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23-3.産業分野の心理支援最前線

(特集 秋冬の新着情報)
下山晴彦(東京大学/臨床心理iNEXT代表)

Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.23
〈耳寄りの新着情報〉

講習会1
■子ども認知行動療法スキルアップ講座—見立て編—
【日程】11月7日(日曜日)9時~12時

講習会2
■子ども認知行動療法スキルアップ講座—介入編—
【日程】11月28日(日曜)9時~12時

【詳細と申込】
https://note.com/inext/n/n9bf761710aff

1.ストレスチェックは時代遅れ!

皆さんは,“健康経営”という言葉をご存知でしょうか。

多くの心理職の皆様は,「“経営”の話ね。残念だけど,心理屋はお金儲けにはご縁がないと相場が決まっている。だから関心ないよ!」となると思います。ところが,実際は,健康経営と心理支援は,深く結びついているのです。

日本の産業・労働分野では,未だ旧い発想の医学モデルによる健康“管理”が中心になっています。2015年に開始されたストレスチェックは,健康管理のための手段であり,旧い発想に基づく活動です。また,産業・労働分野で主流となっているEAPも,どちらかと言えば管理モデルに基づいたものです。

それに対して健康経営は,社員を人的資源として尊重し,その人間としての成長を支援するという成長モデルに基づくものです。ですので,健康経営の発想が拡がることで,心理職が主体となって社員の心理支援ができるチャンスが大いに広がっていきます。

そもそも健康経営(Health and Productivity Management)という概念を提唱したのは,Rosen, R.H.という臨床心理学者でした。彼は,企業が生産性を上げるためには,社員のメンタルヘルスがいかに重要かを著書『ヘルシーカンパニー』※1)で解説しています。

※1) https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784382052222

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2.会社と社員を元気にする健康経営シンポジウム

そこで,臨床心理iNEXTは,11月19日(金曜日)の午後に,健康経営を推進するオンラインのシンポジウムを実施します。健康管理や働き方改革を主導するのは,厚生労働省です。それに対して健康経営を主導するのは,経済産業省です。シンポジウムには,経済産業省の担当者の発表もあります。

〈シンポジウム〉
『会社と社員を元気にする健康経営をデザインする』

【日時】2021年11月19日(金)14時~17時
【方法】ZOOMでのオンライン開催
【参加費】3,300円(税込)
【詳細と申込】https://www.utokyo-ext.co.jp/hms/symposium/hm
【共催】東京大学エクステンション株式会社
    東京大学産学協創フォーラム「臨床心理iNEXT」
    パーソルワークスデザイン株式会社
【企画・司会】下山晴彦

ポストコロナの時代に向けて心理職はどのような準備が必要となるのかに関心のある心理職の皆様にとっては,とても役立つシンポジウムです。プログラムと発表者は,下記のようになっています。心理職の未来を知るために,ぜひご参加ください。

第1部 我が国の健康経営の現状と課題
1)我が国における健康経営推進に向けての取り組み
[講師]藤岡 雅美
    経済産業省商務・サービスグループ ヘルスケア産業課 総括補佐
https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/healthcare/kenko_keiei.html

https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/healthcare/downloadfiles/180710kenkoukeiei-gaiyou.pdf


2)日本経済と健康経営の課題
[講師]ロバート・フェルドマン
    東京理科大学大学院経営学研究科 教授
https://www.gentosha.co.jp/book/b13915.html
https://most.tus.ac.jp/teacher/robert_alan_feldman/
第2部 社員のモチベーションを高める健康経営の向けて
3)健康管理から「社員の主体的取り組み」支援の健康経営に向けて
[講師]下山 晴彦
    東京大学大学院教育学研究科 教授
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/z0110_00001.html

