第20回

第20回 死と高揚感

 世間は、新型コロナウイルスの話題で持ちきりだ。日本国内にも感染者がいることで、より恐怖を身近に感じるのだろう。
 ウイルスが蔓延すれば、感染するかどうかは自分の力ではどうしようもできない。死ぬときは死ぬ。こうして、ちょっとだけ「死」がリアルになると、私は妙に気分が高揚する。これがもっとリアルな死になってしまうと、そんな悠長なことは言ってられず大パニックになるのだろうが、あくまで安全な場所にいながら感じる死の危機というのは、私の場合、生き生きとした感情に繋がるのだ。私は死にたいのではなく、死を意識したいのだと思う。

 「死」への欲望というのは、ある人とない人でハッキリ分かれているように思う。友人で、「子どもの頃、人間はいつか死ぬんだと思うと怖くて眠れなかった」と言ってた人が2人ほどいたが、私にはまったくない感覚なので驚いた。私は逆に、いつか死ぬことを考えると安心する。永遠ではなく、終わりがある、「リミットを実感する」というのは、人を前向きにさせる効果があるように思う。

 そんなことを考えていたら、ふと卒業式を思い出した。
 私は、高校2年・3年のとき、クラスに話の合う人がいなくて、まったく楽しくなかった。特に3年は、ほとんど誰とも口を利かず過ごしていたように思う。今となっては記憶があやふやなくらい、学校にいるときは自我を消していたように思う。
 ところが、卒業式の日だけは違った。今日で終わり、もう誰とも会うことはないと思うと、気負っていたものが突然なくなり、誰彼構わず話しかけていたのを思い出す。クラスメイトたちの存在がどうでもよくなったことが、良い効果をもたらしたのだ。
 継続しない関係というのは、こんなにもラクなのか、とそのときに思った。裏を返せば、毎日顔を合わせる相手だからこそ、上手くやらなきゃと考えすぎて身動きがとれなくなっていたのだろう。気を遣うあまり、つまらない人間になっていたのだ。

 そういう意味では、今のフリーランスという仕事はとてもラクだ。私に仕事をふってくる人間は、私を好きじゃないと頼んでこないし、私のことを嫌う人間は、そもそも近寄ってすらこない。継続という保証はなく、合わなければいつでも切られる。そうした関係性が、私にとっては安心なのだろう。
 永遠に続く、ということがそんなにも怖いのか、と自分でも思うが。

 そういえば20代の頃、自分の遺影を作って部屋に飾っていたことがあった。自分はもう死んでいると仮定し、死を意識することで、より充実した一日が過ごせるのではないかと考えたからだ。けれど想像力が足らなかったのか、あまり効果は得られなかった。
 自分の死期がまだまだ見えない年齢だからこそ、リミットを求めたくなるのだろう。これは締め切り効果と似ている気がする。私は原稿を書くにも、締め切りを決めてもらわないとやる気が出ないタイプだからだ。
 
 ところで、私は去年、ひょんなことから過去生記憶を持つ子どものお母さんと知り合ってしまった。彼女の家では、子どもが前世の話をすることが普通らしい。けれど、そうした話題は引かれるだろうと思い、今まで誰にも話したことはなかったという。私が興味深々で聞いていると、「そんなに面白いですか?」と、意外そうにしていた。
 その子どもは、3歳の頃から、自分が前世で死んだときのエピソードを話していたという。3歳当時は言葉がつたなかったが、7歳となった今は言語力も上がり、より説明は詳細になっている。しかし一貫してその話にはブレがないという。実際に喋っているところを音声データで聞かせてもらったが、過去生から中間生記憶まであり、非常に興味深いものだった。この話は、9日発売の『月刊ムー』3月号に記事を掲載するので、興味のある人は読んでほしい。

 ちなみに、スピリチュアルに関して、私は目に見えないものや、死後の世界など、特定のジャンルに関してのみ興味がある。UFOとかUMAは、いてもいなくても私の人生に影響がないので興味がない。
 ゆえに、過去生記憶の話にはえらく興奮した。輪廻転生が実際にあることを証言できる人間が存在する! しかもメディアを通してではなく、すぐ身近に!これほど凄いことがあるだろうか。

 そういうわけで、私はこの話を興奮していろんな人に喋りまくったのだが、ほとんどの人が興味関心を示さないので驚いてしまった。
 先日、友達4人でランチを食べに行った際も、みんな「ふーん」という感じでノーリアクション。某テレビ局のディレクターに話したときは、「それを信じようと思ったのはなぜですか?」という質問から入られて、拍子抜けしてしまった。新年会の席で、胎内記憶の話題になったので、ここぞとばかりに話したときは「でも大人が先に誘導してるからねぇ」と言われてしまい、それ以上何も言えなかった。
 大多数の人が「リアクションに困る」といった反応なのだ。が、一方で同じように「凄い!」と感動してくれる人もいる。私は不思議に思った。この両極端な反応の違いはなんだろう?
 きっと、死後の世界を必要とする人と、必要としない人の差なのだろう。後者は、生きてる間に見ることはできないのだから、知っても意味がないと思っているのかもしれない。でも、私にとっては、死後の世界があることを、知るのと知らないのとでは全然違う。

 よく海外に行くと視野が広がり、自分の見ていた世界がいかに小さかったかを実感するというけれど、私は死後の世界を知ることで、さらに次元を超えて視野が広がる。「あの世」があって「この世」がある、と考えると、急に地球に足をつけて歩いていることが、特別なことに感じてくるのだ。「ここにいるって凄くない?」と、突然感動を覚え、嫌なことも悪いことも、素晴らしい体験に思えてくる。
 私にとって死後の世界は、知れば知るほど、生きていることを実感する材料になるものだ。生きることの意味を、価値を、生々しく感じられるのは、死があるからこそだと思う。

 私は行き詰るとよく、自殺した芸能人の情報を検索しまくるけれど、私にとって死は、それほどに遠いということなのかもしれない。

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1980年、東京都生まれ。写真家、ノンフィクションライター。写真集に『やっぱ月帰るわ、私。』『理想の猫じゃない』『ふあふあの隙間①②③』、著書に『ノーモア立川明日香』(共著)、『のらねこ風俗嬢-なぜ彼女は旅して全国の風俗店で働くのか?』など。@kaworikawori
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