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急げば急ぐほど、「楽しさ」は逃げていく。

東京で暮らしているからか、最近、「急いで終わらせる」という意識が強くなっている気がします。

東京には急いでいる人が多く、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車でも強引に乗る人がいるのも当たり前の光景ですし、車が来ないからと言って信号無視して横断歩道を渡る人もよく見ます。

それはさすがにやりすぎだと思いますが、確かに、何事も早く終えることで自由な時間が生まれますし、空いた時間を楽しいことに使うことができれば、それだけ楽しい時間を増やすこともできます。

最近では、緊急事態宣言の影響で、時短営業の店が閉店するまでに、急いで各々の目的を果たさなくちゃいけないことも増えました。

その一つ一つが、「急いで終わらせる」という意識を、強くさせているのかもしれません。

しかし、それは良い時間を生んでいることになるのでしょうか。

ある中華料理屋で、チャーハンと餃子を食べたときのことです。

僕は、いつも通りのスピードで食べていたのですが、隣に座っていた客と比較すると、1.5倍ぐらいのスピードでチャーハンと餃子を食べていました。

隣の客は、一口ずつ味わっていますが、僕は、口に入るスペースが余ったら、どんどん口に含んでいきます。

周りが美味しそうに味わっているなか、僕はチャーハンと餃子の熱々具合を舌で感じとることしかできていません。

そのことに気がついたとき、僕は、すごくもったいないことをしていると思いました。

早く食べることが目的になりすぎて、「美味しい」と感じられなくなっているのです。

誰かに急かされているわけでもないのに、急ぐことが癖になっているから、「味わう」という目的をすっかり忘れてしまっていたのです。

これでは、店側がどれだけ美味しいものを提供しても、僕がどれだけお金を払っても、美味しいものを食べることはできません。

このような現象が、食事以外にも起きています。

早く買い物を済ませて、早くご飯を作って、早く歩いて、早く伝えたいことだけを喋って、なんでもかんでも早くして…。一日が終わるころに、こんなことを思います。

はぁ・・・。今日も、何も楽しくなかったなぁ・・・。

急いで時間を過ごしていると、その時間の味がしなくなります。

それはつまり、何をしても楽しくないということです。

買い物だって、料理だって、ご飯を食べることだって、楽しめる要素は絶対にあるのに、それを自分自身が放棄しているのです。

楽しむことを放棄するから、何をするのも面倒くさいという感情が強くなっていき、次第に行動自体を嫌うようになっていきます。

「急ぐ」とは、「楽しむこと」を放棄するということです。

そんな時は、急ぐことをやめましょう。

急ぐことをやめて食べた、チャーハンと餃子は、ここ最近で一番美味しい料理になりました。

今日もあと数時間で終わりですが、久しぶりに楽しい思い出を作れた気がします(笑)。

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