4)継続的な健康経営を目指すためのセルフデザイン力
[講師]平林 由義
    パーソルワークスデザイン株式会社 代表取締役社長
https://forbesjapan.com/articles/detail/40365?internal=top_bv_05
第3部 健康経営イノベーションの必要性と課題:現場視点から
5)コメント:現場に根ざした経営組織論の観点から
[講師]高橋 伸夫
    東京大学大学院経済学研究科 
https://nobuta.bizsci.net/index.html

6)お客様と社員が共に『よく生きる』健康経営へのチャレンジ
[講師]鬼沢 裕子
    株式会社ベネッセホールディングス グループ人材本部長     
    吉田富美子
    株式会社ベネッセコーポレーション 事業戦略本部プロデューサー 
https://benesse-hd.disclosure.site/ja/themes/110

7)座談会:講師全員(司会:下山 晴彦)

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3.健康管理から健康経営へ

産業・労働分野の心理支援に少しでも関心がある心理職であれば,「健康“管理”と健康“経営”とでは,どう違うの?」という質問をしたくなると思います。実は,これが全く違うのです。

健康管理は,医学モデルに基づいて社員を管理する発想です。社員を管理し,現状を維持していこうという“守りの発想”です。健康管理や働き方改革のストレスチェックは,医学モデルに基づくという点で,主に厚生労働省が推進しています。

それに対して健康経営は,成長モデルに基づき,社員が意欲をもって自分の生き方に主体的に取り組むことを支援するものです。その結果として社員が意欲的に働き,生産性の向上を目指す活動です。したがって,健康経営は,社員の主体性や積極性を尊重する点で,会社が社員を管理し,社員は受け身で働くという健康管理中心の現状を打破する“攻めの発想”なのです。これは,社員の心理的健康を支援することこそがその企業の生産性を高めるとして,ポストコロナの時代に向けて,主に経済産業省が推進しています。

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4.なぜ健康経営なのか

健康経営が注目される背景は,生産年齢人口の減少と従業員の高齢化,深刻な人手不足,国民医療費の増加など,日本社会の構造的な課題への対処する必要があるからです。また,健康リスクが高まるほど,労働生産性の損失割合が上昇することも明らかとなっており,生産性向上に向けて健康経営の推進も求められています。
逆に健康経営を行うことで,従業員の健康に直接的に良い影響を及ぼすだけでなく,労働生産性向上にもつながり,企業の業績にも波及することが実証されています。このような理由から,日本において健康経営は,非常に重要なテーマになっています。

さらに,日本の産業界では,長年,心身の健康上の問題による就業中の生産性低下の問題が指摘されてきました。特に最近では,コロナ禍で急速に進んだリモートワークによって,仕事と生活の切り替えが難しくなるなど,社員にとっては新たな心理的ストレスも発生しています。同時に,企業にとっては,社員の心理状況が把握しにくい環境になりました。こうしたコロナ禍がもたらす社会構造の転換に適応し,組織の生産性の維持・向上を図ることが急務です。

このような健康経営は,主に経済産業省が積極的に推進していることもあり,多くの企業が目標として掲げるものとなっています。しかし,実際には,健康経営を実践し,プラス収益を実現までに至っている企業は,まだ出現していません。本シンポジムでは,何故日本の企業において健康経営を実現するのが難しいのか,そして困難を乗り越えて健康経営を実現するためには何が必要なのかを議論し,そのための具体的な方法を提案することを目的としています。

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5.深刻なプレゼンティズム

近年,心身の健康上の問題により就業中の生産性が低下してしまう「プレゼンティズム」の問題が大きな社会課題となっています。これは,仕事には出てきているものの,体調が優れない状態です。下記のイラストに示したように様々な心身の不調と関連した状態です。

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※)ELECTRIC DOC by 難波克行 より引用
https://electricdoc.net/archives/5666

このプレゼンティズムは,健康経営が求められる原因となっている生産性の低下と深く関連しています。プレゼンティズムによる経済的損失は,1人あたり年間50~70万円とされており,医療費や疾病休業に関するコストの3~4倍に相当することが示されています。医療費や疾病休業は,明確な経済的損失として意識されていたのですが,プレゼンティズムは,これまで見逃されていた現象でした。

