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やさしさは、ずっと続けられないから。

沖縄に住んでいる両親と電話で話していると、時折、驚くような言葉を耳にします。

僕には、3つ年上の兄がいるのですが、兄は沖縄に住んでおり、たまに両親と会うそうなんですが、決してどこかに一緒に出かけたり、実家で過ごしたりするわけではありません。

母が兄のために手料理をつくってあげて、兄はそれを持ち帰るためだけに、実家に帰ってくるそうです。

しかし、必ず帰ってくるどうかは分からず、気分によって来たり来なかったりするので、母も電話の会話のなかで、「ごはん欲しいって言ってたけど、今日は来るかね~?」と話しています。

東京に上京した僕からすれば、その会話が行われていること自体、すごく不思議に感じました。

もう30歳にもなる男が、散々親に迷惑をかけてきたのに親孝行もせず、ごはんだけはつくってもらい、それも気まぐれで来たり来なかったりする・・・。

なんて、甘えた生活をしてるんだ。

時々、我慢しきれずに、一喝したくなるものですが、最近はそういうことすら言わなくなりました。

それは、僕が両親の気持ちを考えられるようになったからです。

人生を長く生きれば生きるほど、人間の弱さを知ることができます。

僕は、大人になってから、新たな友達ができず、今も学生時代の友達と遊んでいます。

学生時代の友達は、僕の性格を知っているからこそ、ものすごく甘えた行為をしてきます。

約束をすっぽかされた経験は、数えきれないほどあるし、あまりにもひどいことをされたときは、本気で絶交しようと思ったこともあります。

しかし、数少ない友達に依存している僕は、友達にどんなことをされても、何度も許してきました。

厳密にいえば、許すしかありませんでした。

許さないと我慢しないと、貴重な友達を失うから、怒りをなんとか笑いに変えて、関係を続けています。

僕は友達に会うために甘やかさなきゃいけないし、友達は楽できると分かっているからつけこんでくる。

他の友達にその話をすると、「アイツ、もっと稲本に感謝しないといけないよな!」と言うことが多いです。

しかし、それでも人間は弱いものです。

甘えられると分かっている人には甘え続けるし、甘やかさなきゃ失う人はとことん甘やかします。

僕も、両親と似たことをやっているのです。

もちろん、親子関係か友達関係かで、その重さは変わってくるでしょうが、どちらも依存しあっている関係なのは同じことです。

ただ、年齢が上がってくると、こんなことにも気がつきます。

ずっとやさしくすることは、絶対にできない。

やさしさとは、その人の余裕から生まれるものです。

体力や精神面の余裕は、年を追うごとになくなっていきます。

だからこそ、やさしくできるうちにやさしくしてあげたいのです。

しかし、もう僕は、約束をすっぽかされて許せるほど暇じゃないし、情熱をかけたいことも増えました。

両親も、体力が衰えてきて薬ばかり飲んでいるし、兄に経済的な手助けはできなくなっています。

僕の友達は、そのことに薄々気づいているのか、最近は人が変わったように人格を改めだしています。

兄は、そのことに気づいていないのか、その日は結局、「道中で見かけたゴキブリが怖かったから」という理由で、実家に帰ってこなかったそうです。

そのやさしさは、いつまでも受けられないというのに。

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