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μ's の模倣と脱却のカタルシス|『ラブライブ!サンシャイン!!』1期感想

車の運転中に聞いた Aqours の楽曲がめっちゃ刺さったので『ラブライブ!サンシャイン!!』を見ることにした。放映当時は途中で切ってしまったものの、楽曲は好きだったのでスマホに入れていたものだ。今まで何度も刺さっては忘れていたのだが、d アニメに登録したことでアニメ視聴ハードルが下がり、無事最後まで見ることができた。

放映当時切ったのは単純につまらなかったからだが、今回改めて見たらかなり面白かったので、その辺について書いていく。

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『サンシャイン』の世界では μ's が神格化されている。スクールアイドル黎明期のトップであり、そのブームに拍車をかけた存在であり、全スクールアイドルの憧れとなっている。現実のラブライブファンも、μ's が好きで追いかけている訳なので、この μ's ヨイショに悪い気はしないだろう。

高海千歌も同様に μ's に憧れて活動を始め、高坂穂乃果と同様にメンバーを集めていく。『サンシャイン』は明らかに無印『ラブライブ!』と対比されており、シナリオ展開のペースがほぼ同じである。

ラブライブ

後半になるにつれて『サンシャイン』オリジナルの展開となっていくが、前半は明らかに無印をトレースしている。

この手法の狙いは、1 つは μ's ファンがニヤリとできるファンサービス、もう 1 つは後述するカタルシスを生むため、という 2 つであったと思う。しかし、視聴当時の俺は、主に「展開が単調すぎてつまらん」という理由で 6 話で切ってしまった。単調と感じた理由は、既に無限回見た無印から展開が読めすぎたためだろう。

また、もう 1 つ「神格化しているのにトレースできすぎている」というのも不満点だった。μ's は東京の高校出身であるのに対し、Aqours は静岡の中でも田舎を舞台としている。当然条件は圧倒的に悪い。にも関わらず、序盤はほぼ完全にトレースできているし、3 話のファーストライブについては、μ's が数人しか集められなかったのに対し、Aqours は街中の人を呼んで体育館を満員にしている。

これが「μ's を踏み台とした再生産」に感じられて気に入らなかった。(もっとも、悪条件に関わらずトレースできているというのは錯覚であったということが 8 話で明かされる訳だが、俺が切った 6 話時点ではトレースできている空気感があった。)

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以上、『サンシャイン』の展開をボロボロに叩いたが、この展開は全て 8 話のカタルシスを生むためであった。8 話を見たときは「そうだよこれが見たかったんだよ~!!!」と叫んだね(叫んでない)。

7 話までは μ's を模倣し続ける話だったが、8 話で東京の大会で 0 票を獲得し、現実を突きつけられる。今まで盛り上がっていたのは、所詮ご当地の身内の中だけの話であった。オンラインでの順位は上がっていたが、真のトップ争いには指先ほども入れていなかった。これまで「普通の私たちでも輝ける、μ's のようになれる」と信じて、実際トントン拍子で成長できていると思っていたが、井の中の蛙だった。

この 8 話(正確にはその前振りも含めた 7-8 話)を起点に『サンシャイン』は無印から分岐する。10 話で合宿をするという共通点はあるが、合宿の内容は「μ's と同じ練習メニューがキツすぎる」という現実であり、模倣には失敗している。そして 12 話、「μ's の背中を追いかけるのではなく、自由に自分らしくあるべきだ」と気づき、完全に μ's の呪縛から解き放たれる。

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『ラブライブ!サンシャイン!!』は、μ's に憧れ μ's を模倣するところから始まった Aqours が、その模倣から脱却してアイデンティティを発見する物語であった。そのためには俺が退屈だと感じた 1-6 話は必要な前振りだったし、振り返ると好きになれた。分岐点となった 7-8 話以降は「μ's の代わり」ではなく「Aqours」を見ることができて、毎話面白かった。

もう少し展開が早ければもっと楽しめたのに、という文句もなくはないが、読後感(視聴後感?)はかなり良いので、終わりよければ全てヨシコということにする。(善子じゃなくてヨハネ!)

次は 2 期。さらには劇場版も待っている。自分らしさを見つけた Aqours をたっぷり楽しみたいと思う。

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P.S.
μ's の推しは凛ちゃん、Aqours の推しはずら丸です。どっちも 1 年生組が好きです。よろしくお願いします。

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