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古典文学に探る季語の源流(全12回の連載)

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俳句結社「松の花」の結社誌に連載しているコラム『古典文学に探る季語の源流』をnoteにも転載しております。2020年は奇数月の号、2021年は偶数月の号に掲載した記事を合わせ、毎… もっと読む
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記事一覧

古典文学に見る季語の源流 第13回 春はネモフィラ?〜連載の終わりに〜

古典文学に見る季語の源流 第13回 春はネモフィラ?〜連載の終わりに〜

春の花といえば、何か。梅? 桜? 藤? 花壇のチューリップ、道端のたんぽぽを思い浮かべる人も多いだろう。

先日、ある女子大生と話していると、
「春は皆ネモフィラを見に行き過ぎなんですよ。まぁ、私も行くんですけど」
という話が出た。今や、「春はネモフィラ」という人が少なからずいるようなのだ。

確かに、丘一面に咲いたネモフィラの青の絨毯は美しい。でも、春の代表的な花とまでは思わない、というのが、三

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冬籠(ふゆごもり) ~古典文学に見る季語の源流 第十二回~

冬籠(ふゆごもり) ~古典文学に見る季語の源流 第十二回~

寒さ厳しくなってくる十二月ということで、「冬籠」を取り上げる。

芭蕉の句に〈冬籠また寄り添はん此の柱〉とある通り、俳句ではもっぱら、人が家に籠ることをいう。『華実年浪草(かじつとしなみぐさ)』(鵜川麁文(そぶん)、一七八三年)にも、「俳諧には人の一間(ひとま)にこもり寒を厭ふをいふなり」とある。

飯田蛇笏の〈たまきはるいのちをうたにふゆごもり〉のように、北国の厳しい冬を思わせる句がある。傍題の

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時雨(しぐれ) ~古典文学に見る季語の源流 第十一回~

時雨(しぐれ) ~古典文学に見る季語の源流 第十一回~

秋から冬に移り変わる頃、空が低い雲に覆われ、雨が降ったり止んだりするさまを「時雨(しぐれ)」と呼んでいる。「時雨(しぐれ)る」と動詞の形でも使われる。

この語は『万葉集』の昔から登場し、

時雨の雨間(ま)無くし降れば
三笠山 木末(こぬれ)遍く色付きにけり
(巻八、大伴宿禰稲公)

というように、山の木々が色付く様子と結び付けられた。

春日野に時雨降る見ゆ
明日よりは黄葉(もみぢ)挿頭(かざ

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菊 ~古典文学に見る季語の源流 第十回~

菊 ~古典文学に見る季語の源流 第十回~

秋の植物に「菊」がある。ルース・ベネディクトが『菊と刀』を著したように、日本人と馴染み深い植物で、天皇家でも十六葉八重表菊の「菊の御紋」が用いられている。

しかし、日本人との関わりは、梅や桜よりも短い。菊の御紋も、後鳥羽上皇が個人的に愛好していたのを、後深草・亀山の両天皇が正統性の証として用いたのが始まりだ。長い皇室の歴史のうち、七、八百年のことなのである(それでも長いが)。

「きく」は音読み

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秋の風 ~古典文学に見る季語の源流 第九回~

秋の風 ~古典文学に見る季語の源流 第九回~

季語「涼し」は、俳句初心者を混乱させる。涼しく過ごしやすくなった秋ではなく、夏に見出す涼しさを詠む季語であるからだ。

さらに難しいのが「夜の秋」。秋とあるが、こちらも夏の季語である。晩夏の夜に早くも秋の気配が漂うさまをいう。この秋の気配の正体は何かと言えば、風である。昼間はうだるような暑さであっても、夜には涼しい風が吹いたりする。

涼風が秋のサインであることは、百人一首〈住の江の〉で名高い藤原

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古典文学に見る季語の源流 第八回「蝉(蟬)」

古典文学に見る季語の源流 第八回「蝉(蟬)」

この時期の風物詩として、「蝉(蟬)」を取り上げよう。

蝉といえば、何と言っても芭蕉の句〈閑さや岩にしみ入る蝉の声〉であろう。山形県山形市の立石寺(りっしゃくじ)(山寺)において、一六八九(元禄二)年五月二十七日に詠まれた句である。

戦前、斎藤茂吉がこれはアブラゼミだと言い出したことがある。その説に小宮豊隆が反論、細く澄んだ糸筋のようなニイニイゼミの声のほうが「岩にしみ入る」にふさわしいと主張し

