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弱さを認めなきゃ、前に進めない。

人は、自分が認めたがらないことについては、曖昧にしたがります。

誰もが、自分が失敗したことを認めなかったり、自分の能力の低さを認めなかったり、自分の弱さを認めなかったりしたことはあるでしょう。

正直僕は、未だに認めたくないことがたくさんあります。

特に認めたくないことは、自分が「繊細な人間」だということです。

しかし、繊細な人間にまつわる書籍や番組の特集で、繊細な人間について知れば知るほど、自分と重なることが多く、チェックリストをやってみると、ほぼすべてにチェックがつきます(笑)。

ここまで繊細なら、それらを認めずに、無理して生きる方が辛いに決まっているのに、自分が繊細だとは認めていませんでした。

いろいろと調べていく中で、「繊細は、病気ではありません」「そういう気質を持っているだけで、人よりも弱いわけでもありません」という情報を知ってから、僕は自分が繊細な人間だと認めるようになりました。

つまり、繊細だと認めたくなかった理由は、自分を弱く見せたくなかったからなのです。

自分が弱いと他人に言えば、なめられてしまう、バカにされてしまう、心配されてしまう、気を遣われてしまうなどと、思考を巡らせてしまいます。

そのせいか、昔から僕は、他人の前では気を張って自分を強く見せて、他人に攻撃されないように徹底していました。

なるべく被害者ぶりたくないし、可哀想な人にも思われたくない、ちょっとした愚痴をこぼせば、自分が弱い人間になり下がったようで、すぐに後悔が押し寄せてきました。

やはり、「神経質」か「無神経」かで言えば「神経質」ですし、「敏感」か「鈍感」かで言えば「敏感」なんです。

人の言葉に鈍感で、自分の言動に無神経なら、どれだけ楽だっただろうかと、自分のことを恨みたくなる瞬間もあります。

しかし、これは先天的なものらしいので、もう開き直るしかありません。

人の良いところも嫌なところも見えている繊細な人間だからこそ、自分で気づくこともたくさんあります。僕はその都度、それらの役割を果たしていけば良いのでしょう。

自分のことを繊細だと認めたくない人間は、鈍感で無神経な人を立派な人だと持ちあげず、「自分と異なるだけなんだ」と捉える必要があります。

勝手に差を生み出しているのは、だいたいは自分なのですから。

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