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個性がないなら、計算するしかない。

僕は、人からいじられにくい人間です。

いじられにくい人間というのは、人に好かれにくく、個性が見つかりにくい人間だということです。

反対に、いじられやすい人は、放っておいてもどんな人間かわかりやすいので、人から好かれやすいです。

変な癖があったり、子どもっぽかったり、妙に明るかったり、喋り方に特徴があります。そこが愛されるポイントとなって、コミュニケーションが生まれて、その人の面白さが伝わります。

一方で、いじられにくい人間は、特に何かおかしいところがありませんし、もともと内気な人が多いので、自分がどんな人間なのかを相手に伝えないと、輪の中に入れてもらえません。

特に集団で活動する学校生活では、いじられやすい人が有利です。

もともとの僕は内気な人間なので、先生に怒られるような生徒ではありませんでした。

しかし、学校生活を充実させているのは、常に先生に怒られている生徒たちでした。

先生から名前を覚えてもらえて、みんなから注目してもらえて、先生や生徒たちとの思い出もたくさんできて、それを僕の前でかったるそうに話しながらも、とても楽しそうに話していることが伝わりました。

小学校のときなんて、先生に注意されるような人を多く集めたクラスもあったので、そのクラスの生徒が羨ましくてたまりませんでした。

そんな光景を目の当たりにしていた僕は、わざと先生に注意されるような態度をとるようになっていきました。

目立ちながらも一線を越えないようなことを繰り返しながら、他の目立つ生徒との交流も増えていき、学校生活は充実していきました。

ただ、それでも僕の中には、多少のいじられにくさは残っています。

その後、中学や高校に入学しても、僕のことを面白いヤツとしていじってくれる先生や生徒は、いませんでした。

やはり、先生や生徒にいじられやすいヤツらが、クラスの面白いヤツになっていって、みんなに名前を覚えてもらえる人間になっていきます。

面白くないヤツだと思われたくない僕は、今度はいじられようとするのではなく、自ら先生や生徒の言動にツッコんでいったり、ここぞとばかりに決めたボケで笑いをとっていくことにしました。

思っていたよりも上手くいき、割と楽しい学生生活が送れましたが、やはり、いじりやすい生徒と自分を比べると、どこか自分が劣っているような気がします。

周りから愛されるのは、やはり、いじりやすい人間です。

僕が何度も的確なツッコミをしても、いじられやすい生徒の子ども染みた発言の方が、先生や生徒たちは安心して笑いますし、さらなるコミュニケーションをとりたがります。

彼らは天然で笑わせているので可愛らしさがありますが、僕は計算に計算を尽くしてやっているので、どこかいやらしさがあります。

ただ、どう頑張っても、僕は愛すべきバカになれないのです。

僕は、結局いじられにくい人間のまま、大人になってしまいました(笑)。

でも、いじられにくい人にしか、できないことがあります。

それは、周りを輝かせる計算式を立てることです。

いじられやすい人は、結局自分のことしか輝かせられません。

自分一人が注目を集めることが得意なので、人をいじっても面白くなりませんし、そもそも興味もありません。

一方で、人からいじられにくい人は、周りがよく見えていることが多いです。

目立っている人から目立っていない人まで、すべてに目を通しています。

人をよく見ているからこそ、自分の魅力を引き出す計算式も、誰かの魅力を引き出す計算式も立てられます。

計算しているからこそ、実現するのは勇気もいるし、タイミングの見極めも必要だし、周りの環境にも左右されるでしょう。

ただ、その計算式の答えが正解だった時、その計算式が他の場面で応用されて、どんどん正解が作りやすくなっていきます。

計算するおかげで、良い雰囲気を維持することができるのです。

人からいじられにくく、個性が薄いと思うなら、自分から計算式を立てて答えを出していくことで、自分がかけがえの人間になれるかもしれません。

そんな希望を考えながら、僕は今日も何かを輝かせるために計算しています。

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