時々、生きていて、今この感情を文字にしたい。って思う瞬間に出会います。理由は似ていて 必ず、ネガティブな時に出会います。今もそうです。僕の将来のことを一緒に考えて、心配してくれる会話をしました。 とても喜ばしく相手の考え方や愛情をちゃんと感じる事ができた瞬間でした。 この気持ちを飲み込んだ上で僕はネガティブな胸が細く、青くなる気持ちになりました。相手のことを批判、傷つける様な気持ちは全くなく、伝えたい想いは飲み込むことができたと今は思います。その想いに自分の気持ちが交わり、ネガティブで青い心情になりました。 僕はおしゃべりが好きです。相手がいないとできません。なので、僕は人が好きです。 博愛主義の一部を持ってはいますが、嫌いな人もいます。別にその人を傷つけたいとも思わないので自分から離れるだけです。なので、友達が多いわけ でもないです。ぶっちゃけ「この人とは今も一緒にいたいな」と思える人はほとんどいません。ほどほどの 表面上のお付き合いだけでやってきました。 それでも、やっぱり相手とのおしゃべりはとても楽しくて好きです。
今、日本男性の平均寿命は82.15歳だそうです。僕はタバコも酒も夜更かしもインスタント食品も嗜む程度なので まあまあ長生きすると思います。けど、僕は35歳くらいでスパッと終わってしまっていいと思う時があります。 何をバカな事を言っているんだと思っているでしょうが 、申し訳ない程度で言い訳させてもらえるなら 僕は「生きる」事が怖くなる時があります。 「生きる」ことから 「死ぬ」という簡単な逃げ道に行きたくなる時があるのです。「コイツはバカな事を言っている。」「殴ってでも分からせないと 。」と叱ってくれる人もいます。ごもっともです。ただ単に甘えてるだけなんです。自分の弱く脆い部分に負けて楽になろうとしてるだけなんです。僕はこの考えを背負った時から 生きることは何なのか考える様になりました。
人によって定義が違うと思いますが 僕の中の今現在の答えでは生きることは「今を強烈に動く」ことだと仮定しています。 強烈 という表現で曖昧にしている部分ついては後で記述します。まず、何故「今」なのかを説明させていただきます。この要素には 心理学的要素と宗教的要素が入り混じっていますが、特別難しい話ではありません。過去でも未来でもなく “今“の理由としましては、過去も未来も存在しない。からです。あげあしを取れる部分がいっぱいありそうな考え方ですが 僕は“今“この考えにしがみついてやっと生きています。分かりやすいスタートとして赤ちゃんは泣きます。それは過去に泣いた事がある。からではなく、今泣く。から泣けるのです。泣く未来がある。 わけではなく 、今泣いてる。 から泣いているのです。これと似たような例えをいくら並べても納得しない人はいるかと思いますが、それは個人の自由 という言葉で片付けさせていただきます。何も捉われず一寸の今 を表現するために 強烈 という言葉を用いました。なので、僕が生きる為の言い訳として流れている言葉が「今を強烈に動く」なのです。その為に周りに迷惑をかけていいとは思いません。他人を傷つけて事は良くないから迷惑をかけたらダメ ではなく、自分の為にならないから迷惑をかける必要はないと思っています。他人を傷つけてる事やシャーデンフロイデに浸かっている事が幸せの人なら話は別ですが、僕はその感情が少なく、他人に迷惑をかけることにストレスを感じるタイプなので 他人に対しては攻撃的にならないようです。なので僕の人生は誰かの犠牲にならない限り、多くを必要としないで謳歌できる人生なのかもしれません。僕は人生で2つだけわがままを言いたい事があります。 「僕の事を大切にしてくれる人を悲しませたくない。」「僕のいたい場所にいること。」です。この2つだけ満たせればスパッと終わりたいですし、満たせれないまま残っていきたくはないのです。これを汲み取った上で僕は35歳くらいでスパッと終わってもいいかなと思うのです。 今日はこの想いを強く感じる日になりました。。