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古典文学に見る季語の源流 第七回「七夕」

古典文学に見る季語の源流 第七回「七夕」

七夕は、暦の切り替えの影響を最も受けている季語の一つであろう。新暦の七月七日は盛夏の気分だが、これは秋の季語である。新暦と旧暦には約一ヶ月のずれがある上、昔は、一~三月が春、四~六月が夏……と三月(みつき)ごとに区切っていたため、七月七日は秋に当たるわけである。

天の川の両岸、わし座のアルタイルを牽牛(彦星)、こと座のベガを織女(織姫)と見立てる伝説はよく知られているが、そもそもこの伝説の発祥は

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古典文学に見る季語の源流 第六回「蛍」

古典文学に見る季語の源流 第六回「蛍」

三度目の緊急事態宣言下で、本稿を書いている。六月には「蛍狩」ができると信じながら、「蛍」を取り上げる。

二〇二一年は、六月五日からが二十四節気の「芒種(ぼうしゅ)」であるが、その中でも六月十一日からは七十二候の「腐草為蛍 (くされたるくさほたるとなる)」である。中国古典『礼記(らいき)』に見える、枯れて腐った草が蛍になるという理解から来た語である。季語では「腐草蛍となる」と読む。

ことわざには

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古典文学に見る季語の源流 第五回「卯の花腐し」「五月雨」

古典文学に見る季語の源流 第五回「卯の花腐し」「五月雨」

五月号(注:本コラムは結社誌二〇二〇年五月号に掲載)であるが、陰暦ではまだ四月である。そこで、今回は「卯の花腐し(うのはなくたし)」から始めよう。

卯の花は陰暦卯月、今の暦でいえば五月中旬に咲く。その時期に降る長雨を「卯の花腐し」と呼んでいる。卯の花を傷める雨を厭う初夏の季語である。

この表現の歴史は古く、順徳天皇(一一九七~一二四二)による歌論書『八雲御抄』でも、第三巻の「雨」の部に、

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古典文学に見る季語の源流 第四回「朧月」「朧月夜」

古典文学に見る季語の源流 第四回「朧月」「朧月夜」

春爛漫の四月号(注:本コラムは結社誌四月号に掲載)である。今回は「朧月(おぼろづき)」を見てみよう。

現存最古の歌集、『万葉集』にはこの語は登場しない。春の月を詠んだ和歌も、

春霞たなびく今日の夕月夜
清く照るらむ高松の野に

(巻十、読人しらず)

と照り輝く月を詠んでいる。唯一、

うちなびく春を近みか
ぬばたまの今夜の月夜霞みたるらむ

(巻二十、甘南備伊香(かんなびのいかご))

とい

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古典文学に見る季語の源流 第三回「帰る雁」「山笑ふ」

古典文学に見る季語の源流 第三回「帰る雁」「山笑ふ」

春の季語「帰る雁」は、俳諧の式目・作法を初めて印刷・公刊した『はなひ草』(一六三六年)にもすでに取り上げられている。和歌の世界では古くから馴染み深いテーマであった。

雁は、『万葉集』では主に「雁が音」という形で登場する。昔の人々は、動物の鳴き声を妻恋いと解釈し、切ないものだと受け止めていた。万葉集に詠まれるのは、ほとんどが秋の雁の哀しげな鳴き声だ。

春の雁として注目されるのは、巻十九、『万葉集

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古典文学に見る季語の源流 第二回「薄氷(うすらい・うすごおり)」

古典文学に見る季語の源流 第二回「薄氷(うすらい・うすごおり)」

 立春は二月四日という印象が強いが、二〇二一年の立春は二月三日である。二月四日以外になるのは三十七年ぶり、三日が立春に当たるのは一二四年ぶりであるという。いずれにせよ、立春を過ぎると、「暦の上では春ですが、まだ寒い日が続いています」という挨拶が聞かれるようになる。こうした時季を代表する季語として、今号では「薄氷」を取り上げたい。

 「薄氷」は、春の浅いうちに薄く張った氷のこと。解け残っている薄い

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古典文学に見る季語の源流 第一回「はじめに」「人日・若菜・七草粥」

古典文学に見る季語の源流 第一回「はじめに」「人日・若菜・七草粥」

「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集にこれ有り候。」
 あまりにも有名な正岡子規の文章である。子規が『歌よみに与ふる書』でここまで宣言せねばならなかったのは、それだけ『古今和歌集』の影響が深かったことの証明であって、子規自身も、「実は斯く申す生(=自分)も数年前迄は古今集崇拝の一人」であったと認めている。
 また、私がカルチャースクールで百人一首を講じていたとき、受講生から、
「辛気臭い恋の

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