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「正直に生きたい」と「肯定して生きたい」の真ん中あたり。

「超、良いじゃん!」
「めっちゃ、すごいね!」
「すごく面白いじゃん!」

肯定が上手い人は、隙あらば、何度もこういったフレーズを口にします。

そういう人は印象も良いし、周りの人からも好かれやすいです。

確かに、こんなふうに自分が肯定されると、接していて気持ちが良く、どんどん楽しさが増してきます。

僕の理想としては、他人に対して肯定的に生きて、周りから好かれて、自分からハッピーオーラを出せる人間になりたいです。

しかし、自分の中の「正直に生きたい欲」が邪魔してきて、肯定的に生きられなくなることが、多々あります。

例えば、誰かがとてもすごいことをしたとき。

肯定が上手い人は、すぐさま「えっ、めっちゃ、すごいですね!」と、目をキラキラさせて言います。

一方、「正直に生きたい欲」が少し強い僕は、すぐにそのセリフを口ずさむことはありません。

どのぐらいすごいのか分からないのに、適当に肯定して良いのだろうか。

そっちの疑問が先に浮かんでしまい、どれぐらいすごいことなのかを聞いてしまいます。

肯定的に生きる人と比べて、かなり遅いスピードで肯定するので、相手が肯定されたいタイミングで、肯定の言葉を発することができないのです。

もちろん、肯定的に生きている人が、正直に生きていないわけではありません。

そういう人は、本音で、いろんなことを肯定的に捉えられる人間なのです。

つまり、肯定することに慣れていて、肯定する癖がついています。

そのため、他人の話もすぐに肯定できるし、自分のことも肯定するのが上手い人が多いです。

しかし、僕は、そこまでいろんな物事を肯定的に捉えません。

この世界、素敵なことだらけだとは思っていませんし、良いとされているものを良く思わないときもあるし、工夫・改善すればもっと良くなることもたくさんあると思います。

そんなに考えすぎずに、「まずは肯定」からコミュニケーションを行う方が良いと分かっていても、それでは自分に嘘をついている気がして、なんだか気持ち悪くなります。

さらには、なんでも肯定的に捉える人に対して、「それ、本当に思ってるの?」と、疑いの目を向けることもあります。

もちろん僕だって、誰かを肯定したいし、「みんなが高い自己肯定感を持つ時代になれば良い」と、心の底から思っています。

しかし、なんでも肯定しなきゃいけないのも、案外苦しいものです。

否定する要素がないからといって、肯定できるわけではありません。

今日も僕は、「正直に生きる」と「肯定的に生きる」の真ん中あたりを生きています。

なるべく肯定したいけど、本音も隠したくない。

そんな葛藤を抱えて、明日も生きていきます。

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