しかし,実際には,下記のイラストに示したように医療費や疾病休業は,氷山の一角でしかなかったわけです。気づいてみると,プレゼンティズムによる経済損失がいかに甚大であるのかが見えてきます。したがって,プレゼンティズムを放置しておくことは,会社の経営を揺るがす原因にもなる危険な状態です。そのため,健康経営は,日本の経済全体にとって非常に重要な解決課題となっているわけです。

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※)ELECTRIC DOC by 難波克行 より引用
https://electricdoc.net/archives/5666

6.心理職が健康経営のためにできること

プレゼンティズムに代表されるメンタルヘルスの問題による労働生産性の低下は,大きな経済的損失につながっています。この問題の背景には,心身不調を抱えているのにもかかわらず,相談のための時間や交通費などのコストの心配に加えて相談することへの心理的抵抗があり,利用を回避する「サービス・ギャップ」と呼ばれる現象があります。

さらに,新型コロナウイルス感染症の蔓延からリモートワークへの移行が急務となり,仕事と生活の切り替えの困難などの新たな心理的ストレスが発生しています。社員の心身の状態が把握しづらくなる環境では,日本の企業で一般的な中央集権的な管理体制が,立ち行かなくなってきています。

コロナ禍がもたらす社会構造の転換に適応し,いかに組織の生産性を維持していくかが,喫緊の課題となっています。したがって,リモートワーク化が進むポストコロナ社会では,仕事と生活の切り替えが難しくなり,生産性の維持が一層課題となります。

そこで,東京大学の臨床心理学コースの下山研究室では,サービス・ギャップの解消のためにICTを活用したシステムを開発するとともに,心理職がポストコロナの時代に向けて社員の仕事と生活の切り替えを支援し,健康経営の発展に貢献をすることを目的とした実践研究を進めてきました。

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7.産業分野における心理支援の新しい形

下山研究室では,仕事と生活の切り替えを的確に行う要因を明らかにする調査研究を実施し,日本型組織において主流な会社主体の従業員の管理ではなく,社員自身が自らの働き方を主体的に工夫する「セルフデザイン力」が,境界の曖昧化が進む仕事と生活の切り替えを円滑化し,生産性低下を予防することを明らかにしました。

そして,下山研究室は,健康経営サービスの提供を行ってきたパーソルワークスデザイン株式会社(本社:東京都豊島区)と共同で,心身の状態や仕事への取り組み方を継続的にモニタリングし,社員自身の主体的なセルフデザイン力を育成する「モニタリングシステム」を開発しました。
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/z0110_00001.html

さらに,セルフデザイン力のさらなる動機づけと促進には,社員の自己語りを支援する双方向アバター活用の心理相談サービス「KATAruru(かたるる)」を開発し,実装しました。
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/z0110_00002.html

このようなサービスは,下記の図で示すように医療モデルによる健康管理ではなく,社員の主体性を育む成長モデルによる健康経営への革新的な構造転換を提案するものです。

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8.産業分野の心理職の活躍に向けて

以上みたように日本の企業において健康経営を実現するためには,次の3段階を踏まえる必要があるといえます。

①健康管理から健康経営へのパラダイム転換をする(イノベーション)
②社員の主体的取り組みを健康経営の基本とする(セルフモニタリング)
③社員のライフデザイン力の育成を支援する(成長モデル)

本記事でご紹介したシンポジウム『会社と社員を元気にする健康経営をデザインする』では,上記の3段階を踏まえて健康経営の実現に向けた提案をしていきます。そして,その実現のためには,心理職が重要な役割を担うことになります。

ですので,ぜひ多くの心理職の皆様にご参加いただけることを願っています。

■デザイン by 原田 優(東京大学 特任研究員)

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Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.23


◇編集長・発行人:下山晴彦
◇編集サポート:株式会社 遠見書房

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