父方の祖父母と、カップヌードル。

父方の祖父母の死は、カップヌードルをわたしにとって特別な意味を持つ食べ物にした

 今年になって亡くなったそうだが、父方の祖母は、わたしが家に来ると毎回千円札とカップヌードルを渡してくれた。生物学上、遺伝学上、社会通念上の母親はそれをよしとせず、千円はポッケないない、カップヌードルは「喘息が悪くなるから」「継母が来てもいいのか」と脅して捨てていた。カップヌードル、カップ麺を食べることで喘息、小児喘息が悪化するというエビデンスは、現時点をもって確認できない。仮に、過去にあったとしても、現在において存在しないということは、カップ麺を食べることで喘息が悪化するということは理論上ありえない、というわけだ。
 それを自称・当時の底辺高校の調理科卒で調理師免許持ちだと宣う母は、勝手な思い込みでわたしからありとあらゆるものを遠ざけた。カップ麺だけではない。菓子、ジュース、インスタント食品。よく書店に並ぶ「○○は危険!」「✕✕は発がん性がある!」といった本の先駆けといってもいいだろう。全くもって下らない。そういった類の書籍を、食品関係の仕事に就く生物g(ry 父が買い漁っており、盲信していたのも情けない。おまえたちが取り扱う肉は100%安全なのか? ただ卸問屋が卸す肉をスライサーで切ってパック詰めして、店頭に並べていただけではないのか? 古くなった肉を漬け込んで賞味期限を誤魔化すタレに、100%人体に害のない物質が含まれていないと、わたしの前で断言できるのか?
 母は姑に対する憎悪をわたしにぶつけていただけだ。父は世間体のためにわたしを利用して、家庭を顧みなかった。姑、つまりわたしの父方の祖父母は学のないヒトたちではあったかもしれない。しかし、1/4しか血がつながっていないわたしをここまでかわいがってくれた。仔牛が生まれ、出荷されていく行程を見せることで、命の尊さ、食のありがたさを教えてくれた。それを小賢しい知識で踏みにじった両親を、わたしは生涯、許しはしないだろう。彼らには他にも余罪がいくつもあるのだから。挙げていけばキリがないが、ひとつ挙げさせてもらえるなら、母がわたしの耳をハイヒールのカカトで打ったことだ。おかげさまでわたしは両耳とも聞こえが悪い。難聴寸前。メニエール病を疑われてしばらく改善薬を飲んでいたが効きはしなかった。まあ、本当は精神の病気だったから当たり前なんだけどね。母はこのことを「そんなこともあったわね。オホホホホ!」と笑い飛ばす。いまからでも遅くない。障害年金の残りを全部使って宮崎に飛び、祖父母の家ごと両親を焼き殺してやりたい。親殺しも放火も重罪だが、わたしには失うものなどほとんどない。せいぜい、子供のことくらいだ。生まれてからガラス越しにしか会うことができず、女というだけで親権を得られるこの日本という女性の司法割引がある国において、わたしは部外者で、結果ありきの話しかできない。もどかしい。

 レーシングプロジェクトフーリエでは、わたしたちのアツいレース活動を支援してくださるスポンサー様を募集しています。下記リンクより物資のご支援を賜りますと大変励みになります。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?