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誰も何も覚えていない。

昨日、中学の時に同じクラスだった女子に8年ぶりに再会したのですが、その時に感じたのは、誰も何も覚えていないということ。

僕の顔と名前と、なんとなくのイメージだけ覚えていて、細かいエピソードなどはほとんど覚えていません。それはこの人だけでなく、他の同級生と会った時にも感じました。

最もショックだったのが、僕が学級委員長だったことすらも忘れられていたことです。僕は、中学3年間学級委員長をしていて、毎日号令をかけて、席替えの時は前に出たりして、あれこれ行事も仕切っていました。それは僕にとっては、とても大きな行動で、内気な自分を大きく変えたと思います。

しかしながら、それはとても自分事で、周りの人には何ら影響を与えていません。なので、記憶に残す必要がないのです。とても自意識過剰です。

僕は、その自意識に昨日気づいたのですが、これに早く気付いている、パリピ男子の同級生もいます。その男子の行動は大学1年生の時から違います。

そいつは中学時代にたくさんの人と喋っているわけではありませんが、中学の同級生を男女関係なくテキトーに集めて、定期的にパーティーを開いています。学生時代に1度も喋ったことがないとか、過去に気まずい関係になったとかを考えずに、バーベキューを開いたり、島に旅行したりします。

特に何かを喋るわけでもない、笑いが連続するわけでもない。ただ、その空間に一緒にいるだけで良いと考え、新たな青春を生み出します。

一方の僕は、学生時代に仲の良かった人を基準に集めますし、その人たちとの過去の情報をベースに新たなものを作っていきます。企画も立てますし、遊び終わった後はみんなが楽しかったかを気にします。

でも、ここで気が付いたのは、青春というのは必ずしも楽しい必要はないということです。

どうせ何も覚えていないからこそ、気まずい中で構築していく人間関係や、自由に発言できる空間、全てが新鮮な瞬間も、青春そのものです。だからこそ、テキトーに誰かを呼びまくった方がいいのです。

しかも、昨日会った女子は、結婚するならそのパリピ男子が良いと言っていました。僕は、この日のために洋服も買って、歯のクリーニングもして、ひげ脱毛もしたのに。なんだったら、その女子との想い出をできる限り思い出して用意してきたのに、あっけなく敗北です(笑)。

大人になると、この人のために、どれだけ努力したとか、どれだけ熱意を込めたかなんて、重いし要らないんです。

なのでこれからは、遅咲きのパリピとしてやっていきたいと思います(笑)。

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