松戸の近辺では「庚申信仰」が盛んだったらしい。近所のバス停には「庚申塔前」があるし、松戸新田のスーパー「けなげや」の脇にも「青面金剛」の古い石碑が立っている。これらはみな、その名残。


 そして、庚申信仰の聖地が松戸のお隣、葛飾区の題経寺。柴又帝釈天の名で全国に広く知られている。青面金剛は帝釈天の使者で、今あちこちで人気の妖怪「アマビエ」より古い歴史を持つ、疫病退散の夜叉神だ。

 さて、この庚申信仰には「悪夢のゲーム」との関わりを連想させる興味深い伝承がある。人の身体には三つの目に見えない悪い虫が潜んでいて、60日に一度巡ってくる庚申の日に夜眠る人から抜け出して天にのぼり、宿主の罪過を天帝に報告して寿命を縮めさせるという。対策として庚申の日に眠らず神仏に祈りを捧げたり、和歌を詠んだり、宴会を開いたのが庚申待。これを三年間、18回行った記念として立てられたのが庚申塔だ。

 イーノは考えた。この三つの悪い虫は、人間が誰しも持つ怒りや憎しみ、誰かを許せないと思う心を指しているのではないかと。異世界の悪しき者「ガーデナー」たちは、悪夢のゲームを通じてこれらの感情を「収穫」し「悪夢獣」などの怪物を生み出して、自分たちが他世界へ侵攻するための手駒に利用している。闇市に現れた道化人形が「地球は我々の庭で農園」だと言った理由もここにある。

 私たちの地球は格差や貧困に差別、大国間の覇権争いや環境問題などに満ちていて、ガーデナーたちがわざわざ侵略するまでもなく負の感情が育っている。下手に表立って動いてしまうと、むしろ人類に団結の機会を与えてしまう。古典的なSF、H・G・ウェルズの「宇宙戦争」は、完全に下策ということになる。
 2020年になってからは、そこにコロナ禍が加わった。この混乱と分断を利用して、陰で暗躍していればそれで十分「豊作」なのだ。

 では、あの道化が言ったように。悪夢のゲームは彼らの本意でない何かのトラブルで引き起こされたものなのだろうか?

 庭師たちも全てを掌握しているわけでなく、負の感情の暴走がユッフィーとミカを追い回した「バーサーカー」を生んだりと、イレギュラーも多々あるようだが。

 私たちがこの悪い虫を押さえ込むには、赦す心を持つことが大切だろう。憎むな、殺すな、赦しましょうと訴えた、正義の味方のおじさんみたいに。そんなことを考えながら歩いていると、ふと不思議なものがイーノの目に止まった。

「養老伝説の地 子和清水」と大きく書かれた、銀色に輝く金属の看板だ。


 先日夢の中でバーサーカーに追われながら八柱霊園へ向かった、大手総合スーパー「妖花異刀堂」やファミレス「ヤサイゼリー」のある道を右折せず直進すると、新京成線の八柱・常盤平・五香のほぼ中間地点に小さな公園がある。三叉路の真ん中にある、川の中洲のような場所だ。電車の線路はここを迂回する形で、半円形に敷設されていた。

 好奇心に駆られて中へ入ってみるが、そこはろくに手入れもされず雑草が伸び放題の残念な観光名所といった感じだ。もちろん人の姿もない。

母馬が番して呑ます清水かな

 少し進むと、小林一茶の句碑がある。おおよそ200年前の俳人だった彼はここから徒歩で1時間ほどの馬橋と縁があったらしい。昔はさぞかし澄んだ泉が湧いていたのだろう。今は周辺開発で枯れてしまった泉を井戸水を汲んで再現しているが、とても飲めたものではない。池とも呼べない水たまりを石で囲っているだけ。この姿を一茶が見たら、どう思うことか。

