「理由」もなく生きていないと、「理由」が生まれない。
大人になってから、日々痛感させられていることがあります。
それは、ほとんどの人が「理由」を持って生きているということです。
何をやるにしても、それをやる理由を必要として、動機を考え、それをもとに行動しています。
行動する理由に納得感がなければ、協力しない人も多いし、どんな面白いことにも魅力を感じなくなる人も多いです。
なぜ、それをするのか。
無意識にそれを考えている人はたくさんいて、全ての物事が理由主義になりつつある気もします。
何をするかより、何を理由にそれをするのか。
そこを明確にした方が、説得力を持たせることができるし、どれだけ自分がやりたいことでも、わがままを言っているようには聞こえません。
こういうことを自然に考えられる人は、やっぱり賢いなと感じます。
僕も、そこそこ理由を考えている人間だと自負していたのですが、実は、理由もなく、何かをやっていることの方が多い人間です。
なぜ、理由を忘れてしまうのか。
その理由は、「面白い」を大事にしすぎているからです。
だからこそ、理由とか、動機とか、意味などを、自分が思っている以上に考えてこなかったのです。
なんとなく、継続するのが得意で、どんな行動も好奇心で飛びつくことができて、あまり合理的なことばかりを自分に求めてきませんでした。
このnoteだって、もうすぐ1000日連続で更新することになりますが、なぜ毎日続けているのか、その理由は、常に曖昧で変化しやすいです。
文章力も上げたいし、誰かの役にも立ちたいし、頭の中を整理したいし、何かしらの取り柄を作りたいという理由でもあります。
ただやっぱり、その理由のすべては後付けです。
最初に始めた理由は、やっぱり、「なんとなく面白そう」なんです。
それでは、人の心を動かすことはできませんが、そこから、人の心を動かすことはできます。
「理由」とは、あくまで誰かを説得しないといけないときの武器で、必ずしも自分が持たなきゃいけないものではないと思います。
むしろ、凝り固まった「理由」を持たずに、自由自在に「誰かのため」や「自分のため」に、やりたいことをやっていく方が、良くありませんか?
それぐらい気軽に生きていないと、生きたいようには生きられません。
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