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おむすびが食べられない 【エッセイ/#おむすびの輪】

はじめに

私ただいまインドネシアに単身赴任の身でございます。
しかも住んでいるところが在留日本人一万人のジャカルタでなく、何百人のメダンですのでまず日本のあのしっとり甘い米が日常的に手に入りませんし口にも入りません。
おむすびのことを思うと、大人の社会ですっかり汚れてしまった自分自身の手でにぎっても、それも塩おむすびでもいいので、あの日本のふっくらとしたおむすびが食べたいものです。
当初このあまりに平和で幸せな「おむすびの輪」というタイトルを見た時は実に大人げないのですが、いじけてすぐに閉じた次第です。
しかし、夏休みの宿題を八月末日にまとめてする習慣が長年身に着いたせいか期限ぎりぎりになると身体が自然発火してまいります。
ということで、ご飯、おむすびに関する今の環境と、その環境の中で私がいかなるおむすびを作ったかという報告を以下に記します。

インドネシアの米食について

インドネシアは米を主食とする国であります。
あまり知られていませんが米の輸入国でもあります。とにかくこの大国の国民みなが米を食します。
米の種類は当然日本と異なり、粘りや甘味の程度が日本の品種より低いのですが、もうそれは判っていることで今さらここで蒸し返す話でもありません。
私自身この国とのお付き合いはもうほぼ三十年になり、今も三年近く居住していて、この国の米のこと、おいしい食べ方などよく解っているつもりです。
私はこの国のご飯の食べ方をよく「汚しながら食べる」と表現します。
汚すという言い方はあまりよくないかも知れませんが、とにかく白いままで受け付けない、何か色をつけてからでないと口に入れないということを指しています。
何かのおかずや汁を白いご飯に混ぜてから口に運びます。
日本ならご飯のお碗とおかずのお椀やお皿との間の、ご飯→おかず→ご飯→おかず→ご飯→おかず、という箸の行き来があって「美味しくって止まらない」ループを描いておるかと思います。
しかし、インドネシアは違います。
ご飯×おかず→ご飯×おかず→ご飯×おかず、このような式で進みます。
結婚式会場でのビュッフェ形式の食事の時にスープがあるのにスープ皿はたいがいございません。平皿ではたっぷんたっぷんこぼれますし他のおかずも取りたいのです。
最初はどうすればいいのか判りませんでしたが、現地の方をよく観察しますと、どうやらスープをご飯にかけて馴染ませているのです。
どうせあとで混ぜるのだからスープも一つの皿にまとめてしまえということなのです。
この食べ方をするとどうなるかというと、質感や味覚については、ご飯よりもおかずへの興味や期待の方が高くなります。
日本人はあっさりと香の物でご飯を味わうということがありますが、こちらではご飯を食べるということはおかずと合わせるしか(つまり何で汚すか)しかございません。
ところで、混ぜてから食べるとかの話は日本でならカレーライスのスプーンさばきでその嗜好差がいくぶんかは表れるのかも知れませんね。

インドネシアにおけるおむすびについて

この国におけるおむすびの話に移ります。
タイトルに、おむすびが食べられない、と書きましたが、コンビニエンスストアに行くとまあ「買うことは」できます。
しかしこれもまた、ここで厳密に言っても始まりませんが、具材は当然現地の方に喜ばれるものになりますし、基本ご飯を生かす風にはなっていませんので、混ぜて食べる感覚は残っています。
シンプルな具材は好まれません。
ご飯を完全コントロールする「派手な」具材がマストであります。チキンから揚げとか、スパイシーソースで味付けした炒め物とかが入ります。
インスタント焼きそばを入れているおむすびもあり、まあ考えたらこれは関西ではありかも知れませんが。
このように、私たちのおむすびとは形は等しくてもアプローチが違います。
ある雑誌の記事でインドネシア人は海苔のパリパリした触感が珍しくて買う、と書かれていましたが、案外ポイントはそこかも知れないなと思ったことがあります。
いずれにしてもそこで主に語られるのは「ご飯」ではありません。

今回作るおむすびについて

さて、いよいよこの国でおむすびを作ります。

自分に課したお題は、
「日本のおむすびに近いものを今自宅にあるもので間に合わせて作る」

いろいろ考えて、ポイントは、
①米を柔らかく炊く(私は冷凍で柔らかめ(そのまま食べる用)と固め(ナシゴレン用)との両方を常備しています)
②具材は日本のおむすびの具材だと自分が錯覚しやすいものを選択する。
③のりは味付け味付けなしどちらでもいいがとにかく日本ののり。韓国のりは美味しいが今回の場合日本になかなか近づいていかない。

もともとおむすびはシンプルな食べ物なので上の三点をきちんと押えれば、私一人くらいだますのはわけないだろうと考えたわけです。
市内の日本料理店にいろいろ手を回したらそれなりのものができるでしょう。それでは、挑戦する楽しさ、遊び感覚が半減しますから、現時点で自分の家にあるものだけに括ります。
帰宅時スーパーに立ち寄らずに、まっすぐ家に帰っていきなり在庫を見ることにします。

具材はインドネシアが世界に誇る国民食ルンダンを選定しました。
牛肉や水牛肉を使い、ココナツミルクとスパイスで長時間煮て柔らかくしたものです。

全土共通、肉ありき!の特別感、世界における存在感など日本でいうなら「すき焼き」に相当するのかなと思います。
調べたら日本にも日本ルンダン協会という組織があるそうな。
ところで、ルンダンは侮れない料理で2017年度のCNN調査で世界一おいしい料理に選ばれております。
当然私はとてもとても一からルンダンを作ることなどできません。
実は積極的にルンダンを選んだ大きな理由の一つとして私が冷凍ルンダンを常備している、ということが挙げられます。

