恋愛の行方(仮提出)

僕の交際については「思春期の大罪」で述べた通りで、これが始まりであり、また終わりでもある。

以降、高校、大学、社会人と、僕は誰とも交際をしていない。途中、気になる人というのは居たけれど、特段、恋愛に発展することはなかった。そのため、学生時代に恋愛をしてこなかったことに後悔はないかと問われれば、概ねそのようなことは無いのだけれど、強いて言うならば、当時にしかできなかった限定的な恋愛があったのではないかと言う点については後悔がある。僕は今年で25歳になり、この年齢になると、周囲の友達からも結婚の話題が飛び交うようになってきた。25歳の僕が今、恋愛について考えると、もうそれは恋愛だけの問題ではなく、経済面、キャリアなど社会的立場も必然と関わってくる。つまり、学生の時のような純粋な恋愛は難しくなった/出来なくなったのである。この点について、無条件でできた恋愛はどのようなものだったろうかと、少なくとも経験として欲しかったところはある。

では、経済面、キャリアなどは別として、今の自分は誰かと恋愛をしたいかと言うと、あまり気乗りがしない自分がいる。恋愛にうんざりしてしまったとかではなく、それとは別に、あまり恋愛というものにポジティブなイメージを感じなくなってしまったのだ。今まで人生を過ごしてきて、様々な人から恋愛話を聞いたが、もちろん幸せなこともあるが、やはりネガティブな面が強い。また恋愛だけでなく結婚の話を聞いてみると、さらに幸せの話が聞けなくなるのだ。また、私的なことだが自分の家庭環境を省みても、決して結婚が良いものだと断言することはやはり難しい。

そのため、今、僕は一人でいることを選んでいる。幸い、現在僕には叶えたい夢があり、恋愛を棚上げにする名目もある。それによって不自由なことは今のところない。またもし恋愛が「運命の人」と出会い、その人の存在が自分の人生に豊かさを与えるというものならば、僕は恋愛とは違う出会いで達成している。以上のことから、とりわけ、僕は現在、恋愛に固執する理由がないのである。

しかし、それでも僕の心のなかには、恋愛とは素晴らしいもので、年齢相応時に結婚をすることが人生の幸せの1つなのだという社会的通念は無意識的に植え付けられている。そしてこの巨大な社会的通念は僕の恋愛感情へ強制的に影響を及ぼし、恋愛・結婚をしたいという気持ちを誘発する。そのため、僕は1人でいることを選択していても、恋愛・結婚について考えることを辞めることはできない。恋愛・結婚についてどれだけ否定的に捉えたとしても、僅かな期待を共に持ち合わせてしまうのである。

結局のところ、僕は恋愛をしたいのだろうか。この問いへの解答は、本当に是非をつけ難い。誰かと恋愛をすればそれなりに恋愛を楽しむだろうし、このまま1人ならそれでも問題ない。所詮そのレベルである。また以前にも述べたが僕は恋愛において、この上なく奥手である。自分から恋愛に飛び込むということは、よっぽどの決意、出来事がない限り無いであろう。

それでも、そんな僕がもし仮に恋愛をするならば、それは、「涼宮ハルヒのようなぶっ飛んだ性格の人が現れ、僕の意思とは無関係に、彼女が望む恋愛を叶えるために終始振り回されることを僕が楽しむ」か「僕が自身のあらゆる事柄を1人で抱えきれなくなり、限界を感じて誰かに人生を委ねたくなる」のどちらかのケースだろう。

この2つのケースから推測できるよう、僕の恋愛に必要不可欠なものは「強制力」である。恋愛への関心が微妙な位置にあるが故に、どうしようも抗えない強制力のもとの恋愛を求めてるのかもしれない。その恋愛がどんな形を持つのか、果たしてそれが良い方に転ぶか、それは当然分からないのだけれど、あとはその恋愛のもと、自分でできる限りコントロールしていく。そういった恋愛を僕はしていくのだと思う。

※構成が微妙なのと、もうちょっと書き直したいとこもあるので、改めて推敲する予定です。

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