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古典文学に見る季語の源流 第八回「蝉(蟬)」

この時期の風物詩として、「蝉(蟬)」を取り上げよう。

蝉といえば、何と言っても芭蕉の句〈閑さや岩にしみ入る蝉の声〉であろう。山形県山形市の立石寺(りっしゃくじ)(山寺)において、一六八九(元禄二)年五月二十七日に詠まれた句である。

戦前、斎藤茂吉がこれはアブラゼミだと言い出したことがある。その説に小宮豊隆が反論、細く澄んだ糸筋のようなニイニイゼミの声のほうが「岩にしみ入る」にふさわしいと主張した。この論争は結局、新暦だと七月十三日に当たることを踏まえて現地調査を行い、茂吉もニイニイゼミだと認めて決着したそうである。

タイムマシンが発明されない限り、真相の分からない話ではあるが、本論争において興味深いのは、茂吉が芭蕉の句の眼目を「群蝉(ぐんせん)の鳴くなかの静寂」と述べた点である。騒がしい中にあって「佳景寂寞(じゃくまく)として心すみ行くのみ覚ゆ」(奥の細道)という境地に至ったと捉えたのである。

ただ、現実生活では、蝉時雨のなか集中して過ごすことは大変難しい。早くも『万葉集』の時代に、次のような歌がある。

黙(もだ)もあらむ時も鳴かなむひぐらしの物思ふ時に鳴きつつもとな
(巻十、一九六四、読人しらず)

蜩(ひぐらし)と来たら、悩んでいるときに限って鳴くから気に障る、のんびりと悩みのないときにこそ鳴いてほしいのに――。この歌人を苦しめていたのは恋のようだが、現代人の場合、蝉の声が煩わしいといえば、やはり夏休みの宿題の記憶であろう。終わらない、終わらない、と焦りながら、つくつくほうしの声に気を散らされたものであった。

さて、単に蝉といえば、夏の季語であるが、蜩(ひぐらし、かなかな)やつくつくほうし(法師蝉、つくつくし)は秋の季語である。鳴き始めの遅いこれらは、寒蝉(かんせん)とも呼ばれる。一方、夏から鳴き続けて、鳴き声の弱くなってきた蝉のことは秋の蝉と呼ぶ。

かつては、アブラゼミやミンミンゼミよりも、蜩のほうが馴染み深かったらしい。『枕草子』にも、「虫はすずむし。ひぐらし。蝶。まつむし。きりぎりす。はたおり。われから。ひを虫。ほたる。(後略)」と挙げられている。

『万葉集』を見ると、蜩はよく秋の植物とともに詠まれている。

萩(はぎ)の花咲きたる野辺にひぐらしの鳴くなるなへに秋の風吹く
(巻十、二二三一、読人しらず)

「~なるなへに」は「~するのと同時に」という意味。萩の花(視覚)、蜩(聴覚)、秋の風(触覚)により、秋の到来をしみじみ実感したのである。

ひぐらしの鳴きぬる時は女郎花(おみなえし)咲きたる野辺を行きつつ見べし
(巻十七、三九五一、秦八千島(はだのやちしま))

カナカナという声を耳にすると、女郎花の咲き誇る野を想い、仲間と訪ねてみようと考える。こうして草花を愛で、巡る季節のなかに暮らしていた彼らの伸びやかな感性を真似したくなる。なお、萩も女郎花も秋の七草である。
最後に、変わり種の蝉の和歌を。

これを見よ人もすさめぬ恋すとて音(ね)をなく虫のなれる姿を
(後撰和歌集、恋、源重光)

すげなくあしらわれる片恋の苦しみに声を上げて泣くあまり、自分は蝉、それも抜け殻の蝉になってしまった――そんな大げさな和歌とともに、蝉の抜け殻を送りつけたそうな。女からすれば、不気味で、迷惑な話である。


*本コラムは、俳句結社「松の花」の結社誌に連載しているものです。

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