あーーあわあーあーあー

今、身につけている知識や得ようとしている経験は一体何の為に必要なのか、それは幸せのためか?何のために知識や経験を得るか、生きる為でもあるが“生きる為“ならそれほど多くの知識や経験は要らない。そもそも生きるとは何か?40年生きる事?子供を20歳にすること?そもそもの定義とは?もし、生きる事=幸せになる事と仮定するならば 答えはどうなる?5年で死んでも幸せなら“生きる“事になるのか?子供を作らなくても“生きる“事になるのか?幸せの定義は一体?三大欲求を満たす事が幸せなのか?個人によって幸せの定義は異なるであろう。美味しいものを食べよく寝て性欲を満たす、これがベースであってここからその個人の幸せの定義が発生するのではないのか?だが、この根本の考えを“幸せ“とは感じない人をいるのか?食べること、寝ること、性欲を満たすこと、ごく代表的な欲の象徴とも言える3つをも否定する人はいるのだろうか?性欲は満たさなくても死なないが、食欲と睡眠欲は大多数の人間の生命維持には関わっているだろう。稀に、光合成や呼吸、太陽光でエネルギーを補えると唱えるヒト。不眠で30年生きる人もいるが、そのごく少数の幸せは知らない。人を殺すのが幸せと感じるか、穴を掘るのが幸せと感じるか。こんな考えを持ってしまった私は幸せなのか?毎晩、毎晩悩んで自答し問題を作り変え考え自答しの繰り返し。この問題に正解はあるのか?
そもそも問題にすらなっていない私の感情の欠陥が生んだ思想なのか。助けてくれとは言わないし言えないが、この過去問を解いた人間の感情が知りたい。 生きる事は幸せになる事だよ と言うのかもしれない。 生きる事は死ぬ事だ とか言うのかもしれない。 その答えに納得できるのはその人だけなのかもしれない。 結局、今夜もこの問題は解決できなかった。また明日もこの感情はいるのだろう。コイツと共に生きていく事ができるのか?先に殺されてしまうのかそれとも味方になってくれるのか。神という存在がいれば簡単に丸投げできるのに私は無神教者だ。自分に都合の良い存在を作るのが苦手らしい。膝の上の香ばしい匂いの抱き枕だけが心地よく癒してくれる。結局、わたしは何のために生きているのだろう。 この考えを持つ事が生きるとゆう事なら 人生は砂の城のように脆いものだろう。今、私が導ける答えはこの感情を殺す事が“生きる幸せ“ の正体とする。。。