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第27回 私は正常に生きてます

 新婚2か月のレイちゃんは、見た目も人妻っぽい雰囲気に変わっていた。ふんわりしたワンピースに、キラリと光るネックレスと指輪、髪もウェーブがかっている。ついこの前まで、派手で尖がったファッションをしていたのに、短期間でこうも好みが変わるものか。顔をマスクで覆っていたから、待ち合わせ場所で声を掛けられるまで分からなかったくらいだ。
 とはいえ、マスクを外すとそこにはいつものレイちゃんがいた。

「別に『ゼクシイ』みたいな幻想を抱いてたわけじゃないけど、いざ結婚してみると、なんか日に日にふわふわしていく感じなんですよね」

 密室を避け、公園のベンチで話を聞く。結婚したことで、最近は「女の幸せ」についてモヤモヤと考えることがあるらしい。

「仕事が休みの日は、買い物に行って、ご飯を作って、空いた時間で本を読んで、やってることはこれまでと変わらないはずなのに、地に足が着いてないような、かくまわれて幽霊のように生活してる気がしてきちゃって。幸せなはずなのに現実感がないというか。慣れてないだけかもしれないけど……」

 新婚生活が始まって、すぐにコロナ騒ぎが始まった。自粛要請が出て、夫婦揃って仕事もストップ。変化に次ぐ変化で、ストレスを抱えるのも無理はない。けれど、どうも理由はもっと深いところにあるらしい。

「寝ると必ず夢を見るんですよ。ソファで昼寝してて、リアルな夢を見て、起きても自分が夢から覚めた気がまったくしない。旦那が帰ってきてご飯を出しても、“これはもしかして夢の続きで、私はもう永遠に目覚めないんじゃないか”と思ったり。夢と現実の境目がわからなくなる感覚があって、それが日に日に強くなる。誰が悪いとかじゃないし、旦那も良くしてくれるけど、かくまわれてる気がしてきて、誰にでもなく。不思議な感じなんです」

 “かくまわれてる”とは何だろう。夫に養われていることが原因なのかと思ったが、そういうことでもないらしい。

「自分が女だってことを、結婚してから凄い意識するようになった気がする。若いときに、女性的にみられることが苦手な時期があって、わざとタバコを吸ったり、髪を短くしていたときもあったけど、でもそれは乗り越えたと思ったのに、最近それを凄く意識するというか」

── こうあるべき主婦像みたいなものを意識してしまうということ?

「それはあるかもしれない。自分で作った女性像とか主婦像みたいなものに囚われてるのかなと思ったりもするし。こうありたい、こうあるべき、新婚はこういうものだとか、そういう憧れみたいなものがどっかにあったのかな。でも、その落差に幻滅してるわけじゃないんですよ。今コロナ禍で仕事はないけど、不自由な生活を送ってるわけじゃないし。家事をするのが苦になってるわけでもない。だから余計にわからなくて。自分が気づいていないところで、勝手に心と体が変化してしまった気がする」

 原因がわからないというのは、対処のしようがないだけに恐ろしいことだ。

「新婚なのに、こんな状態は普通じゃないのかなと思ったりもするし。友達にも言えない」

 レイちゃんはそう言って、憂鬱そうな顔をした。

「子供のいる友達夫婦が、最近家を建てたので遊びに行ったんですよ。そしたらその夫婦が『もう家も建てて、子供もいて、私たち夫婦にはなにもない」って言ったんですね。『この先何も楽しみなことがない』みたいな。それを聞いて、人生ってそういうものなのかなと思ったりもして」

 平然と言うので、私は怖くなった。まるでゲームをクリアするような感覚だ。

「私30歳だし、着々とみんな死に向ってるじゃないですか。子供を産んだり、家を建てたり、人生を進めていくのって、一個づつ達成してやることがなくなっていくことなのかなって」

 死ぬ最後の日に人生を振り返れば、結果的に多くの人がそうなのかもしれない。レールからはみ出そうとしても、だいたいみんな似たり寄ったりな生き方をしているものだ。

「20代のときは、何かを手放していく感覚ってなかったんですよ。誰かとの別れはあっても、何かを学んだり吸収したりして、インプットが凄くあったんです。でも最近、それは違うんじゃないかと思ったりして。人生はいろんなものを失っていく順序なのかなと思ったりして。そういうこと考えるとどんどん暗くなってって……」

