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針のむしろ

「針のむしろ」とは、
辛く、我慢しがたい
状況のたとえである。
周囲からの目線や反応が気になり、
心の休まらない場合に使用する。
多くの場合は、周囲の人からの
非難・批判を受け、
居たたまれないことを表現する。

人生振り返れば、
いつも針のむしろに座っている。
そんな心境で生きてきたんだ。

いつもやるべきことに囲まれて、
他人から否定されることが
怖くて怖くて、
なんとかうまくやろう。
そんな思いで生きてきたんだ。

自分が針のむしろに
ずっと座っていたって、
気づいたのは、簡単である。

自分が今は、針でないむしろに
座っているからなんだ。

針のむしろは、むしろについた
針が痛いわけじゃない。

他人の視線ってヤツが、
針みたいに突き刺さるから痛いんだ。

自分の自分に対する視線、
こいつが優しく、温かくなってゆくと、
他人の視線が気にならなくなるんだ。

気づいたら、
むしろについた針も取れている。
つまりは、そういうことなんだ。

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