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家族という関所

父親との葛藤で苦しんだ。
そんな過去をもつ親は、
父親との葛藤で苦しむ。
そんな子どもの姿をみるはめになる。

母親との葛藤で苦しんだ。
そんな過去をもつ親は、
母親との葛藤で苦しむ。
そんな子どもの姿をみるはめになる。

兄弟姉妹の不和に苦しんだ。
そんな親は、兄弟姉妹の不和に苦しむ。
そんな子どもの姿をみるはめになる。

夫婦の葛藤で苦しんだ、
そんな過去をもつ親は、
夫婦の葛藤で悩み苦しむ。
そんな子どもの姿をみるはめになる。

家族の調和とか、
夫婦和合なんてものは、
形だけ、体裁だけ整えて、
維持すれば良いなんて、
そんなもんじゃない。

そんなことを代々繰り返しても、
結局は、家系の中に不調和のDNAが
連綿と受け継がれてゆく。
不調和の種が次世代にまかれる。
そういうことなんだ。

自分にとって家族の不調和は、
とても傷つくものだった。
ほっておけない。無視できない。
そんな大問題だった。
そして、それを修復した後の、
家族の調和は、自分を癒し、
心穏やかにする至福の瞬間であった。
このために、生きてきた。
そんなふうに感じるんだ。

今思えば、家族の不調和は、
自分との不調和を意味するし、
家族との調和は、
自分との調和を意味するってことなんだ。

自分にとって、家族関係は
とってもとっても厄介であり、
できれば避けたい。そんな問題だった。
でも、自分を生きるためには、
無視できない大事な問題だったってこと、
こいつにやっと気づいたんだ。

「次世代に何を遺したいか?」と、
もし問われたら、「家族との調和」
と答える。そんな自分がいる。
なぜならば、それが、「自分との調和」に
つながるからである。

「自分を生きる」と本当に願うならば、
家族や家系の問題は避けては通れない。
「自分探しの関所」だって、
そんなふうに感じるんだ。

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