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人は人、自分は自分

無礼な人のことは、あまり好きじゃない。
なぜか?と考える。

傲慢で威張っている人を見ると、嫌になる。
なぜか?と考える。

かと言って面と向かって
否定するわけでもない。
それも、主義じゃない。

ただ、自分が、そうならないように、
心がけるだけだ。

本当のところは、
自分も、無礼で、ごう慢で、
威張り散らす人柄である。
だから、そういう人を見たくない。
せめて自分は、そうならないように、
努めてきた。そんな感覚である。

でも、もう一歩進めて考えたんだ。
自分が、大切にしてきた、
礼儀とか、謙虚とか、
腰の低さとか、物腰の柔らかさとか、
誰からも認められる
美徳と言われる態度。

こいつは一体誰のために、
身につけているのだろう?と。

それは、少なくとも
相手のためじゃない。
すべて自分のためなんだ。

そういういわゆる好い人である、
そんな自分になると、
他人から、否定されない。
後ろ指を刺されない。馬鹿にされない。
そう信じているからだ。

私が大切にしてきた態度は、
あくまでも、
自分を傷つけられないように、
自分を守るための
偽善的なものだった。
つまりはそういうことなんだ。

振り返れば、四六時中、他人の目を
気にして生きてきた自分がいる。

誰かに否定されると、
とんでもなく落ち込む自分。
だから、できるだけ、目立たないように、
大衆と同じ側で、異端児を冷ややかに
見つめる側でいたい。そう思って生きてきた。

であるのに、なぜか人前に自分をさらし、
常に他人の目線を感じる。
そんな立場になってしまう。

他人が理解できないことを思いつき、
非常識なことに無謀な挑戦をする。

そんな自分だから、
非常識な自分の考えや行動が、
他人に理解されないことで、
なおいっそう落ち込んだりする。
結局は、この繰り返しなんだ。

反対に、誰かに自分を
認めてもらえたならば、
天にも昇るような気持ちで、有頂天になる。

「他人に認められたい」
でも、「他人に否定されたくない」

いつも他人の目線を意識して、
他人の評価を自分をはかる物差しにして、
必死に生きてきた自分に、
あらためて気づいたんだ。

もういい加減、他人の目線を
気にしないで、他人の評価を気にしないで、
自分らしく自由自在に生きること。

「人は人、自分は自分」
これが、自分の人生テーマである。
そんなふうに感じるんだ。

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