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熊野比丘尼の奄美紀行 しまっちゅ編  ~不羈の民の住む島へ~(後編)

(前編はこちら

5マイルでのお手伝い期間を終えてから数日は、奄美大島でいろいろと見てから帰ろうと思っていました。
WWOOF期間も残り1週間かという頃、おとうのお兄さん、生駒さんが大島から来ていたので、大島でどこへ行き何を見るかを相談してみたところ、思いがけずこう言ってくれました。
「じゃあ、うちに泊まれば?一緒にハイキングでもしよう」
あまりの親切にびっくりしながらも、お言葉に甘えて、奄美大島の宇検村のお宅に泊めていただきました。

実は、東京で奄美の滞在をプランしている間は、加計呂麻島さえ行ければ大島はスルーで構わないと思っていたのです。
でも、ある友だちが「なおちゃんは、宇検は行った方がいいよ」と言ってくれたので、それがどこかもわからずに、宇検という地名だけは覚えていたのでした。
生駒さんは、はからずもその宇検村にお住まいだったのです。

アランガチの滝と水のお話

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宇検にある「アランガチの滝」は、2年前に来た時、あの不思議なリラックス感を最も強く感じた場所でした。
あれはかつての灌漑用水跡で、つまりは人造の滝だと言う人もいますが、流れ落ちる水の美しさに天然も人工も変わりはないのです。
また、宇検村の水源の系統でもあるそうで、「地元の方の感謝と敬意も、この滝を彩る美しさなのかも」とも思っています。

そして、生駒さんが教えてくれた、水についてのお話は、私にとって、必要で感慨深い、特別なものでした。
宇検はアランガチの滝と同じ系統から採水しているそうで、水道水でもとても美味しい水です。
しかし、生駒さんに言わせると、宇検村に水道事業を委託している今よりも、集落のみんなで水を管理していた昔の方が、もっと美味しい水だったそうなのです。
「年に1回か2回、タンクの掃除をみんなでやる。きつい重労働だから若い者の仕事だが、みんなでやればそれほど苦しいものじゃなかったよ」
なるほど、自分たち自身で手間をかけてお世話している水は、知らない誰かがどこかで面倒を見てくれている水よりも、直接的で力強く、美味しく感じられることでしょう。
そして、そのお話を聞きながら、私はこう思いました。
(そのころはまだ、古くからの信仰の形がそのまま生きていたんだ)

「水源を守る」という信仰と習慣

奄美は、沖縄と同様の巫女の制度や祭祀があったと言われています。
私は、ノロ祭祀の専門書などはあまり読んでいないのですが、加計呂麻島の集落をいくつか見ると、本よりも確かに見て取れることもあるのです。
島の人が大切にしている聖地には、私の見たところ、2つのタイプがありました。集落の中で祭りをする場所と、巫女だけが入れる水源や山などの聖地です。
舟からのアクセスの良さと水源があることが、人が住める場所の絶対条件。
これに続いて、田畑を作りやすい平坦な土地が広くあることや、夏涼しく冬は温かいといった、日光や風向きの好条件があると、人が集まる大きな集落になりやすいのです。
海を渡って島にたどり着いた人にとって、最も大切なのは飲み水。
だからこそ、水源を聖なる場所として、巫女だけが入れる禁足地にして守っていたのでしょう。
生駒さんの話す、集落のみんなで運営する水道というのは、古来の水源信仰が形を変えて、現代技術に適応した姿のように感じられました。
奄美では、まだ、こうした信仰が生きて残っている。
それは、ひょっとしたら日本人にとって、何かの希望なのかもしれません。

独立不羈の島、奄美

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私は、奄美に詳しい友人たちのおかげで、知識としては奄美の歴史背景を知っていました。
でも、やはり実際に来て、見て、私が学びたかった事の一端をようやく掴んだ気がします。

鹿児島県ではあるけれど、文化的には薩摩でもなく、沖縄でもない。
独自の風土を持ちながら、ある時は琉球王国、また別の時は薩摩藩、数十年前はアメリカ、今は日本と、ある意味、ずっと外部から統治を受けている。
それでいて、島の人には、本質的に不羈の気質がある。
それが奄美の島々です。

不羈というのは、私の大好きな憧れの言葉で、「誰にもかしづかない」という意味です。(十二国記ファンの方だったら、ご存知でしょうか)
ヤマトから見ても、琉球から見ても、大陸からも、常に「周辺」である島。
そこに住むのは、いつかの時代に海を渡ってきた人たちの子孫であり、いろんな時代に海を渡ってきた様々な人種の混血児たちです。
だからでしょうか。
どんな他人も、どんな権威も、当てにはしないで、寄って立つところは自分自身なのだという自負を持つ人が多いように見受けました。
元々島に住む人も、最近、移住してきた人も、双方共にそんな感じです。
そして、不思議ですが、そういう気質は人間同士の協力や思いやりを阻害しないようでした。
自分は自分の領域を背負って立つけれど、お互いの得意分野の産物を交換して、協力することでお互いがより豊かになる。
当たり前だけど、当たり前すぎて忘れ去っていた、人間らしい共存の姿を見たような気がします。

初めて来た時から、奄美は熊野に似ている、と思っていました。
この奄美の風を受けて、今月は、熊野へ行ってみようと思っています。
さて、どんな産霊(むすひ)のご縁があるでしょうか、楽しみです。

2020年3月1日

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