 かつての泉のほとりに設置された「子和清水の像」も、どこか寂れた様子に思える。ここは、時の流れから忘れ去られた場所。

 むかし、この近くに酒好きな老人が住んでいた。
 貧しい暮らしなのに、外から帰るときには、酒に酔っている。
 息子がいぶかって父のあとをつけてみると、こんこんと湧き出る泉を手ですくって、さもうまそうに「ああ、うまい酒だ」といって飲んでいた。
 父の去ったあと子が飲んでみると、ただの清水であった。
 この話をきいた人々が「親はうま酒、子は清水」というようになった。
 各地にある子和清水、古和清水などは、こうした伝説による泉です。

(酒の泉…!?)

 子和清水の像に刻まれていた、酒の泉の伝承を読んだイーノの脳裏には。地球のお酒が飲みたいとおねだりしていた、エルルの姿が浮かんでいた。

 肉体を持たずに来た異世界の者が、地球の恵みを実際に食することは残念ながら叶わない。できるのは、夢の中で夢見の技によって再現された地球の味を擬似体験することのみ。それすら、悪夢のゲームにおいては難しい。

(でも、夜に夢の中でここを訪れれば。きっといい感じのパワースポットになっているはず)

 位置情報ゲームをプレイしながら、多くの廃墟を見てきたイーノには確信があった。

 松戸市内には、住む人のいない廃墟があちこちに点在している。五香駅前はシャッター通りと化した商店街があるし、上本郷駅前にある何軒かの中華料理店のひとつは、いつの間にか閉店していた。近くには、だいぶ前に閉店したまま物置になっている同業店の廃墟もある。極め付けは、風早神社の近くにある家電店の廃墟か。壁は木造でシャッターは赤茶色に錆びており、正面の色あせた看板には「カラーテレビ・ステレオ・冷蔵庫」の文字がある。察するに、家電製品の「三種の神器」が憧れの対象だった頃の店だろうか。

 それらは夜になると、カオスではあるが夢の中で活気を取り戻していた。他のプレイヤーたちが勝手に改装したり、空き地に家を建てている。昼間に「ふしぎなあきち」や空き店舗を見つけたら、夜の姿に注目だ。

★ ★ ★

「ここが、夜の子和清水…?」
「美味しいお酒がぁ、タダで飲めると聞きましてっ♪」

 悪夢のゲーム中で。ユッフィーとミカ、銑十郎にエルルを加えて4人パーティで夜の「子和清水1号緑地」を訪ねてみると。そこには周辺の道路を巻き込む形で、一茶が俳句を詠んだ当時の風景が部分的に再現されていた。

 江戸時代。かつてこのあたりには、小金五牧と通称される幕府の放牧場が存在した。軍馬を育てるため、広大な土地を木戸や石垣で囲ったのだ。北習志野駅のひとつ手前、高根木戸という地名にその名残がある。新京成線は、八柱駅から北習志野駅を越えて薬園台駅のあたりまでずっと中野牧・下野牧のあった領域を走っている。子和清水もその牧場内にあった。

「これじゃ、イタリアのトレビの泉だね」

 うまいうまいと言いながら、他のプレイヤーたちがこんこんと湧き出る水を飲んでいる。中には直接、泉に口をつけてガブ飲みする者までいて。その多さに、銑十郎が驚きの声をあげていると。

「酒の泉があるのは予想通りですけど、なぜ闇市で特産品になってないんですの?」
「そりゃあおめぇ、泉から汲んだ水を遠くに持ってくとよ、ただの水になっちまうからよ」

 ユッフィーの疑問に、ぐでんぐでんに酔って緑地内に寝転がるハンターが酒臭い息を吐きながら答えた。

「おぬし…ユッフィーか?」

 ふと、背後から誰かの声がした。どこかで聞いたような気がするが、たぶん地球人ではない。ユッフィーが振り向くと、相手はいきなり感極まって猛ダッシュし、柔らかな胸元に顔をうずめてきた。

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