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しっかりした赤身肉を長時間炊いたあの口の中でほぐれる繊維質の感じ、甘辛い濃度感はなんとなくおむすびの具材にしたらマグロを甘辛く似つけた佃煮のおむすびになるのではないかとそう考えたわけです。

ということでインドネシアが世界に誇るルンダンを使ったルンダンおむすび(気持ちはマグロ佃煮おむすび)を作ろうとそう思いついた次第です。

ルンダンおむすびを作る

誰も作ろうとするわけありませんが、本人の気分を高めるために材料から書きましょう。

【ルンダンおむすび(気持ちはマグロ佃煮おむすび)作り方】

材料
①ご飯(水多め。柔らかさ目安はナシゴレンを炒めるのにはもたもた苦労する程度)
②ルンダン(私は冷凍弁当のおかず部分を利用。この冷凍弁当自体は200円しません)
③食塩少し(おむすび感を出す)
④のり(インドネシアでは塩とごま油の韓国のりが普通に売られているが今回は外す。日本のおむすびに届かずソウル途中下車になるため)

作り方
①ポイントはルンダンです。包み込む前に少し叩きます。
ラップに包んで、包丁の柄の尻で叩きます。
そのままでももちろんおいしく食べられますが噛む回数が多くなると「ルンダン感」が前に前に出てまいりますから、そこは繊維質感でさくっと流した方がおむすびの具材だからマグロだろうで思い込んだまま流れていく確率が上がります。
②あとはにぎる時の「気持ち」が大切です。どんな気持ちかといいますと、自分は日本の米でおむすびをにぎっているのだ、とそういう「念」を入れるのです。
その「念」は外のご飯部分から中の具材まで届くのです。私はよくわかりませんが。
それにしてもインドネシアのご飯は引っ付きが悪いです。詳しくいうと割れやすいのです。先ほど「念」を入れると言いながら、すぐさま話が違うかも知れませんが、最後はかなり「念」でなく「力」を入れました。「念」どころか自分が今何を作っているのか何度も忘れました。

材料にのりと書きましたが、のりの在庫を切らしていため、最後にのり玉子のふりかけ(日本製)ののり部分を中心に乗せました。さりげなく日本代表です。

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簡単ですね。今日もレンジ大活躍でございました。

ルンダンおむすびを食べる

さて、ルンダンおむすび(気持ちはマグロ佃煮おむすび)食べてみましょう。
おむすびというものはその中に起承転結の揃う小世界であります。
口とご飯部分が触れる瞬間、歯が具材に届く瞬間、さらに積極的に咀嚼に入る瞬間、さらにそのあと噛み進めて印象が変化していく様。
その一つ一つの段階が深い。興味心、好奇心が持続し溢れ、食べることがとても楽しいものです。
さて、このルンダンおむすび。料理としては大変おいしく楽しいことに違いはないのですが、なんといいますかファーストコンタクト(あるいはファーストインパクト)でもう南国気分たっぷりになるわけですね。
さすが、インドネシアが世界に誇るルンダンでございます。どこに潜んでいてもその存在感が違います。土管にいなくているようなジャイアンのようでございます。
ご飯の主張を探すうちにルンダンに届いたらもうだめですね。いきなりインドネシアに引きずり込まれますから。私それでなくてもインドネシアにいますのにね。インドネシアにいる人をさらにインドネシアに引きずり込む細かいこと気にしない南国パワーがございます。マグロ佃煮イメージなど霧消してしまいました。
口の中、ココナツミルクまた多種スパイスにより彩られたカラフルな味覚世界。もうおむすび気分まで吹っ飛びました。

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しかしそこはインドネシアが世界に誇る国民食ルンダンに最大の敬意を表して、ご馳走様でした、と手を合わせます。
そうそう、のり玉子ふりかけがおむすびにしがみついて日本を代表し頑張ってくれていたことを付け加えて報告いたします。

むすび

自分がインドネシア食文化を理解し尊重しようとしてきた中で、これまで封印してきたおむすび魂が今ここに刺激を受け燃え上がったように思います。
今、一番食べたいのは塩鮭のおむすびです。
実は一度日本の塩鮭感が味わいたく、こちらで普通に入手できるサーモンに塩たっぶり振って一晩おいてから強火で焼いたことがあるのですが、ダメですね。特におむすびは脂の少ない日本の塩鮭でなければなりません。
単身赴任の面倒くさいのは、この思いを誰かにすぐ言うということができないことです。

咳をしても一人

というあれですね。
従い、わざわざ家内に電話を掛けてまで話します。
すると、ああ、ちょうど昨日塩鮭だったわ、と自分たちの幸せ報告。
頭の中に浮かぶのは焼いた時のあの音、皮の焦げた匂い、旨味のある塩っ辛さ。。
口のなか塩鮭だらけになりました。まあ、こんな調子で当面お預けですが、次に帰国できた暁にはぜひ家内でなく塩鮭を抱いて寝たいと思います。
やはりおむすびを満足に食するにはいるところが土台違うのだという、わざわざスマトラ島に住まなくても判るだろうという結論でございました。
以上、むすびの言葉といたします。
おむすびだけに。