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期待されていないから、成長しやすい。

会話の中で、時々、何かしらを一括りにしてしまうことがあります。

「東京の人は~」「B型の人は~」「今どきの若者は~」「おじさんって~」「金持ちの人は~」「スポーツマンは~」など、多くの人を括り付けして、その人たちの性格的な傾向を話します。

代表的なものは、東京の人は冷たい、B型の人は自己中、今どきの若者は悟っているなど、僕が小さいときから何度も聞いてきました。

もちろん、みんながみんな、そういうわけではないのですが、僕は一括りにすること・されることについて、何とも思っていませんでした。

一括りにしている人にとっては、大多数がそう見えているんだから、別に何か異論を言うつもりはないし、「そう思っているんだ」ぐらいに受け止めていました。

しかし、時々、「それを一括りにするのは違うだろ!」と言いたくなる瞬間があります。

それは、あまりにも期待しすぎた一括りです。

その代表的な例が、「子どもの発想は面白い」です。

確かに、大人みたいに全方向に気を遣った発想ではないとしても、「子ども」=「面白い」は、あまりにも期待しすぎです。

大喜利では面白い大人に負けるでしょうし、大人同様に面白いものを最後まで創り上げる忍耐力も強くないですし、大人の世界で通用するアイデアを量産できるわけではありません。

最近では、賢い子どもがテレビに出ることも多いので、「最近の子どもは、こんなに賢いのか・・・」と感心する人もいるでしょうが、ほとんどの子どもが、勉強に関連したジャンルにのめり込むわけではありません。

これは僕だけが強く感じているのかもしれませんが、悪い一括りにされるのは平気なのに、良い一括りにされるのは怖く感じます。

自分がその括りに入っていなかったら、「あんたは違うね・・・」とガッカリされそうだし、何より、一人の人間としてではなく、「子ども」というジャンルで見られていることにショックを受けます。

子どもながらに、「子ども」というブランドがあるから、自分に価値があるということに気づくものです。

「子どものときに、そんなに深く考えるヤツなんていない!」と言い張る大人もいますが、それはその人が、全肯定されて幸せに育っただけです。

働いている大人同様に、全肯定されて生きられる環境にはいない子どももいるのです。

だからこそ、ウケを狙ったり、良いことをしようとしたり、褒められようと努力して、成長するのです。

それなのに、「自分」ではなく、「子どもというブランド」が評価されたら、たまったもんじゃありません。

だから、一括りにするなら、ポジティブすぎない程度にした方が良いと思うんです。

そして、評価をするなら、「括り」ではなく、「個人」をした方が良いでしょう。

初めからハードルを下げられているぐらいが、一番生きやすいのです。

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