 それはつまり、未知だったはずの未来が、未知ではなくなったことの怖さなのだろうか。

「手が届く感じがしますよね。いろんなことがリアリティを持って自分の人生に現れると、悲観的になるのかなと思ったりもするし。仕事先に、私より凄く年上の夫婦がいて、そこは子供がなかなかできないらしくて、でも凄く幸せそうに見えるんです。現実に起こりえないようなことが夫婦の間にあると、夢見がちでいられるのかなと思ったり」

 確かに、子供ができない「かも」しれない、というのは、運命に幅があるということでもある。

「そう、含みがある。どっちが幸せなんだろうなぁと考えたりもするし」

 贅沢な悩みにも聞こえるが、それだけに複雑で重い話だ。これは確かに、身近な友達には話せないだろう。

「コロナ禍だからっていうのもあるかもしれないけど、世界がぼやっとしてるんですよね。幸せなものが揃ってるはずなのに、逆に何もないような感覚というか。手放しで幸せだと思えずに新婚生活を送っていることが、凄く申し訳ない気がして。旦那にも言えない」

 レイちゃんは、結婚して服装も一気に女性らしくなった。かくまわれてるのは、こうあるべき女性像に、ではないのか。

「無意識に体現してるのかな。結婚って基本的に男と女じゃないとできないじゃないですか。私は女なんだってことを再認識させられた感覚があるかもしれない。旦那が出張で家を空けてる日とか、ふわふわしちゃって。“大丈夫かな、ちゃんと足あるかな”って見たりとかして、毎日のようにお菓子作って時間を潰してるんですけど」

 自分が幽霊になっていないか確認しながら、夫のいない日に黙々とお菓子を作る。想像するととても奇妙な光景だ。

「料理をするのとお菓子を作ることって違う気がするんです。お菓子って別になくてもいいじゃないですか。そういうものをわざわざ私は作ってるんだって。無駄なことをせずにいられないというか。お菓子作って写真撮って、インスタに上げたりして」

 そう言うと、スマホに入ってる画像を見せてくれた。ケーキ、マフィン、クッキー、タルト、お店で売っているような可愛いお菓子が並んでいる。

「よく主婦が料理をインスタにアップしてるじゃないですか。コメント貰って、イイネ貰って、うれしいみたいな。そういうのって自己顕示欲の塊だなって思って、あんまりよく思ってなかったんですけど、実際にそういうことしてる自分がいて……」

 しかもそのお菓子は、“食べるため”という要素が低いのだ。

「作る工程に意味がある気がする。無になれる、無心になれる。写真撮ってアップするのは、見栄をはってるみたいですよね。『私は正常に生きてます』みたいな。実際に腹の中で考えてることは違って、不安定な状態なのに、写真をアップすることによって“コロナ禍でも幸せに生きてます”“健康です”みたいなのをアピールしてるところがあるのかな」

 “お菓子作り”は余裕の象徴ともいえる。インスタにアップすることは、幸せな自分を視覚化し、自己肯定感を高めるセラピー効果があるのだろう。

「芥川龍之介が自殺したときに、『ただぼんやりとした不安がある』って言ったけど、それに近い。でも死にたいわけじゃないんですよ。死に至る病じゃない。切り傷がたくさんあるみたいな鈍痛。こうしてこのまま日常生活を続けていくんだろうなぁって諦めみたいなものもあって。不幸なわけでは決してないし、何かが不満なわけでもない。ただ世界がぼんやりしてる」

── 不思議だね、結婚って究極の「地に足がつく」イメージなのに。

「足が消えた気がする。本当ですよね」

 足を取り戻すには何が必要なのか。予期せぬアクシデントなのか、“こうあるべき姿”からの脱却なのか。「未来はどうなるかわからない」という含みは、人間にとって意外と重要な要素なのかもしれない。

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1980年、東京都生まれ。写真家、ノンフィクションライター。写真集に『やっぱ月帰るわ、私。』『理想の猫じゃない』『ふあふあの隙間①②③』、著書に『ノーモア立川明日香』(共著)、『のらねこ風俗嬢-なぜ彼女は旅して全国の風俗店で働くのか?』など。@kaworikawori
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